17話
「フォルどうしましょう」
「あのくそ王子……。兄弟そろってお嬢様を……」
厨房で一緒にお肉の仕上げをしながらフォルは久しぶりにお嬢様と呼んだ。怒りのあまり、そのことには全く気づいていない。
「逃げます? 裏から」
「いえ、大丈夫です」
フォルの心配も、提案もありがたいけれど、逃げてしまってはさらに大事になると思った。
眼鏡がずれてしまわないよう、ぐいっと鼻の上に持ち上げる。
バゲットとお肉をトレーに載せて
「よくわからないけれど、マレード殿下に挑みます!」
「お嬢様……。フォルはここにいますから、いつでも逃げてきてください」
「ありがとう」
いつも支えてくれる、心強い味方がいてくれるだけで、幸せ者。
私はマレード殿下の席に向けて歩きだした。
「お待たせいたしました。バゲットと骨付き肉です。こちら当店おすすめのレモン酒です。氷は海賊の方々からいただいた異国の天然水を利用しています。良ければどうぞ」
「ありがとう。いただくよ。さあ座って」
「失礼します」
恐る恐る座る。ラウドさまと身長は変わらないくらいかしら。向かい合う目線の高さが良く似ていた。
「忙しいところに急に押し掛けて申し訳ないね。夜はクリオネストの方にお邪魔する予定なんだ」
「あちらのお料理も大変美味しいんですよ」
愛想笑いで返すと「猫被ってるなあ」と文句を言われた。
「忙しそうだから本題を言うけれど。ルーン嬢、ラウドのところに戻ってほしいんだよ」
「……えっ? なぜ……」
なぜそれを、兄のマレード殿下が言うのでしょうか。
ご本人の口から言われるならまだしも、兄であり、国家権力の塊みたいな方からそう言われて……。それでも「はい」と返事できるわけがなかった。
言葉に詰まる私に、殿下は続けて言う。
「ラウドの生い立ちから、いままでの経緯、どこまで知ってるかは知らないけれど。あいつ、ずっと孤独なんだよ」
「……はあ。それで?」
「それでって……」
確かにお慕いしたし、今でも引きずっている。
ラウド様の方も、私のこと引きずっているなら、少しは嬉しいし、ちょっとざまあみろって気持ちだってある。
でも、もう婚約は無くなってしまった。今さらだけれどラウド様のこと、結局全然知らないし、本当に孤独だったからって、人を傷つけていいと思ってるの?
出掛けた言葉を飲み込んで
「私は彼のことを、よく知りません」
そう言うので精一杯だった。
唇を噛む。涙が溢れてきそう。怒りもからだの奥から燃え上がる。
好き勝手言いやがって。
「殿下に言われたから戻りました、と言えばラウド様の孤独は埋まるのですか」
「いやそういうわけじゃないんだ。ただ君は、初めてラウドの心の一部になった女性じゃないか」
「知りません、そんなこと」
「……参ったなあこれは」
「失礼を承知で申し上げますが。殿下の方こそラウド様を本当に愛しているのですか。本当は余計なことばかりして邪魔してるんじゃないんですか」
実際今やっていることですよ。
そこまでは言えなかった。殿下の美しい顔が歪んだから。
「何言ってるんだ。俺はあいつをずっと愛してるんだ」
「ラウド様の方は、きっとあなたを愛していません」
「お前にラウドの何がわかるんだ!」
「だから知らないことだらけですよ! 兄弟そろって私を馬鹿にしすぎじゃないですか!?」
「お嬢様ストップ!」
フォルに止められてハッとした。
手にグラスを掴んで立ち上がっていた。わたし、止められなかったらたぶん、レモン酒を頭からかけてやろうとしていた。
「……もう少しで分かり合える気がしたんだけれど、今日はここまでで帰ったほうが良さそうだね」
マレード殿下は微笑んで「美味しかったよ」と背中を向けた。
「あー、ラウドに斬られた古傷が痛むなあ~、また肉を食べに来るね」
もう来るな。と言いたかったけれど、ぐっと堪えた。




