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「な、なんだってー!!」
燕が素っ頓狂な大声を上げた。デフォである。
だが、誰も追わないしツッコまない。
「あ、あれ? リアクションないのかみんな?」
「MMRでもあるまいし」
ヤミが呆れた様子で古典を引いた。
「MMRをバカにするなっ! あれは正しい反応の教科書なんだぞっ!」
「あはは。正直よくわかんなくて」
燕の声に苦笑交じりの声がかぶさる。雫である。
「まあ、なんていうか予想通りっていうか」
「ありがちっスね。そろそろ急展開しないとっスからね」
「あ? シチヨーフーバクってなんだっけ? てか、今日こそ酒出すだろたちばな?」
アムと若葉と神谷である。
揃いも揃って緊張感ゼロである。
アムは慣れきってしまっているのでアレだが、ほかの二人は少し、こう、なんていうか、何か人として大事なものが足らないのではないだろうか。
全員の頭上に響き渡る声で、燕が活を入れる。
「みんな一話から見直せよっ! レンタルでいいからっ! できたら買えよっ! 今なら限定予約特典だってあるんだっ!」
燕は少し錯乱している模様である。
「静かにしろ」
底冷えするような声でトウマが遮った。
が、不思議なことに、温泉のおかげで物理的に少し温かいというか、声の冷たさが相殺されている。
「……っていうか、そもそもスクヨウドウってなに?」
ハクの疑問に、ヨリシローズの全員がうんうんと頷いた。
ポチが見たら血の涙を流しそうな絵面である。こんな認識の女子どもをほぼ死ぬ目に遭いながら守らなければならないとは。
シチヨウーズの筆頭、ヤミがさすがに驚いて眼を見開いた。
「え。おまえ、一応ヒロインなのにわかってないのか?」
「知らないよ。っていうか、ヒロイン私なの?」
「どー考えてもその流れだろ? そこそこかわいいし、発言権でかいし、そもそも主人公を何の許可もなくぶっ飛ばせるし、巨乳だし」
「そこそこってムカつくな! だいたい巨乳じゃないし、それヒロインの条件?」
「昨今、ヒロインは巨乳か隠れ巨乳じゃないとダメらしいぞ」
「おかしいでしょそれ」
「特効入れないとメーカーが頷かないんだよ」
「ちょ」
ヤミが素早くハクの正面に進み出て、ハクの双丘を手早く揉みしだいた。
「ちょ、あんた!」
何を言ってるか皆目わからないが、いやもう、その光景自体は大変よいものである。
目を伏せるようなふりをして、アムが自分の胸元を見下ろした。
彼女も標準以上あって、バトンをやる時にはちょっと邪魔なくらいなのだが、ハクの胸を見て自分の胸を見て、ぷくんと温泉に鼻の下まで沈んだ。
「いやもう、ここはひとつ、人気投票で決めるってのはどうだろうか?」
空気を読まない燕。
「出が少ないのに雫さんあたりに票が集まりそうだからやめて」
ヤミを沈めながら冷静にハクが応えた。
「そうですね。少し、予備知識として知っていただいたほうがいいかもしれませんね」
彼女らの往復を一切無視して、思慮深げに円海が呟く。
「マジでか! 説明コーナーかっ! 白衣とホワイトボードもってきて! 私がやろうじゃないかっ!」
「こいつがいると話が進まないな」
浮いてきたヤミがぼそりと呟いた。
「嫌だっ! そういう流れに乗れない子扱いが一番嫌いだぞ私はっ!」
「大丈夫。燕ちゃんみたいなのも必要だから~」
マナがにこやかにとどめを刺す。
「ごほん。いいですか」
軽く咳払い。円海が左右を見渡して、手を挙げた。
「宿曜道とはそもそも、平安時代に空海たん……んんっ、空海、俗にいう弘法大師らが中国から持ち帰った秘術体系です」
水音をさせないで立ち上がり、円海は岩の縁に座りなおした。
お湯に濡れたタオルで身体を隠すために、前面を覆う。
そうしてみるとむしろ凹凸が際立って、シチヨウーズの中で最も色白のカノンと同じくらい白い肌が、黒い岩肌とコントラスト、たくまずして純和風な色気である。スタイルがいいというだけではなく、やはり艶っぽい色気というのは「物語」であるなあ(慨嘆)。
女子しかいない(当然だが)温泉なので、その色気に留め金が外れる者もいないわけだが、年の割には十分過ぎる色気にアムだけが圧倒されている。
「後年、我が流祖空賢が宿曜道を習得し、陰陽術、修験道など様々な呪術体系を組みこみ、阿鎖奈祇流として完成させました」
「いやだから、そもそもスクヨウドウがわかんないって言ってんじゃん」
「……すみません、これからです。宿曜道は当時最先端の天文学でした。七曜、つまり、今でいう太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星の七つの惑星を観測し、その運行を調べたり、吉凶を占ったりする学問でした」
ヨリシローズの中では、ひと際勉強が好きな雫がうんうんと頷く。
「空賢は惑星の運行を研究するうち、星の運行を司る力そのものに法力が宿っていると気づき、その力を抽出することに成功しました。あなた方にかけられた七曜封縛もそのひとつ。それぞれの星の法力をもって、あなた方を抑え込んだのです」
円海が途中からシチヨウーズの面々をひとりずつ見ながら、言葉を継いでいく。
「あー、なんか聞いたなそれ。忘れてたわ」
「コーチは覚えてなさすぎです」
「な? もうな。覚えてらんないんだよ。これでも私は忙しいんだよ。昔はな、映画のあらすじとか覚えられたけど、もう無理なんだよ」
アムが若干咎めるように言ったが、神谷が若い女性にあるまじきおっさん臭い呟きを漏らす。
だが、雫が同調するように応えた。
「それ、私もわかる。ドラマとか前の週の話覚えてなかったりして。っていうか忙しくて見れなかったりして、あーもういいやってなるよね」
「だよな。もっぱらバラエティになるよな。酒飲みながら笑えるのが一番。マジで。内容いらない。お前も社会に出たらわかる」
妙に説得力のある言葉に、アムが頭を下げた。
「すいませんでした……」
本筋とは関係ないところで三人がしんみり頷きあっている。
「えーと、いいですか?続き」
円海が無表情に訊いた。
「あ、ごめん。続きどうぞ」
「どうも。それで、大妖である七妖のほうですが……」
息を継がないで円海が続ける。
「天慶三年……西暦で言うと九四〇年、東国で反乱を起こした平将門が、朝廷によって滅ぼされました。その十年後、将門の娘である滝夜叉姫が朝廷に反旗を翻します」
それまで黙って聞いていた、カノンが鋭い眼で差し込んだ。
「反乱とはそちらの勝手な見方」
左右を見て、アヒル口でうなずく若葉。
「そっスねー。善悪なんて立場で変わるものだし、トウマたちの言うことも聞かないとバランスはとれないと思うっス」
ヤミが心から驚いたように言った。
「お前、まともな事言うんだな」
「ひどいっスねーヤミちゃんは。正義と悪については小さい頃から考えてるっスよ。それこそデンジマンの頃から」
燕が愕然としてツッコむ。
「いったい幾つ……!」
「DVDボックスっスよ! 昔はお父さんがベータで全巻揃えてたっスけどね!」
「親子二代で脳筋か」
ヤミが笑う。
「っていうかベータってなあに?」
アムが聞いたことのない用語に首を傾げた。
「かつて勃発した熾烈な争いの残り火っス……。高性能なものが勝利するとは限らないという現実をユーザーに刻み込んだ争いだったっス」
「いいからさ、もう、進めてくれよ」
我慢していたキリが、さすがにうんざりして言った。
円海が眉根に癇を寄せながら続ける。
「……とにかく、瀧夜叉姫とその家臣である彼女たちは、法術を用いて朝廷と戦い、人外の大妖と称されるほどに手こずらせました。時の朝廷は術者を集め、関東に派遣。その中に、空賢もいたのです。長い合戦を経て、ついに瀧夜叉姫は滅ぼされ、七妖はこの地、湖緒音町に封じられました」
しん、とする一同である。
当然であろう。
シチヨウーズにしてみれば、自分たちの敗北の顛末である。それぞれに思うところはある。
キリが気を取り直すように鼻を鳴らした。
「よく言うな。お前らがちょっかい出さなけりゃ、私たちだっておとなしくしてたさ」
「それはキリの言うとおりですね。当時、朝廷の干渉は目に余るものでした」
受け取って、メイが本来の冷たさに比例した眼で円海を睨め上げた。
円海は一瞬だけ七妖を見たが、天窓に顔を向けたまま。
七妖たち、キリ、トウマ、カノンの三人は身動きもせずに円海を見つめている。
ひどく重苦しい空気であった。
当然だろう。
千年にわたる恨みを載せ、敵対する双方が温泉に浸かっているわけだ。
逆に、温泉を選んだのは、否が応にも互いの立ち位置を認識する場所として、徒手空拳の場所を選ばざるを得なかったのだ。
円海にしてみれば、裸で相対する場所が望ましかったのである。
「……つまり、歴史は勝者によって記される、というわけだな」
燕がひそひそ声で言ったが、浴室のせいで内緒話にはならない。
何人かが振り返った。
「よくこの空気でぶっこめますね、ドヤ顔で」
「まてまて、ヘンなこと言ってないじゃないかっ! 私だって参加したいんだよっ! ぶくぶく」
ハクが燕の頭をつかんで沈めた音である。
メイがおもむろにため息をつき、口を尖らせて言った。
「で、何が狙いなんですか、円海さん」
円海が首だけメイに向けて見つめる。
「……我が祖、空賢がこの地にあなた方を封じて千年。もう怒りも恨みも消え果てたのではないですか?」
「消えるわけないだろ! 姫様の仇を討たないで、何が家臣だっ!」
面白くもなさそうに吐き捨てたのはキリ。
それを伏し眼がちに、哀しそうにアユイが見た。
「そのような不忠、許されようもない」
「時では押し流せないものもある。空賢はそれを知らなかった」
トウマが重く言い、カノンがはねつける様に応えた。
円海は予想通りの反応とでも言うように軽く頷く。
「……そうですか。あなた方は?」
円海は、今度はヤミたちに顔を向ける。
ヤミもメイもマナも、三人とも顔を下に向けたまま応えない。
アユイだけが、言葉を選ぶようしながら円海を正面から見た。
「……トウマたちの言うことは正しいよ……だが、血の絶えた私には何を為すこともできない。トウマたちのように忠を尽くすことも……ヤミたちのように受け入れることもな」
円海は、少し不思議そうに聞いた後、何かが胸落ちしたように肩の力を抜く。そして、アユイに向かって、かすかに笑った。
メイが冷静な声を挙げた。
「でも、それを問うてどうするのですか? どのみち、あのエロ犬さんにみんな封じられているんですよ」
「ええ、もちろん知っています」
「エロ犬さんはあんなですが、この法輪の封印はなかなかのものです。本人は自覚がないでしょうが、相当の術者です、残念ながら」
メイは肩をすくめて、苦笑で付け加えた。
「なにそれ。ないでしょそれは」
ハクが割り込む。
「もちろん、それも知っています」
円海がハクの半畳を無視して応えた。
「ええっ、マジで? あの犬が? エロ犬が?」
ようやくハクに顔を向けて、ジト目で見つめる円海。
「誤解があるようなので申し上げておきましょう。呪いの力は好むと好まざるとに関わらず、己の内より出でるもの。才なき者はそもそも術を学ぶことすらできません」
その言葉に一瞬、アムが胸を押さえた。
才なき者は学ぶことすらできない。
冷厳な事実というものはとかく認めがたいものだ。
――多くの場合、着たい服と似合う服は違う。似合わないから着ない、と尻込みする人間もいれば、着たいから着る、と決め込む人間もいる。どちらも同じくらい正しく、同じくらい間違っている。
我々の手持ちのカードは、常に驚くほど少なく、望む場所への最短距離は、最も遠回りに見えるものだ。着たい服など最初から存在せず、似合う服などは最初からない、というところから始めるのが、最も望んでいる何かに結局は近くなる。
もちろん、「望んでいるもの」と「望んでいるものに近いもの」の差は、それぞれの混沌に属する問題だが。
「失礼。あなた方のお気持ちはわかりました。……穏便に済めばそれでよかったのですが……」
円海は呟くようにそう言って、洗い場に上がった。
振り返って彼女を眼で追っている面々を見渡し、印を結ぶ。
「……オン・ハンドマ・シンダ・マニ・ジンバ・ラ・ソワカ、唵!」
如意輪観音の印を結んで、低く強い声で真言を発すると、湯船の周囲の石垣に沿って描かれた梵字が光を発した。




