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ご存知、NASAとはアメリカ航空宇宙局の略称である。
弾道飛行、地球周回飛行を行ったマーキュリー計画、有人飛行、太陽系調査を行ったジェミニ計画、栄光の月面着陸計画を行い、多くの人の記憶に残っているアポロ計画。
そして、初の宇宙ステーションと言えるスカイラブ計画、そしてハッブル宇宙望遠鏡を初めとした数々の挑戦を成功させ、ISSにつながるフリーダム宇宙ステーションを担うスペースシャトル。業績と悲劇を積み上げたスペースシャトルは2011年に退役し、今はISSとオリオンにその座を譲りつつある。
ここケープ・カナベラルにあるケネディ宇宙センターは、それらの計画の中核的存在として、まさに人類が宇宙と接する最先端であり続けてきた。今はビジターコンプレックスと呼ばれる来訪者用の展示やアトラクション施設などもあるが、やはりその広大な敷地は、空軍基地であったころから数えて60年以上、ペイロードをいかに安全に確実に宇宙へ送るか、そのことだけに使われてきた聖地だった。
そう、聖地だ。
ジョン・リックマンは渋い顔でため息をついた。
そんな場所で、なぜ突然訪れてきた、こんな薄汚れた老人たちに指図されなければならないのか? 仕事とはいえ、因果なものだ。
中央前方の壁一面のメインモニターには、いつもと違って宇宙船の軌跡を追うプログラムではなく、主にゴダード宇宙飛行センターからのデータ通信であった。インテグラルと呼ばれるガンマ線観測衛星、そしてガンマ線バースト観測衛星のスウィフトから送られてくる数値の異常を解析中。
室内にほとんど係員全員がひしめきあい、彼らは時々リックマンの脇にいる老人ふたりを見て、?と視線を投げかけるが、リックマンは無視していた。
自分でもまだ半信半疑のまま、というより信じられていない。数値を見てから大統領令を言う順番でなければ、狂人として扱われかねない。
「ジョン、シミュレーション結果が出ました。モニターに回します」
オペレーターが冷静に申し送りをしたが、語尾が震えた。
メインモニターに、精巧なCGモデルが現れる。
太陽、地球と月、水星、金星、火星、木星、土星。
それぞれの楕円軌道が色違いで表示される。
八つの星が軌道をめぐっているが、地球と各惑星がほぼ弓型を取る時点で、地球の軌道平面に対して垂直に新たな軌道が描かれる。
その遠大な軌道を描くために、画面が回り込んでいき、最終的に長大な円であることがわかる。地球の軌道には二度交差する形。
「ジーザス……」
職員のひとりがのどを鳴らしながら呟いた。
「……到達予想時刻は?」
リックマンにしても同じだったが、かろうじてオペレーターに聞く。
「164.784時間。およそ一週間です……」
少し間があって応えが返る。
額に手を当て、天を仰ぐリックマン。
「なぜ今まで予測できなかった?」
「現代物理学の範疇から外れた現象です。あれは彗星ではありません。予測は不可能でした」
最初のオペレーターが応える。最初に結果を見た人間なので最も衝撃が減じていたのか、短く冷静な声だった。
「……CERNからの観測結果は?」
「0.000007秒だけですが、存在を確認した、とのことです」
「……ダークマターの一部が解明されたというわけか。いや……」
リックマンは椅子に座りなおして、顔を撫でた。息をつく。
傍らの老人を振り返った。
「あなた方は、大昔から知っていたのだったな」
リックマンの後ろには、修験者姿の老人がふたり立っている。もちろん、高賢と蒼海である。
蒼海と高賢がしかめ面をした。
「……さっきっから何言っておるのかわからん!」
「アメリカ語が世界共通語だとナチュラルに思ってんじゃねえよ毛唐がっ!」
「ガラ悪いなあんたらっ!」
FU〇Kが連続して入ったスラングでツッコんだ後、リックマンが咳払いして日本語に切り替えた。
……ところで、F〇CKという言葉だが、ネイティブではない人間の中には「クソッ!」「お前の母ちゃんデベソ!」くらいなレベルで感じている人もいるだろうが、それは大きな間違いである。
あれは、顔を一cmまで近づけて、「お前の〇〇を●●に入れて△△した後■■してやるぜ! 楽しみにしてな!」くらいな宣戦布告の言葉であると認識していただきたい。
アメリカという国は、留学にあたって持ち込んだ「週刊〇レイボーイ」が見つかると、「キサマは勉強ではなくレイプしにアメリカに来たのかっ!」とホストファミリーから正座一時間の説教をくらうくらい、倫理観が高い国なのである。
おいそれとFUC〇などという言葉は発音するまい。
「マスターコウケン、マスターソウカイ。あなたがたの言われた通り、太陽系にかつてないほどの異変が起こりつつあるようだ」
リックマンの思ったより流暢な日本語に、何か不満そうなふたりである。「異変が起こりつつアリマース!」とか言えばよかったのか。
「だからそう言っておろうが。疑り深い連中じゃまったく」
「どうやら納得してもらったようだが、何か対策はあるのかね?」
じっとりと緊張の汗をかくリックマン。
ややあって、肩を落として首を振った。
「……不可能だ。人類の科学を結集したとしても、こんなものはどうにもできん」
小声で言ったリックマンの肩に高賢が手を置いた。
「そうであろうな。だが、人の叡智は科学だけではない」
リックマンがおずおずと顔を上げる。
「何か手立てがあるのですか?」
「でなければ味噌も醤油もない国にわざわざ来るものかよ」
蒼海が場を軽くするように、大仰に肩をすくめた。
なかなかよいタイミングのアメリカンジョークだったが、残念ながら不発。
高賢はスクリーンを見上げ、歌うように言った。
「千年に渡って編み出した備えがある。そして、千年を超えて人を救うという意志が眼覚め、集った」
老人ふたりの脳裏にたおやかな影がよぎった。
彼女によってふたりの人生は過酷なものになったのだったが、恨みはなかった。むしろ、ようやく会えたという充足感があった。
あとはお任せあれ、姫よ。
「だが、それも五分五分といったところだがな」
蒼海が再度アメリカンジョークに挑んだが、先ほどより無視される。
「……私たちに何をしろと言うのです?」
リックマンが答えを求めるように辺りを見渡したが、それに応えるものはない。
「力を貸してもらいたい」
「ですから、どのように? 資金ですか? 科学技術ですか?」
リックマンがすがるように高賢を見つめた。
「言葉通りよ。“力”を貸してほしいのだ」
「ちから……?」
高賢が呟くように言った。
「全人類のな」
☆
電話を受けているポチ。
「うん、うん……あー、わかった」
ポチの口調からすると、どうやら高賢かららしい。アプリ通話なので国際電話も無料である。いい世の中になった。
電話を切るポチ。肩を落とす。
「はぁ。またハクに怒鳴られるかな」
円海が居間に控えている。
「ポチさん。高賢様からですか?」
「ああ。例の話するからみんな集めとけってさ」
「そうですか……」
本来、委員長的意志の強さが宿る円海であるが、ひと際厳しい顔をしていた。余裕がないというか、思いつめたような表情である。
ポチはちらっと見てことさらに明るく言う、
「まあ何とかなんだろ。あいつら根はいい奴らだし」
「私が心配しているのは、そんなことではありません」
ポチは虚を突かれたように一瞬止まったが、脱力したように笑う。
「あー、まあ、そっちも何とかなるって……多分」
上がり端から降りてサンダルをはいたポチは、すたすたと隣の家に向かう。気づかわし気に見送る円海だったが、大きなため息をついて、その後を追った。
☆
二日後、朝である。
引き戸を開けて朝の掃除に出てくるポチ。
いつものように朝練に向かうハクとばったり鉢合わせた。ポチが顔を上げるとハクと眼が合う。
「あ、ハク」
「…………」
ポチを無視して道を下っていくハク。
黙ってポチは見送る。




