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若葉が夕方の商店街を足早に歩いていた。
歩いていると言うには少し早すぎるくらい、普通の人のジョギングのペースというか、それでもすれ違う人を器用に避けられるよう、内筋を十全に使った歩き方である。後ろから見ると、丸い尻をリズミカルに振りながら歩く、何と言えばいいのか、「勇ましいモンローウォーク」て感じ。
少し先に、見知った小柄な後姿を見つけ声を上げた。
「あっ、雫さん!」
振り向いた雫が、明るい会釈をする。「柚子乃葉」の看板娘はいかなる時にも笑顔である。
「あら? 若葉さん」
「どーもっス。あのー、もしかして雫さんも?」
「ってことは、若葉さんも呼び出されたの?」
どこかしら面白そうな雰囲気を残しつつ、苦笑し合うふたりである。
家への帰路、坂道をゆっくりと登っていくポチとハクである。ハクは下を見たまま、ポチは特にちょっかいを出さず暮れてゆく空を見上げながら、歩いている。
ハクは、自分で悩みを整理している時、茫漠とした顔になって最も口数が少なくなる。頭の中が高速回転している証拠だ。なので、邪魔しないほうがいい。ポチは意識して存在感を消そうとしていた。
――ちなみに、ポチもハクも知らないだろうが、悩みを解決しようとしている時と哲学や宇宙の深遠な問題を考えている時と、個室にしゃがんでいる時の顔は同じである。気をつけたいものである(なにをだ)。
「たちばな」の看板が見えてきた。夕闇の中ではひと際大きく見える。
ポチが遠慮がちに声をかけた。
「……じゃーなー」
返事がないのを確かめるようにうなずき、自宅へ向かうポチ。
その背中に思い直したような声がかかった。
「あー、……ポチ」
ポチが少し驚いて振り返る。
「んんん? なに?」
「いやあのさ、あー……、だからさ、頑張るわ」
「んぁ? なにを?」
ポチにしてみれば、あえてとぼけたのだったが、ハクは顔をしかめた。
「……もーいい。……とぅ」
「は? な? なんて?」
「だからぁ、そのぅ、……ぁ……たとぅってさ」
別にじらしプレイではなく、本当に聞こえずかつ想定される用語があまりに意外だったのでポチは聞き返した。
「クミナタトゥ?」
……いや、呪術師の村は近くにないのである。
ここでそれとは、残念にもほどがある。
「ありがとうっつってんのよ! 文句あんのかアホ犬!」
憤然と叫んで、「たちばな」の門を小走りでくぐるハク。
呆然と見送るポチ。
「……うん、つまり、罵倒か……」
ぼそりとポチは呟いた。
☆
勢いのまま表玄関から入ったハクは、扉を音立てて閉めた。
今日宿泊している幾つかのグループは、夜通し本部で「修業」する予定で、この時間は誰もいないはずである。
「はー……、ったくもう」
盛大に息を吐いたハクの耳に、調子の外れた合唱が響いた。
ヤミとマナ、燕の声である。
「せいしゅん~、それは~、君が~みた光~」
「君が~、み~た~、希望~」
「せいしゅん~、それは~、ふれあいの~心~」
「幸せの~、あお~い~、はる~~」
最後は高らかに三人が歌い上げる。実に楽しそうな歌声である。
カバンを放り投げ、バトンケースを丁寧に置き、いつもの部屋に向かって、どかどかと歩いていくハクの顔は実に不愉快げである。
障子を開けるなり、ハクが宣言した。
「わかったから十発ずつ殴らせて。マウントで」
「もういやーん、ハクちゃんこわ~い」
マナがわざとらしくしなを作って笑った。
「なんなのよもう!帰ってくるなりあんたたちはっ、って……え?」
説教モードに移行しかけて、驚いてハクが止まった。
部屋の中には、三人のほかに、メイ、若葉、雫、神谷コーチ、アムがテーブルの前、少し離れてトウマ、キリ、カノン、アユイが座っていた。
「……あ、あんたたち、なんでここに……」
ヤミが肩をすくめた。
「お前の携帯にも電話したんだが、電波の届かないところに、お・ら・れ・たのでな」
にやりと笑う。
むぐ、と黙るハクである。
アムが口を尖らせた。
「もー、こっちは待ちくたびれてんのよ」
「う、うん……」
アムに言われて、ハクはちょっとしゅん、となる。
「どうしたんだお前?」
いつもと違うハクを、ヤミが不思議そうに見る。
「戻られましたか」
すっと膝を進めて、テーブル前に円海が出た。
「え?」
思わずハクが身構えた。
このメンバーがいるところに、見たこともない人間がいる、ということは、面倒がまた増える、ということである。
「なにあなた? また中二病が増えんの?」
ハクの言葉を無表情にスルーして、静かに円海が告げた。
「みなさま方に大事なお話があります」
ハクも皆も、訝し気に彼女を見つめた。
☆
「たちばな」の露天風呂である。
先ほどのメンバーがそろってお風呂である。
「ってなんで風呂なのよ!」
ハクが湯船から立ち上がって叫ぶ。
いや、まったくその通りである。
まったくその通りであるが、世の中はえてしてそういうものである。
ハクの納得など毛ほども気にせず、マナが首まで漬かりながら、嬉しそうに言った。
「すごいね、女子高生四人に女子大生一人、成人女性が二人に幼女七人だよ! こんなサービス回しちゃったら、もう次はどうしちゃうのかな~」
「みんなっ! 動くんじゃないっ!」
突然、燕が大声を上げた。
燕の珍しいほど真剣な声に、皆が動きを止めて燕を振り返る。彼女は洗い場の真ん中、木桶とケロリン的桶を積んだ上に仁王立ちである。
「ど、どうしたんですか先輩。いきなり」
燕が真剣な顔のまま、ハクに顔を向けた。
「橘、これから話すときはオフだ。わかったな?」
「は?」
一同、きょとんとしている。
燕はじれったそうに両手をふって言い募る。
「いいか、この人数で動いたら、枚数と予算がえらいことになるだろう。せっかくの永久保存回が崩壊回に早変わりだ。基本トメ画で進めるぞ」
「なんの心配ですか」
「甘い甘すぎるっ! バンクもない、予算もない、絵描きもいない、そんなで枚数使ってみろっ! 最終回近くはバンク紙芝居地獄だぞっ!」
「それはそれで名作になるぞ?」
ヤミが澄ました顔でツッコミを入れた。
「認めん、そんなのは認めんぞっ! このあといっぱい動くんだから、今日は、今日は抑えよう。な? な!?」
「え~、そうは言っても、画もつかな?」
マナが不思議そうに言う。
燕はマナを向いてうなずき、ハクを指差した。
「そんな時はサービスカットで尺を稼げっ! それっ!」
燕に応えるように、カメラがハクを舐め回すように追い始める。
?
カメラ?
「こんなのしても、湯けむりT光入るに決まってるじゃないですか。っていうか入れろ。なに映してんだコラ。ってちょ……他の人も映してよっ!?」
途中までは勢いがよかったが、やはり女子高生、カメラの舐め回しには耐えられず(女子高生じゃなくてもな)、一気に赤面して、しゃがみこんであちこち手で隠すハクである。
なにかこう、隠すのが正義、とサムズアップしたくなる光景であった。
「んふ~私は風呂桶とかで絶妙に隠れてるほうが好きだな~」
言いながら湯船から上がり、カランでお湯を注ぐマナ。
その胸元は蛇口、股間は桶で絶妙に見えない。
「んむ! これはお風呂ポスターとして売らねばなるまいなっ!」
仁王立ちしたままの燕だったが、胸元は不自然な湯気、股間はガラス戸の反射光で隠されている。
「そーゆーのって……幼女バージョンのほうが売れたりするんですかね?」
湯縁で面倒くさそうに頬杖をついているメイ。
隣で面倒くさそうにタオルを絞って頭にのせるヤミ。
「終わってるな、日本」
燕が嬉しそうに振り向いた。
「むしろ始まってないか!?」
例によってどんどんカオスに進んでいくのを、静かな声が止めた。
「……よろしいでしょうか」
湯船の奥のほう、円海が口を開いた。
七妖が眼だけそちらに向ける。
「よろしくないよ! なんで風呂なのよ!」
「誰かに聞かれるわけにはいかない話なので」
ハクのツッコミを円海が受け流した。
「みなさんはご存知ないでしょうが、七妖の力を支配したい者は大勢いるのです。一番近いのは薬師幼稚園の園長」
アユイが頷いて、含み笑った。
「園長、大物になりたいからね。楽器だけ教えてればいいのに」
「なるほど……単なるサービス回じゃないってわけか」
小首をかしげて、重々しく少し遅れた感想を漏らす燕。
「……裸ならば空言とは思われぬでしょう」
円海はハクに応えるようにして呟いた。
そして湯船から立ち上がり、七妖を見渡してから、今度は低く強い声で言った。
「瀧夜叉姫が家臣、七妖の各々方。その血を引く憑代の方々」
ハクと同じくらい色白で、ハクと同じくらい胸があってウエストが絞れていて、ハクとちょっと違って小動物を連想させるようなかわいらしさ、ハクとだいぶ違って清楚でおしとやか。
何だか面白くないニュアンスを、特に女子高生ふたりが感じていたりして。
ちなみに、もちろん、円海の胸元や股間にはT光が入っている(安心してくれ)。
円海が一拍おいて口を開く。
「私の名は円海。空賢を祖とする宿曜道、阿鎖奈祇流術者であり……」
ヤミが円海を見つめていた。
その表情の移り変わりを見逃さないように、見つめるというよりは見守っている。
「七曜封縛を解く使命を負っております」




