16話
一月たてば、シーフォードラゴンはヤディ地区の名物食堂の一つになっていた。毎日ひっきりなしに冒険者さんや海賊さんが訪れ、飲んで食べて大騒ぎしたあと、宿でゆっくりお休みされる。ジュリさんにも、事情を話したあと遊びに来てもらった。そこでジュリさんとエリーさんの間で意気投合し、ジュリさんのパン屋さんから、毎日バゲットを取り寄せる契約まで成立してしまった。
エリーさんの商魂には感服しかない。いろいろとそばで働いていて勉強になる。
「ルーン、ここのお肉も美味しいわねえ。前にいっしょにいったとこの料理人も、ここのこと褒めてたわよ。負けてられないって」
「またジュリさんとも遊びにいきたいです」
「休みの日、合わせないとね!」
お店で一番大きな骨付き肉を食べながら、笑った。
「ところで、ルーンの元婚約者の公爵様のことなんだけど……。これ話して良いかしら」
「ラウド様、ですか」
屋敷を出ていって、何ヵ月お会いしてないだろうか。
フォルがテーブルのお皿を片付けながら「旦那様、お元気なんですかね」とぼやいた。
「私もよく知らないんだけど、なんかルーンのことずっと探してるみたいよ」
「えっ。そうなんですか」
なんで? まさかとんでもなく怒ってらして、町から追い出そうとされているの?
可能性を考えて、恐ろしさにぶるっと身が震えた。
ジュリさんは「いやあ、噂だからなんとも言えないんだけど……。一応、耳にいれとくね」と言ってまたお肉をがぶりと噛んだ。
「フォル、どうしましょう」
「うーん……。まあ、エリーさんが黙ってくれてるから大丈夫だとは思いますけど」
「今の私を見て、誰も元令嬢だなんて思わないでしょうし」
「元々知り合いの海賊たちは、みんなルーンの味方よ。ラウドのアニキとはいえ、そんな仕打ちは許せねえ! って怒ってたから」
物真似をしながら教えてくれたことに、複雑な思いを抱えてしまう。ありがたい反面、ラウド様にちょっと申し訳なかった。
ジュリさんのパンを毎朝受けとるのが日課になって数日。受け取って厨房に届けようと歩いていると、エリーさんに呼び止められた。
「実はね、ラウドの旦那様から大事な予約が入っていて、今日は私クリオネストの方にいかないといけないの」
大事な予約。
まさか新しい婚約者のお嬢様かしら。
胸が痛んだことをごまかすように、わざと笑顔をつくった。
「あら、そうなんですか!」
「……うん。それでね、今日はルーンとフォルにこのお店を任せたいの。厨房に料理人は三人いるから、二人でホールと宿泊の受け付けを。昼から他の子もくるけど、中心になってお願いね。大変かもしれないけど、いいかしら」
「はい! がんばります……!」
「……誰つれてくるかは、まだ私も知らないの。でもこの間クリオネストに一人で来たときは機嫌最悪で、パフェを頼んで一人でやけ食いされていたわ」
「どうしちゃったんでしょう、それ……」
「確実に言えるのはルーンに振られたの、相当引きずってるわよ。あんたも引きずってるのばればれだし」
「えっ、そ、そんなこと」
「まあ私は貴重な女の子の労働力が増えてラッキーだったけどね! ふふふ」
なぜか楽しげに、クリオネストの制服を準備しながら
「誰が来たかは一応教えてあげるから」
そう言って出掛けてしまった。
それからフォルと打ち合わせをし、私が基本ホール対応、フォルはホール補助をしつつ宿泊者が来たらそちらを優先することになった。フォルは予約者リストを確認にいったので、私もテーブルを拭いてお客さんが来る時間の準備を始めた。
「ルーンちゃん、今日はエリーもいないからがんばらないとな」
料理人のおじさんが、気合いをいれて声をかけてくれた。「はい!」と大きな返事をする。ラウド様のことが気になるけれど、それを忘れちゃうくらい大忙しな日になりますように!
開店時刻に迫る頃、店の外がざわざわ騒がしくなった。女性の甘くて高い歓声や、男性の畏まった大きな声がたくさん聞こえる。どうしたのかしら、と見に行こうとすると
「ルーン、私がいきます」とフォルが制止し、外に見に行ってしまった。
「フォル……」
顔つきが険しかった。なにか嫌な予感でもしたのだろうか。
心配でソワソワしていると、からんからんと音がしてドアが開かれた。
「えっ、まだ開店には少しあるのでお待ちを……」
入ってきた人物に声をかけようとして、姿をみた瞬間言葉に詰まってしまった。
金髪の美しい髪をきらめかせ、少し垂れ下がった目尻に若草色の瞳をたたえた、長身で豪華絢爛な衣装をまとった男性。
誰だかなんて、国中の人が知っている。
「マレード殿下……?」
第一皇子にして、恐らくはラウド様の兄上に当たる方。
えっ? どうしてそんな方がこんな王都から離れた海辺の町の、最近できたばかりのお店にいらっしゃるの?
驚いて固まっていると、フォルがマレード殿下の後ろから「まだ開店前ですけれど」と不敬きわまりない態度で言いのけた。
「フォル!?」
あんまり冷たい言い方にまた驚いてしまう。フォルが私を見て駆け寄り、耳打ちした。
「こいつですよ。たぶん旦那様の今日のディナー相手」
「ええ、そうなの……」
確か、仲は悪いと言われていたはず。なにせ、斬りつけてしまったくらい。
困惑している私に、マレード殿下は「やあ君がルーン嬢か! 会いたかった!」と大輪の花のごとく笑いかけた。
「えええ、わ、わたし、ですか」
マレード皇子は私の手をとる。男の人の手とは思えないほど、白くすべすべした肌だけれど、鍛えられた力強さも同時に感じた。
「ルーン嬢、実は今日は弟に会いに来たんだけれど……。その前に、あの弟を傷心させた女性がいると聞いて。いろいろ調べて、ここにやってきたってわけさ」
「はあ」
なぜ私にわざわざ会いにこられたのだろう。
正直、ラウド様とマレード殿下の関係性にもそこまで詳しくないし、きっとなにか訳ありなのは間違いなんでしょう。
抱いている気持ちが、純粋な兄弟愛とはとても思えない……。
「そう怖がらないで。あのラウドにもそこまで怖じけづかなかったというじゃないか。ああ、少し早いけれど食事をお願いして良いかな?」
国のトップにそういわれて、聞かないわけにもいかないだろう。ざわつく観衆の視線を浴びながら、お席にご案内する。
「おすすめはあるかい?」
「バゲット付きの骨付き肉か、魚のステーキ、または生魚のサシミです」
「ふうーん、海辺の町ならではだね。では、一番最初に言ってくれたバゲット付の肉にしようか」
ジュリさん、あなたのお店のパンを、いまから第一皇子がたべます……。
「はい、少々お待ちください」
平静を装いながらオーダーを記入し、一礼すると
「ルーン嬢も食事に付き合ってよ」と、とんでもないことを言われた。
「あの、仕事中ですので」
「俺のいうことが聞けないの?」
マレード殿下の瞳に、暗いものが宿った。刺すような冷たい声。
「……失礼いたしました。準備でき次第、お席に戻らせていただきます」
「よろしい。待ってるから」
恐怖で身が凍りそうだった。
ラウド様より、よほど恐ろしい方。
殿下は窓の外から覗く人に笑顔で手を降りつつ、私の背中から視線を逃してはくれなかった。




