14話
ラウド様を打った。
翌朝、なかなか起きてこない私を心配したフォルが部屋に入ってきた。枕を涙でぐしょぐしょにして、目がぱんぱんに腫れているのを見て、
「なにがあったんですか!?」
むくりと起き上がって、まだポロポロ泣いている私に駆け寄ってきてくれた。
「……ラウド様の顔をぶってしまいました」
「なっ……。まさかとんでもなくひどいことを言われましたか」
無言でうなずくしか、できない。
フォルは白い顔を青くして、わなわな震えている。
「フォル……」
いつまでも泣いていられない。
唇をぎゅっと噛んで
「私、ラウド様との婚約を破棄します。……屋敷を出ていきます」
決めていたことを、静かに伝えた。
出ていってどうしようか。男爵家に戻って両親のように王宮勤めをしてもいいけれど、二回も婚約を白紙にして戻った娘なんて、迷惑しかかけないだろう。
幸いにして、私はこの町が大好きになった。おかげさまで、知り合いもたくさんできた。
この町で、平民として生きていくのも悪くないだろう。
うん。平民として働いて生きていこう。そうすれば、ラウド様なんてさらに身分も釣り合わなければ、話すことももう無い。雲の上の人になるだろう。
フォルと共に厨房へ行き、パインさんにも屋敷を出ていく旨を話した。ひどく残念そうに、でも「いつでも帰ってきてもいいですから」と言ってくれた。その優しさに胸が痛んだ。
ラウド様が全部悪いわけじゃない。私も、好きだったくせに間違えてしまったんだから。
「フォル、お嬢様をよろしくね」
「えっ? フォルはここのメイドじゃないですか、ついてきてもらうわけには……」
「いえ! 私はもうお嬢様のメイドです! それにお嬢様を泣かせた男のためにこれ以上働くのは無理です! 私もお嬢様といっしょに平民として生きていきます!」
「そんな、悪いです」
フォルは「わたしが好きで決めたんです、気にしないでください」と微笑んでくれた。なんて優しい方なんだろう。フォルがいてくれて本当に良かった。
パインさんにも最大のお礼を伝えて、荷物をまとめた。
もう執務室で仕事をしているであろうラウド様に会う勇気はでなかった。
ドア越しに「さよなら、ラウド様」と呟き、婚約破棄を告げる手紙をそっと置いた。
最低だし、乱暴だし、大嫌いだけど、大好きでした。
どうか私以外の方と、お幸せに。
屋敷を出たものの、行く宛は何もなかった。
とりあえず働く場所と、住む場所を探さなくては。
フォルまで巻き込んでしまったので、しっかりしないと。
悩んだときは、海を眺めに行くに限る。そうして、家無き女二人で、浜辺に腰かけて海を眺めた。
みんなでごみを集め、掃除したおかげで、余計なものは見えず、ただ青い海が、空の下で波打つだけ。海風がざあっと凪いだ。
「お嬢様」
「もうお嬢様じゃないので……。これからは友人として、ルーンと呼んでくださいよ」
「いえ! 私の永遠の主人はお嬢様ですから! と言いたいんですが~~お嬢様がそう言うなら~~……。では、ルーン」
「は、はい」
「行く宛、全く無いんじゃないですか」
はい。そうです。
察したフォルは「お嬢様……じゃなかった。ルーン、あなたは案外無鉄砲ですよねえ」と空を仰いだ。
「逆にフォルはなにか、宛がありますか? よかったら頼らせてほしいんですが」
勝手に出ていっていて、申し訳ない。
フォルは「うーーん」と考え込んだ。
「この辺りの、働く宛とかなら。エリーさんなら顔が広いから何か知ってるかも」
「エリーさんね。確かに良い方だから、相談にのってもらおうかしら」
あの海のレストランで働くのは遠慮したいけれど……。お得意様の公爵に会わせる顔がないので。とにかく顔の広さを頼らせていただこう。フォルと共に、レストランに向かってみた。
海沿いを歩き、レストランに着く。お昼からの営業時間に向けて、お店の方々は、ばたばたと忙しそうにされている。話しかけるの申し訳ないなあと思いながらキョロキョロ、エリーさんはホールでテーブルを拭いている。
「……んっ? ルーンお嬢様? ん? こんな時間に……ま、まさか」
きづいてくれたエリーさんは察したようだった。他の店員さんに「ちょっと離れるよ」と声をかけて駆け寄ってくださった。
「すみませんお忙しい時間に押し掛けてしまって! 実はエリーさんを頼りたくて、本当に申し訳ないんですけれど」
フォルと頭をペコペコしながら話し出すと、
「うわっちょっと待ってください嫌な予感しか」
「お嬢様はラウド公爵にひどい扱いを受け、激昂のあまりの屋敷から出ていきました」
「待ってって言ったじゃないのもおお」
フォルが言ってしまった。
「そんなことだろうと思ったわ……。ルーンお嬢様の浮かない顔をみた瞬間に……」
「ご心配とご迷惑をおかけします……」
忙しい時間にご迷惑をかけて本当に申し訳ない。
「それで、顔の広いエリーさんを頼りたかったんですけれど、なにか住む場所と働く場所の宛てはないでしょうか……。急ですみません」
「なんとそれは……」
エリーさんは絶句してしまった。
「旦那様、やっと怖がられないで歩み寄れる女性に出会えたと思ってたのに、残念としか言いようがないですね……。えっと住む場所と働く場所。お嬢様、働くんですか!?」
「ええ、私これでも体力にはそこそこ自信あるので」
「うーーーん、宛て、あるにはあるんですが」
困った表情のまま、
「お嬢様に勧めるのもどうかと思うんですが」と、教えてくださったのは。




