1
深夜、湖緒音商店街も湖緒音高校も、街のどこもしんとして人影はない。
ここのところ、英語に目覚めたノアが自室で中学三年の英語テキストを復習している。やはり基礎は大事なのである。結構いい大学に行った従姉から、苦手科目は遡って勉強するべきというアドバイスを受けて、素直に勉強し直しているノアである。
と、窓の外をふと見やって、驚きと共に窓辺に歩み寄る。
「すっごい……」
☆
湖緒音中央公園では、サッカー・ラグビー場の芝生の真ん中で、ポチが結跏趺坐を組んでいた。サブグラウンドは巨大なテントが、スタジアムでは変電所があって、受け皿になるのがここしかなかったのでポチは移動していたのだった。
ポチが夜空を睨みつけるように見上げている。傍らには心配そうな、けれどキツい眼をした円海が立っていた。
この国ではついぞ見られなかった、オーロラの如く夜空を断ち切るような極彩色の帯が東南から北西に走っている。ラーフラの軌跡は、まるで地上を祝福するかのように美しく、ある意味で荘厳に夜空を彩っていた。
これが見えるということは、七人衆が「勝った」ということだ。負けていれば見るすべもない。彼方に星と見まごう光がきらめいたのを見定めて、ポチは明るい表情で真言を唱えた。
と、円海が目立たぬように、袂から金剛杵を取り出して握った。
かつてないほどの真剣な眼をしていた。
☆
翌日のたちばなである。
もちろん露天風呂である。
遠くで鹿威しの音が、かっぽーんと響いた。
浴槽には、天井を見つめたまま身動きしないアム、燕、雫、若葉、神谷がつかっている。
「なんか……疲れたっスねぇ……」
「……うん……。なんかもう身体が動かない……」
若葉のあてどもない声に、遅れて応えたのは雫である。
「あーもう……息をするのもめんどくせぇ……」
「ホント……なんか、すっごい長かった気がしますね……」
神谷のダルそうな声にダルそうに応えたのはアム。目上だしコーチなのでちゃんと応えるのである。
「せっかくのサービスシーンなのに……サービス精神ゼロとはな……ふっ……」
こういうことを言うのは燕である。
全員がため息をついた。
「詳しくは12.5話と劇場版を見てくれ……」
燕が独り言のように呟いた。
何のことか一向にわからない。本当にもう、何を言っているのか一向にわからないのである。頼むよホント。
「ツッコミ不在なんスから……こんな時にそういうのやめてほしいっス……」
「できなかったら赤っ恥だなオイ……」
神谷が何となくまとめるように区切る。
ちょっと間をおいて、全員が盛大なため息をついた。
奥の一室には、七人衆が座布団を敷き、または枕にし、思い思いの格好で考え込んでいた。
テレビがついているが、誰が見ているわけでもない。
七人衆が揃っているのに、珍しく倦怠が覆っている様子である。
と、がらっと障子をあけて入ってくる高賢と蒼海。
あまり見たいものでもないが、ふたりとも坊主にエプロンの風体であった。蒼海はどういう趣味か、口と鼻がバツになっているうさぎのエプロンである。だいぶキモチ悪い。
ふたりが両手で運んできたのは豪勢なケーキであった。
「うむ。待たせたな」
「デコレーションに凝っておったら、つい時間がかかってしもうたわ。ほれ!」
卓にどででんっ、と置かれたケーキは、若干クリームの塗りに不格好なところはあるものの、巨大なホールケーキに「快勝おめでとう!」とメッセージの書かれたクッキーのプレート、七人衆をかたどったマジパン人形がデコレーションされている、ちょっと「おお……」と言いたくなるような代物であった。
キリが胡乱な眼で乗り出し、ケーキを見渡したのち高賢たちをヤンキー見した。
「……じいさんたちが作ったのか?」
「そうだ、だいぶいい出来だろう?」
得意そうな高賢。
「祝い事と言えばケーキだろう。サムゲタンのほうがよかったか?」
得意そうな蒼海。
「ツッコまないぞ」
ヤミが呟く。
「さもあろう。だがともかく、食え食え」
蒼海がはしゃいだ顔でケーキを切り分ける。
七人で三十cmを超えるホールケーキなので、だいぶ一人前が大きい。間髪を入れず高賢が紅茶を供する。
「……坊主喫茶ですか?」
メイがケーキと紅茶を見比べながら呟く。
「新ジャンルだな……」
ヤミもうんざりした顔でため息をついた。
「ささっ、ぐいっと行くがいい」
蒼海は気にしない。
七人衆は困惑したまま、互いに顔を見合わせつつケーキのフォークを手にした。
ちょっと沈黙。
「……美味いな」
トウマが驚いたように声を挙げた。
「ネタに全力よね、この人たち……」
マナが頷いた。
「そういえば、NASAとCERNは?」
カノンが思い出したように手を止める。
「おお、あやつらなら……」
蒼海と高賢は満面の笑みである。
タイミングよく、流しっぱなしだったテレビからローカルニュースが流れてきた。若い女性キャスターが不幸なニュースを流すときの残念そうな顔で読み上げる。
「今朝、湖緒音中央公園で大騒ぎをしていた外国人の一団が、警察に逮捕されました。付近の住民からの通報で明らかになったもので、彼らはNASAやCERNの職員であるなどと自称しており……」
ぽかんと聞いているヤミたちである。
「酒はほどほどにせいと言ったんだがな。冷酒は呑みやすくても回りやすい」
「よほど嬉しかったのだろうよ。はっはっはっ!」
高賢が難しい顔をするのに、笑い飛ばす蒼海。
七人衆がジト目でふたりを見る。ヤミが静かなため息まじりに独り言を言う。
「……まったく、ポチの奴が不憫だな」
☆
昨日。
サッカー・ラグビー場に、続けざまに轟音を立てて七つ、光の玉が落下した。
こういっては何だが、ポチの真言は大したものなのである。
宇宙からの落下物に対して、真言によって着陸灯のごとき誘導ができているわけで、七人衆にとっては文字通り暗闇の中の光と言っていい。
続けざまに地面を揺らがす衝撃、フィールドの真ん中には巨大なクレーターができていた。
ポチが立ち上がり、クレーターの縁から下を覗き込むと、ヤミたちが折り重なるように倒れ伏している。
思わず滑り降りるポチである。
「おいっ! 大丈夫かっ!」
ヤミを大声で抱き起した。
世にないほどの白い衣装も焼け焦げ、膝までの編み上げ靴も片方失われて素足が見えている。露出している肌のそこここには、傷とすすがまとわりついてまだらに黒い。右眼の下には血が固まっていて、なにか泣いた後のようだ。
だが、その聖性は失われていなかった。
送り出した時と同様、彼女らは何にも拘泥することなく目覚め、笑った。
あれほどに恨んでいた大宅太郎を相手にしたはずなのに、ヤミは爽やかに笑った。
「……なんだ、地獄にもポチがいるのか」
ヤミは命を失う瀬戸際でさえツッコミを忘れない。
「……どうやら生きてるみたいだな、これ」
アユイが驚いたように呟く。
「……信じられない……」
「また死に損なったか……」
カノンとトウマ。平常運転である。
「痛すぎて感覚ねえや……」
「もうやだ……寝たい……あとケーキ」
キリとマナ。平常運転である。
「呆れたしぶとさですね、我ながら……」
メイが呟くのと同時に、互いに少しずつ重なっている身体をずらす。
その様子から指一本ほども動かせないだろうと思われるのに、互いに負担になることを避けようとしている。
文字通り満身創痍なのに。
「ははっ、ほんとだな。すげえなお前ら」
泣き笑いのようになるポチ。
「ふん……さりげなく胸さわんな……」
ヤミが不服そうに言い募る。
「ばっかやろ……! ぼろぼろの奴の胸触ったって興奮しねえよ」
泣き笑いのまま、鼻をすする上げるポチである。
そこに、凛とした声が降ってきた。
いつの間にかポチの脇に立っている円海であった。
「お退きください、ポチさん」
ひどく冷たい眼であった。
金剛杵を構え、片手で印を結びながら真言を唱えている。
「円海……? 何を……!?」
ポチが降三世明王真言を聞いて慌てる。
「大妖どもを封印いたします。どうかお退きください」
「いや、ちょ、ちょっと待てよ。なんでだよ」
「お忘れですか。その者達は大乱を引き起こした大妖なのですよ」
「いや、えぇ? ちょちょちょっと待てよ。今さらそんなん言うか……? こいつらエロ要員じゃん。こじれた方々向けのさ」
ヤミが不服そうにツッコむ。
「おい」
ポチは聞くいとまもあらばこそ、相殺する迦楼羅真言を唱え、円海をじっと見た。
「何も封印するこたねえだろ。憑代と別々ならただの幼女なんだし。なっ?」
ここまでいかにも円海が強力な態で書いているが、高賢の言う通り、法術の力ではポチに勝てるものは実はいないのだ。高賢でさえ(偉そうにしているが)もはや術の行使に入ったポチは止められない。
円海が両手を下す。
「……ポチさん」
「んじゃ縛って分離させるぞ。えーっと、あと、お、二分だ」
宿曜計をちらりと見るポチ。
円海が大声を上げた。
「ポチさんっ!」
何を思ったか、ヤミがポチを突く。
「おい。あいつ怒ってるぞ」
「そうみたいな」
ヤミの脇で結跏趺坐を取るポチ。
そのポチを円海が抱き止めた。
印を結ぼうとする両手をつかむ。
「ポチさんっ! お止め下さいっ!」
ほとんどすがりつくような円海。
「ちょちょちょっとおい! むむむ胸あたってる……」
だいぶテンパった状況なのだからスルーすればいいものを、わざわざこういうことを言うところが、だいぶ残念な主人公である。
「これは当ててるね……」
マナが笑顔でツッコむ。かすれ声。
円海がポチにしがみついたまま顔を上げた。
「わかってますよね!? わかってますよね!? いま禁縛を施せば、あなたの魂魄は……!」
歯を食いしばって必死に感情を抑えている。その歯の隙間から絞り出すように円海は発音した。左眼からは涙がひと筋こぼれ落ちている。
ポチは所在なさげに、ちょっとの間円海を見つめた。
「……あー、うん。そりゃそうなんだけどさ……」
その言葉を聞き、悔し気に口をゆがめる円海。
円海の顔を見届けるようにしてから、ポチは笑顔になった。
「…………なんつーか、ありがとな円海」
円海が切なそうに両眼をつぶる。
いやいやをするように首を振った。
「でもさ、ハクたち戻してやりてえんだよ。あ、いや違うぞほら? 大会あるって言ってたしさ、知らんぷりしたら後で殴られるし……」
円海がポチの胸に頭突きをするように顔をうずめた。呟く。
「ポチさんは、馬鹿です……」
「円海……」
「馬鹿でアホでハゲでピザでキモオタヒキニートでプロのクズです……!」
最後はかすれて聞こえなかった。
「待って、今泣くから」
ポチは泣く真似をしてから、円海の頭を撫でるように軽く叩いた。
優しい仕草で自分の身体から遠ざける。
宿曜計を外し、中心線に沿って金剛杵を構える。
そしていつものように、その時だけの真剣な表情で禁縛を始める。
「陰行、陽行、木行、火行、土行、金行、水行……黄道を縛と成して禁ずるっ!」
封縛の光がポチから迸る。
光が消える直前、脱力したようにポチが声をかけた。
「……円海、あとよろしく、な」
☆
中央公園の巨大テントの外で、果てることのない歓声が響いていた。
地球どころか宇宙の危機をちっぽけな人間どもが救ったわけで、常々その巨大さと精妙さに畏怖を感じ続けていた彼らは、そこにひと突きを加えられたかつてない驚きに酔い、そして何年もできなかったこと、すなわち自分たちをここぞとばかりに一生懸命褒めていた。誰もほとんど文章にならない声を挙げ、涙を流していた。マイガッド、が最も多く聞こえてくる。
奥側、毛布を掛けられた七人衆と憑代たちが並んで寝ている。
本来は医療兵(もちろん女性である)がふたりついているはずだが、誰もいない。
それはそうだろう。この喜びを分かち合えないなんてあり得ない。当番の担当医ごと持ち場を放り出して乾杯しているわけだ。マイガッド!と言いながら。
「ううん……」
ハクが呻いて寝返りをうった。その拍子に眼をあける。
「……よう。気がついたか」
向かい合わせにヤミが半身を起こして、ハクを見つめていた。
「あれ……? 生きてるのあたし?」
「そうみたいだな。よかったな」
「……これで終わった、んだよね?」
「ああ」
ハクとヤミが静穏を乱さぬように小声で会話している。
遠くからは何人ものマイガッド!がかすかに聞こえている。
「そっか……。じゃあさっさと練習したいんだけど」
「……ある意味すごいなお前……」
「もうすぐ本番なんだよ。い……って!」
呻きながらハクは身体を起こした。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
若干苦しそうにハクは息をついた。
眉根をしかめてあえぐ。
「……今のところループ再生されそうだな」
ヤミが顎に手をあてて感慨深そう。
「勝手にしろってのよ。あーもう、ダルい!」
ハクは不機嫌そうに周囲を見渡した。
ハクとヤミ以外に、治療を施されたメイ、マナ、キリ、トウマ、カノン、アユイ。小さな体はほとんど包帯だらけである。
七人衆と向かい合わせのように、アム、燕、雫、若葉、神谷が横たわり、その向こうにしぼんだ空気嫁が寝ている(最後のはなぜ寝かしておくのだろう)。
一周見渡して不機嫌なまま、ハクが口を開いた。
「ポチは?」
「……」
ヤミが視線を落としたのに気づかぬまま、ハクが怒りをあらわにして腕組みした。
「ポチどこよ? あのアホ犬。死ぬほど頑張った私らほっとくってマジどういう神経なわけ?」
「……見るか?」
「当り前よ、もう。何やってんのあいつ」
ヤミの言葉に気づかずに、ハクがふんす!と鼻息を立てた。
☆
巨大テントの奥側、バルーンテントがあった。
無菌のための簡易手術室にもなる、少し空気圧の高い小ぶりのテントである。
その真ん中で正座している円海。
脇に高賢と蒼海も正座している。蒼海は瞑目していたが、高賢は背筋を伸ばしてまっすぐ前を向いていた。どういう形容をしたらいいのか迷うが……一番近いのは、見ると戦慄を感じる「無表情」と言えばいいだろうか。
「……なにこれ?」
不意に上がったハクの声に、蒼海が振り向いた。
訝しそうなハクに蒼海が取って付けたように笑顔を向ける。
「おお、気が付いたようじゃな」
「何よこれ」
ハクは蒼海には一瞥も与えずに、テント中央の布団にふらつきながら歩み寄った。
立ち止まって見下ろす。
部屋の中央にはポチが横たわっていた。
すでに顔色は白く、だいぶ前に生命活動が終わっている気配が漂っていた。
ハクがひざまづいた、
「何寝てんのこいつ?」
遠慮もなくごんごん、とポチの額を叩くハク。ひどい。
「よせ、ハク」
ヤミが低く鋭い声で制止した。
「起きろっつの。何なのポチのくせに」
今度はポチの頬にぐりぐりっと拳をめりこませるハクである。
ヤミが歩み寄ってハクを制止した。
「よせ! ハク、辱めるようなマネをするな」
「……は? てか、何このハイクオリティな死んだふり? 何企んでんの?」
ハクがさらにポチの頭を両手で挟んで押した。むにょーっとなるが、ポチに反応はない。
ヤミが強い力でハクの両手をつかんだ。
ポチから手を離して、ハクは不思議そうにヤミを見つめる。
それに応えるように、一瞬ハクの視線を受け止めてから、ヤミはゆっくりと眼を伏せた。
「死んでるんだ、そいつは」
「……はぁ?」
思わぬヤミの声の重さにハクが首を傾げた。円海、蒼海、高賢を見渡す。
「いや、つうかね……今までの流れ的にあんたたちのシリアス面には一ミリも信憑性がないんだけど」
「お静かに願えますか?」
何か断ち切るような、円海の冷たい声が響いた。
円海は眼鏡をかけている。そのレンズには光が反射していて、円海の表情は見えない……が、その手は震えていて、彼女の感情をこれ以上もなく物語っていた。
ハクが気づかずに軽く返す。
「は? あんまりハードル上げると、ネタばらしキツいよ?」
円海が言い募ろうと息を吸うのにかぶせるように、高賢が無表情のまま口を開いた。
「すまぬがネタではない……そやつは死んだ」
息を忘れるような沈黙。
眼を丸くして高賢とポチを見比べたハクだったが、軽く肩をすくめる。
「待って待って。こいつ死なないって設定だったじゃん。今さら設定いじっちゃダメでしょ」
呆れたようなハクだったが、高賢はそれに応えることもなく、無表情なまま黙っている。
それを埋めるように、ヤミが口を開いた。
「……あのな、七曜封縛ってのは、こいつの魂魄を削って使う術だったんだよ」
「……?」
ヤミがハクを見下ろす。
「私らをあのしょうもないカッコで縛り上げるあの術さ。見た目は下らないが、私たちを問答無用で行動不能にする封印術だ。術としてはありえない絶対の縛りなんだよ。実際、あれができるのは空賢以外ではポチだけさ。そうだろう?」
ヤミが高賢と蒼海に顔を振り向けると、ふたりが無言のまま眼でうなずいた。
「並の代償じゃあれほどの力は出せない。要するに、私たちを縛り上げる度に、ポチは相当な量で魂を削っていたわけだ。各々が一国を滅ぼしてあまりある七人を瞬間で止める運動量を、ポチは一人で背負っていたんだよ。我らの喧嘩の時にもな。それが今回、七人全員縛り上げてお前らを戻すために、魂魄の全てを削り減らして消滅した」
ハクが珍しく狼狽えた。
「え、いや、ちょ、ちょっと待ってよ。何それ? 意味わかんない」
突然、円海が芝居がかったような、痙攣した人形のような動きで笑いだした。
「で、でたーwwwww! 意味わかんないとかって現実逃避なヒロインwwww」
なおも円海は奇矯な動きをしながら、ハクの両肩をつかんだ。
「え、ちょ、何よいきなり……」
「そりゃ叩かれるって! 人の気持ち考えないで言いたいこと言ってりゃ叩かれるって! でもヒロインだからいいのか! そうだね! ヒロインは言いたいこと言えるもんね! だからヒロインなんだもんねっ!」
「な、なによ、それ……」
「わっかんないわけないでしょ! ありがちじゃん! ありがち設定でしょこんなの! 新人でも書ける設定でしょ!」
「あ、あんたねえ……」
円海がどこかネジの外れたような笑顔でハクを覗き込む。
「わかるでしょう? 天然? ツッコミ担当のくせに天然なわけないでしょ。ポチさんはあなたたちのために、禁縛をおこなって……! 命を落としたってゆー……ただ……それだけのそこら辺に転がってるよくある設定ですよっ……」
最後は声にならなかった。
じっとハクを見つめる円海。眼鏡の奥には涙がゆっくりと膨らんできた。
「ちょ……えっと、あんたそんなキャラだったっけ? っていうか、大丈夫、大丈夫なんでしょ? なんかごにょごにょ呪文唱えれば色々いけるんでしょ? いつもやってくれてるじゃん」
円海がゆっくりと手を離した。
そのままハクを無視して、元の正座の形に戻った。首を落とす。
いつもとは勝手の違う様子に、ハクが助けを求めるように辺りを見渡す。
その視線を受けて、蒼海が呟いた。
「残念じゃが……婿殿の魂魄は成仏したわけではない。無量大数に及ぶ極微に分解されたのじゃ」
高賢が前を向いたまま無表情で言葉を発した。誰に言っているわけでもなく、強いて言えば自分に言っている。
「我が孫はバカだと思っていたが、最期はなかなか見事であったな」
高賢は口元をひきつったように緩め、ポチを見つめる。
「わしやこやつの父親で今日があれば、これほどの成功はなかったかもしれぬ……阿鎖奈祇流の誉れよの」
何か続けて言おうとしたが、高賢は言葉を飲み込んだ。瞑目する。
ハクは皆のいつもと違う反応に戸惑っているが、誰が助け舟を出してくれるわけでもない。
ひとわたり見まわしてから、ハクがポチを見る。
――どうやら、ポチは本当に生きていないようだ。
じっと見ていても、胸が上下していない。
確かに、そこにあるのは人ではない。人を終えた何かだ。
ハクは力が抜けたように、ぺたんと座り込んだ。
「……うっそだあ……」
か細くハクは呟いた。




