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縁側の外で雀が鳴いている。
温泉旅館たちばなの奥まった一室にも朝陽が差し、障子に明るい影を落としている。早い客は出立する時刻、そろそろ気温が上がり始める午前七時過ぎ。
だが、玄関の喧騒はこの一室にまでは届かず、ゆったりとした休日の朝の空気であった。部屋の中には、押し入れから引っ張り出してそのまま巻き散らした、といった風に、一面に布団が敷き詰められていて……ヤミたち幼女七人がだいぶ寝相が悪いままに雑魚寝している。
「うぅん……んうう……」
寝返りをうつヤミである。タイミングが合ったのか、トウマとキリも寝返りをうった。
ばたーん!
突然ふすまが開け放たれて、ハクが仁王立ちである。
「いつまで寝てんの! しゃきっとしなさいしゃきっと!」
大声を上げたハクに、幼女七人はゆるゆると首だけ上げる。しょぼしょぼの眼をぼんやりと開けるヤミ。
「あぇ……間に合ってるよぅ……」
「何がだっ!」
「だいじょううぶぅ……」
言いつつ、布団にぽてんと顔を落とすヤミ。
他の六人もむにゃむにゃな状態で幼女らしい反応である。
「……だりぃよぉ……」
「久々に全力出したから……もう……しんどくて」
「……ねむい……」
キリとメイはまあいいとしても、トウマまで対応しない。ぽてんと布団に顔をうずめる。
「今日はさぁ……一日中寝てていいよねぇ……」
「……賛成……」
マナとカノンもぽてん。
「あははは……鴉葉を懲らしめたはいいけど……みんなだるんだるんだぁ……」
参謀のアユイもだいぶ消耗しているらしく、こっちはもう最初から布団に顔をうずめてるのでくぐもって聞こえる始末である。
若干同情的に幼女七人を見たハクだったが、気を取り直して両手を叩いた。
「はいはい! いい? 戦闘シーンはBD特典にしたんだから本編はちゃんとやるのっ! わかったっ!?」
一体何を言っているのか皆目わからない。
「うぇぇぇいぃぃぃぃ」
その姿に似つかわしくない幼女七人の、投げやりに応える声が聞こえた。
たちばなの朝食は大広間に宿泊客を集め、衝立で区切る形式である。
今は大体の宿泊客が朝食を済ませ、朝湯に入った少数の客のお膳が残っているだけで、その少数もあと二組を残すのみとなっている。
ところで、旅館の朝食と言えば、アジの開き(低カロリー高タンパク)、卵(完全食品)、納豆(五大栄養素)、海苔(高タンパクと高葉酸)、季節の野菜の煮びたし(ビタミンB系と食物繊維)、漬物(ビタミンCと乳酸菌)、もちろんササニシキ系のごはん(和食に最適)とわかめと豆腐のみそ汁(油揚げもよいものである)であるが……あれらをキチンと出汁を引いて、かつキチンとした(本来の作り方という意味である)醤油で食べたことがあるだろうか。
「出汁を引く」というのは、ここでは鰹節だと本枯節を指す。露骨に言ってしまうと、出来の良い本枯節一本は三千円以上もする。世の中に流通しているものは九割以上荒節といって、本来のアミノ酸化していないものである。昆布で言えばキチンと「開いて」いるもの(なお、昆布を「開く」には熟練の天候を読む能力が必要である)。
また、「本来の作り方をした醤油」というのは、コップ1杯の量で千円もするのだが、その奥深さには震えること請け合いである。
ぜひ一度、たちばなの朝食を食べてもらいたい。
嗚呼。
うまい。
美味いのである。
朝食に必要とされるありようが、十二分に備わっている。
なんの外連味もなく普通に。
いきおい、小食な宿泊客さえ朝からおかわりしてしまうわけで、夜も素晴らしいが朝も素晴らしい、とこのあたりもリピーターが増える理由なのだ。かなり高級な料亭で大枚はたくより、たちばなの朝食を食べたほうが舌と体が喜ぶのだから当然である。
ヤミたちは厨房を挟んで大広間と逆側の食堂に座っていた。よほどお客さんが来た時以外は従業員用の小区画。
小鉢を並べたお膳が人数分積み上げられていて、みな寝ぐせもそのままにふらふらしながら取り、手近な席に座っている
最も厨房に近い席に、ちょっと騒がしい先客がひとり。今どきどこで売っているのか、分厚い眼鏡をかけた高校生くらいの少女が、頭をぶんぶん振りながら叫んでいた。
「あふあああぁぁぁっっっ! ヤバい! ガチムチヤバいっ! 信長×光秀の天下布武がらみキタ! ダメえっ! 今夜も眠れないぃぃぃっっっ! 左近×六郎も捨てがたしぃぃぃっっっ!」
何かどうも名作と言われる歴史小説を読んでいる気配。本を開いて立ち上がりながら頭を前後左右に振り回している。
それを完全に無視してご飯を盛り付けているハク。
「らめぇぇぇっっっ! 逃避行? ラブ逃避行? 弥次郎兵衛×喜多八は東海道淫猥ぶらり旅いぃぃっっっ! 膝のお毛々くりくりなのほぉぉぉっっっ!?」
ハクは味噌汁をよそって、並んだ幼女七人のお膳にてきぱきと配る。
みな寝ぼけ眼である。
ぞろぞろと席に着いて箸をとると、
「いたらきます……」
舌足らずな声で合掌した。
その間も忙しい先客が、上半身をぐるんぐるんと動かしながら朝食を食べている。よくこぼれないものだ。
「うまうまぁ! はっ! ごはん×味噌汁っ!? 幼馴染だったふたりだけど、ご飯が何にでも合うばっかりに中華や洋食と浮気して、ひとり寂しく置いていかれる味噌汁……。だけど、本当にご飯が安らぐのは!」
「なあ、誰こいつ」
ヤミがもっくもっくとごはんを食べながら、眼鏡娘に一瞥も与えず呟いた。
「そおお! やっぱりふたりの愛は永遠なのおぉぉぉ! エンダァァァッッッ! イァ」
やはり見もせずにハクが眼鏡をはたき落とした。
「……円海です」
眼鏡が取れると、昨晩からの冷静な円海に戻った。
「そうか。飯食ってる時は静かにしてくれよ」
「すみません」
ヤミが食べながら、変身がほどけた円海も素で応える。
毎回演しものは違うが、大体同じような錯乱ぶりに、みな特に気にしていないようである。
穏やかな朝の食事風景であった。
☆
文字通り眼が覚めるようなおいしい朝食が終わり、ハクと円海、七人が食休み中である。
ちなみに温泉旅館たちばなは、お茶もうまい。
これも露骨に言ってしまうが、百グラムで二千円ほどのお茶を使っている。茶葉の縒りが細く尖っていて、熱湯に入れると茶葉の形に戻るような最高級のものである。
それを沸騰した後ぐらぐらと三分ほど沸かして空気を含ませたお湯で、デキャンタ―ジュの如き高空からお茶を注ぐ(一杯目だけだが)。茶葉の旨味成分をすべて抽出するための手法である。たちばなの厨房の入った人間は、最初にこれを叩きこまれるのだ。
栢都の母曰く、「客室が良くて温泉が良くて係員が全員美人で(あ、自分で言うんだ)気遣いが行き届いて料理がおいしくて。それって旅館ならみんな目指すのね」と。
彼女はソムリエのようにお茶を淹れながら笑う。
「でも、あそこはいい旅館だけど、何よりお茶がいいんだよ、て言われたいの。コーヒーとか紅茶みたいにお金取れる扱いじゃないけど、緑茶はね、喫茶の中では圧倒的に健康にいいんだし、おいしいんだよ?」
…………。
結果、栢都の母の意図通り、リピーターが宿について最初に発する一言は、「お茶もらえる?」である。
うむむ。
よくできた麻薬のような旅館である。ぜひ一度ご来館を乞うものである。
さて、その煎茶を飲みながらゆったりしている面々。
食堂の端にあるテレビから呑気なローカルCMが流れている。これ代理店通しているの? と思わず声を上げてしまうような、地方局ではよく見るアレである。
資〇堂とかTOYO〇Aに挟まれて入っていると二度見するわけだが……時々、女子大のCMで、JKが突然宇宙に向かって生身で飛び出していくような傑作があり、正直侮れない。
どこかのオフィス街である。
真面目そうな紺スーツに身を包んだ若いサラリーマンである。なかなか営業もうまく行ってないのであろう、スーツはちょっとくたびれ気味である。彼が公園のベンチにネクタイを緩めて座る。首筋に光る汗を見ると、かなり暑いのであろう。隣のベンチには、彼と同じようにひと休みしているサラリーマンやスーツを着込んでいる女子が座っている。残念ながら平面書き割りの背景である。スタジオ撮影だ。
と、彼らの前を、ひとり歌いながら通り過ぎていく少年。
「ゆ~らゆ~ら、ゆ~とぴあ~、とっこなっつゆ~とっぴあ~」
怪訝そうに見送るサラリーマン。隣のベンチに座るふたりも同様である。
少年の行く先に、なぜかアロハを着てウクレレを弾いている中年のおっちゃんと、これまたなぜか小麦色の肌を露出したフラガールが立っている。
「ゆ~らゆ~ら、湯~とぴあ~、とっこなっつゆ~とぴあ~♪」
おっちゃんが微妙に調子を外して同じフレーズ。
あわせてフラガールが踊りだす。
歌うおっちゃんとサラリーマンの眼が合う。おっちゃんの眼が微妙に笑ってないのがちょっと怖い。
サラリーマンは、はっとした顔になり、ついで満面の笑顔を浮かべて突然スーツを脱ぎ捨てる。隣のサラリーマンもOLも必要以上に幸せそうな顔をして、一斉に服を脱ぎ捨てて、だいぶ軽薄な水着姿になる。
そして全員で幸せそうに合唱。そしてシンクロしてないフラダンス。
「ゆ~らゆ~ら、湯~とぴあ~♪ とっ、こっ、なっ、つっ、湯~とぴ~あ~♪」
書き割りのオフィス街背景が、ざばばっと引き込まれて書き割りの南国背景に変わる。そこはカット替わりでいいのではないだろうか。
「温泉テーマパーク、常夏湯~とぴあ、湖緒音町にグランドオープン!」
ナレーションと共に、連絡先や簡略の地図が表示される。
……いくら予算とアイデアがないとはいえ、もう少し何とか頑張ってほしいものである。
☆
幼女七人がぬぼーっと画面を見ている後姿に、ハクが声をかけた。
「じゃ、あたし部活行くから。片付けしといてよ」
やけに直線的な動きで立ち上がり、お膳を厨房に返し、ドアを開けて出ていくハク。
「うぃおあぁぁぁいぃぃぃ」
と、対照的に曖昧な返事をする一同である。
バトンのバッグを持って出てきたハクが、水を撒いているポチに気がついた。
「あんたも大丈夫なの? こっちで朝食取ればよかったのに」
「よおハク……朝から元気だな」
「そりゃそうよ。大会近いんだから」
「……そおかあ。頑張れよ。朝飯頼めばよかったなあ」
「変態じいさんたちは?」
「ああ? じいさんたちなら朝早くに」
ポチが首を傾げた。
航空機の中である。
朝イチの便で高賢と蒼海はアトランタ経由フロリダ・オーランドに向かっていた。ディズニーワールド行きではない。じじいふたりがディズニーもないもんだ。
モニターには映画が映っていた。
ハリー(ブルース・ウィリス)が悲し気に、しかし心を込めたセリフを発しているところである。
「I wish I could be there to walk you down the aisle.(花嫁姿を見られなくて残念だ)」
必死に涙をこらえるグレース(リブ・タイラー)である。
「But I’ll――I’ll look in on you from time to time,okey, honey?(だけど……いつでもお前のことを見守っているから)」
息をついた瞬間にハリーの眼から涙が零れ落ちる。
「I love you Grace.(愛してる)」
「I love you too.(私もよ、パパ)」
通信が途絶しノイズになり、グレースが泣き崩れた瞬間、宇宙空間でまばゆい光の爆発が起こる。
同時に流れ始めるエアロスミスの「I DON'T WANT TO MISS A THING」。
「うおおおっっっ、ハリィィィッッ!!」
画面を見つめ号泣する蒼海。
「……見事なりっ……!」
涙をこらえて気合を発する高賢である。
修験者姿でエコノミークラスに座り、このご時世「アルマゲドン」を見て号泣する老人ふたりに、外国人の奇異の眼が注がれている。
「アメリカ行っちゃった」
ポチが眉根にしわを寄せる。
「は? なんで?」
「さあ?」
「なにそれ。ってああ! 遅刻する!」
走り出すハクである。
ポチはため息をついて見送った。




