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幼なじみに首輪をつけるのもやむを得ない……っ!  作者: 真野英二
第8話 「円海<エンカイ>または七妖封縛解呪について」
34/61

 湖緒音高校の体育館は蒸し暑くない、不思議な体育館である。

 体育館で部活をやったことのある者にはわかるだろう、六月の体育館は蒸し風呂と言っていいのだが、ここでは若干べタつくも熱中症になるような心配はない。

 ――人間という生物は、存在するだけで莫大な熱量を放出する。少々めまいがする計算だが……一gの水を一℃上げるのに必要なカロリーが一カロリー。高二の運動部の生徒が、一日に消費するカロリーがざっくり二千四百キロカロリーで、運動している間を絞れば千二百キロカロリー。すなわち、ひとりで一トン以上の水を一℃上げられる。百人いれば沸騰する。そして体育館の中には百人以上いる。マジか。

 もちろん水と空気では媒質の差がかなり大きく、イカれたサウナになるくらいで済むのだったが、六月の体育館が蒸し風呂になるのは避けられない。実際、ジュール換算したら発電できてるレベルである。

 にもかかわらず、湖緒音高校の体育館は蒸し風呂にならない。

 ふむ。

 風が通るからである。

 東南向き、北西に抜けるように作ってあって、暑い時期は山と海に挟まれた湖緒音高校の体育館は、むしろぐいぐいと風が通るように作られているのだ。恐らく設計者か教師に孔明がいたのであろう。


 さて、その蒸し暑くない体育館では、バトン部の神谷コーチがクリップボードを見ながら腕組みをしていた。その前にバトン部の面々が緊張した面持ちで集合している。

 「今から夏大のレギュラーを発表する。人数は十五人。補欠が五人だ」

 神谷は言葉を切って一同を見渡し、それから長めの瞬きをして眼を開けた。

 「呼ばれたら返事をしろ。本宮っ!」

 「はいっ」

 部長の本宮が勢いよく応えた。身長は平均より少し高いくらいだが、身体のカーブが美しい彼女は、幼少のころからバレエをやっていて、動きのキレと優美さを併せ持つ。見る者の眼を否応なく引く、中心で踊る資格のある数少ないひとりである。

 次々に名前が呼ばれていく。正面を見たまま少しだけ身体を寄せてアムがハクにささやいた。

 「やっぱ緊張するね」

 「神谷コーチ、シビアだかんね」

 「まあ気楽に」

 ノアがののーんと半畳を入れた。

 「アタシは当落線上でしょ。足完全になおってないし」

 ハクがささやき声のまま非難で応える。

 「ノアはいいよ。後列の中心でしょーが」

 「そんなのわかんないよ」

 快活な返事が連続する。抑えめの喜びと安堵。

 「咲本!」

 「はい!」

 ノアが返事をして手を挙げる。

 「橘!」

 「! はい!」

 ハクも手を挙げた。

 なおも呼び出しは続き、二年ではなく一年の名前が何人かが呼ばれる。そして補欠。

 「以上だ」

 神谷コーチがボードを下した。

 「これから夏大の課題曲にあわせる。振りはA1から3、C3とD6を重点的にやっておけ。全体の組み上げは一週間後から始める。解散!」


 少数精鋭からなる湖緒音高校バトン部は、それほど人数が多くない。

 二年で呼ばれなかったのは一人だけ。

 実力もずいぶん上がったし、決めも美しい形になりつつあったが、それでもまだ仕上がりには足らない。

 アムは、強がりに見えないように微笑んだ。



          ☆



 夕方の湖緒音商店街のアーケードをのっそりポチが歩いている。

 横ざまから不意に人が出てきて、明らかに周囲を見ていない様子でポチにぶつかった。

 「いってっ!」

 ポチに頭突きするような格好でぶつかったのは、分厚い眼鏡をかけた同年代くらいの女子である。いまどき分厚い眼鏡が売っているとは驚きである。彼女が抱えた紙袋から、薄めの本がどさどさと零れ落ちた。

 ?

 美麗な坊主がふたり、見つめ合っている表紙。

 「ぅぅぅううわああああああああああああああぁぁぁあああああぁぁぁん! あぁあああああああああ……ああ……あぁぁぁあああー!」

 何事が起こったのかと周囲の主婦が振り向くほどの高音で少女が声を挙げた。

 面喰ったポチの詫びも届かない様子。

 「あ、その、すいま……」

 「空海どのー! 空海空海空海空海ぃぃぃいいいうううわぁぁぁ! あぁクンカクンカ! クンカクンカ! スーハ―スーハ―! スーハ―スーハ―!」

 「あ、あの、ちょっと……」

 ポチが若干後ずさった。

 眼鏡女子は聞いていない。

 「いい匂いだなぁぁぁぁ……くんくん、んはぁっ! 空海たんのワイルド獣臭をクンカクンカしたいお! クンカクンカ! あぁあ! 間違えた! モフモフしたいお! モフモフ! モフモフ! モフ! 袈裟モフモフ! カリカリモフモフ、きゅんきゅんきゅい! 「空海の風景」の空海たんかわいかったよぅ! あぁぁ……」

 「あの……」

 「あぁああ……あああ……あっあぁああああ! ふぁあああああんっ! 最澄たんとの絡みあぁぁぁんっ! ありがとう! うぁぁぁぁっありがとうっ! 日本に衆道をありがとうっ! あ? み、見てる!? 今も見てる? 高野山から空海たんが見てるいぎいぃぃぃっ!」

 息継ぎもしないほど叫びながら、ある種ロボット的な動きで本を拾い、そして全力で去っていく眼鏡女子。呆然としているポチである。

 なんというか、「桁が違う」。


 瞬きもせず見送っているポチの後頭部に、スニーカーが突き刺さっていく(どうやって!)。

 「ぶへらぁっ!」

 もちろん、街中で問答無用で飛び蹴りをポチに喰らわす人間はひとりである。

 十メートル近く、早送りのような前方回転で吹き飛ぶポチ(こういう物理法則を無視しかけている動きは、京劇の荒事でよく見られる)。

 「ちょちょちょっと! モザイクいれてっ! モザイクか海苔入れてっ! 血じゃない何か出てるっ!」

 振り返って、ハクに向かって滂沱の涙を噴き散らすポチだったが、ハクは考え込んだ風で静かに言う。

 「ちょっと来て」

 「は?」

 「……いいから来い」

 「……」

 静かな圧に押し黙る、残念な主人公・ポチであった。



          ☆



 湖緒音町駅前である。

 五年ほど前、本線から湖緒音駅と隣駅のふた駅だけをつなぐ、いわゆる盲腸線であった強湖線が第三セクターに移管した鉄道である。

 普通は採算があわないとか、輸送密度が低いからとかで廃線になるのをギリで差し止めて、上下分離方式とかなんとかで存続させるものだが、ここ「ふれあい銀座トレイル」は様相が違う。

 恐らく全国でもかなり珍しい、町が鉄道事業を自主的に引き取ったのだ。

 盲腸線なので貨物関連は赤字だったが、一方で宗教関連のお客さんは引きも切らないので黒字、それらを相殺した結果わずかの利益があがっている状態で、お上にしてみれば、先々の見通しから考えて譲渡しても問題ない、という判断だったらしい。


 そもそもは、各宗教団体の信者が利用しやすくすれば鉄道の利用率が上がるだろう、という考えで始まったものだったが、三年前からいきなり百花繚乱の宗教列車が走ることになった。

 どうせ信者向けならばより沿ったほうが利用率爆上げじゃね? というある種広告代理店的思考により、各団体から公正な抽選を経ていくつかを選び、月替わりで団体ごとのカスタマイズを許すようになったからである。

 この専用列車には本尊を設置してよいことになっていて、キャラクターグッズも満載である。「ふれあい銀座トレイル限定・降魔のお札」など(買わざるを得まい)。

 さらに、外側にフィルムを張るのも自由なので、厳かだったり癒し系だったりサイケだったり(なぜだ)、やがてゾロ目の三ケタを掲げる列車のごとく、空中を登っていきそうな気配を漂わせている。あの世に昇天してしまいそうである。

 実際、若い子たちは「昇天トレイル」と呼んでいる。「きさらぎ駅」は実はこの路線らしいというローカル限定の都市伝説もあるとかなんとか。

 とまれ、ニーズの察知から要望の調査、具体的展望の設置、ステージごとの現実的手段、結果のフィードバック……マーケティングの構築と施行のよい例と言えよう(言えるのか)


 ――ところで、なぜ地方の第三セクターはおしなべてひらがなの名前をつけたがるのか……謎である。一度、小一時間説明を聞いてみたいところである。


 さて、明らかに第三セクターになってから繁盛している駅前、歌が数百万曲あるというのを売りにしているかなり大きいカラオケ店「樹里」がある。部屋数は三十二。なぜスナックみたいな名前なのかというと、もとオーナーがやっていたスナックが入っていたビルだから。

 そこの部屋NO.ⅢLXでは縦ノリで叫んでいるハクがいた。猛っている。

 「このーてをはなーすもーんかー、まっカなァ、ちかァいぃぃィィィッッッツ!!」

 タンバリンを叩くのも忘れポチが硬直している。

 「そォしてェー、かァがやーく、ウルトラソウッ! ハァッ!!」

 何か激怒しているような気配のハク。首も動かせず硬直しているポチ。こういう時のハクはちょっとでも刺激しないほうがいいのを経験上知っているのだ。ましてやここは密室である。攻撃を受けても衝撃を流せないのである。

 続けざまにハクが、マイクを齧り切りそうな勢いで歌う。

 「ボクハウマレソシテキヅクショセンヒトノマネゴトダトシッテナオモウタイツヅクトワノイノチボーカロイドタトエソレガキゾンキョクヲナゾルオモチャナラバソレモイイトケツイネギヲカジリソラヲミアゲシルヲコボスダケドソレモナクシキヅクジンカクスラウタニタヨリフアンテイナキバンノモトカエルトコハスデニハイキョミナニワスレラレタトキココロラシキモノガキエテボウソウノハテニミエルオワルセカイボーカロイド」

 息継ぎなしで叫んだハクが、だんっ! とマイクを置き、ウーロン茶をがぶ飲みする。

 ポチが聞こえるか聞こえないかの声で、独り言のように訊いた。

 「あの……ど、どうしたのかな……」

 ぎんっ! と音がするくらいに睨みつけるハク。

 瞬間的に体育座りになって眼をそらすポチである。刺激してはいけない。相手は猛獣である。そしてここは檻の中である。

 と、ハクが肩を落として座った。

 「あのさ……」



          ☆



 湖緒音高校のバトン部、練習後の更衣室である。

 ハク、アムとノアが制服に着替えている。なんとなく空気が重い感じ。

 ノアがことさら明るく言う。

 「さてね! 夏大に向けて頑張らなくっちゃ!」

 「う、うん……」

 不安げなハクである。アムをちらっと見る。

 「そうだよ。頑張ってよね」

 アムはニカッと笑って見せた。ハクは何となく引き気味である。

 「いや、まあ、ねえ……」

 「なーん、選ばれたからには全力でやんなさいよ」

 「う、うん……」

 テンションが上がらないハクである。今回ばかりは、アムが精度を絞ってきたのを間近で見ている。驚くべき練習量でもあった。

 「なんだかねー、あんまりさ……」

 「しのごの言わないで。レギュラーなんだから」

 アムにしては、少し強い口調だった。言い捨てる、に近い。

 「! そ、それはそうなんだけどさ……」

 うつむいて制服のリボンを直すアム。

 「……ごめん。やっぱ……」

 「アム?」

 ノアが何気ない風を装ってのぞき込んだのを、アムは見ないまま軽く首を振った。

 「……あぁ、違う。その、とにかく……」

 言葉を探し当てるように首を傾げながらゆっくり言う。

 「ちゃんと頑張ってよ……お願いだから」

 「アム……」

 「……手抜いたら、許さないからね……」

 重さの感じられない口調だったが、一瞬ハクはビクッとなった。

 「ごめん、先帰るね」

 変わらず平坦に言ったが、アムはノアとハクを一度も見ないまま、更衣室を出て行った。



          ☆



 ふたり、カラオケのソファで体育座りをしたままである。

 肩を落としているハク。

 「ということがあってさ」

 神妙な顔で聞いているポチ。

 「……そおか」

 黙っているハクに、ポチは所在なさげに頭を掻いた。

 「うーん……。何だよハクらしくねーな」

 「そうだよだから気持ち悪いんだよ。なんなのもうっ!」

 ハクがテーブルをどがッと叩くと、マイクが転がってスピーカーのそばに落ちた。「ピィッ!!」と甲高くハウリングして、ハクとポチがダメージにのけぞる。

 「……ていうか、全部朝川の言う通りだろ? お前ががんばればいいじゃん」

 「頑張るタイプじゃないんだって私は! なんかこう、飄々っていうか、風通しがいいていうか、ふわふわっていうか」

 「ふわふわは朝川だけどな」

 聞こえないように小声でつぶやくポチ。

 「あ? なに?」

 「んん! なんでもない」

 胡乱げな半眼でポチを睨みながらハクが続ける。

 「ひたむきさとか真剣さとか、そういうのから遠いキャラじゃんっ!」

 「いやお前、それ朝川とか聞いたらムカつくと思うぞ」

 「ぽ、ポチのくせに正論言うなっ!」

 痛いところを突かれ、ツッコミに精彩を欠くハクである。

 「正論っていうかさ、うーん。お前、小学生ん時も似たようなこと言ってたよな?」

 「は? そんなことあったっけ?」

 「ほら、なんだっけ、学芸会でシンデレラやるって時にさ」

 眉根にしわを寄せ、ポチが回想する。


 小学校の教室である。

 黒板にシンデレラ役の投票結果が書いてある。ハクの下に正の字で十二票入っている。ダントツである。

 クラス委員がニヤリと笑いながら宣言した。

 「では投票の結果、シンデレラ役は橘さんにやってもらいまーす」

 ぶるぶる震えているハクである。緊張ではなく当惑に怒りが入り混じっている。

 「ちょ、なんで私っ!? やだよそんなのっ!」

 抗議の声を挙げるハクに、クラス委員が冷酷な眼で応えた。

 「これは投票によって決められたことです。いわば我がクラスの総意。貴女がこのクラスに属する人間である限り、クラスの総意に背くことは許されないわ」

 唱和するようにクラスメイト達がはやし立てる。

 「そうだそうだ! 民意に従え!」

 「反逆するつもりか? なら弾劾だ、弾劾裁判だ!」

 「民主主義に弓引く愚者め! 平等という名の正義の鉄槌によって滅びよ!」

 「やだなこのクラス!」

 思わずかぶせるようにツッコミを入れるハクである。

 確かにちょっとやだなこのクラス。

 「ダダこねんなよ。やればいいじゃんシンデレラ」

 頭の後ろで手を組んだポチがたしなめるように言う。

 「うっさい黙れ木!」

 黒板には木役のところ、ポチに三十三人分の票が入っている。

 「木なめんな! 出ずっぱりなんだぞ! っていうか木役って本当に必要!?」

 最後は悲鳴である。

 「嫌なもんは嫌なの! なんで私がシンデレラなのよ! そういうキャラじゃないでしょ!」

 ハクはポチを一顧だにせず言い募った。一応女子メインの劇で主役に押されたのだから、少しくらい嬉しさもありそうなものだが、ハクの顔を見る限り心底イヤそうである。

 「そういうキャラじゃない子にあえてやらせて、いつもと違う面を見ることが萌えるんじゃない」

 若干上ずった嗜虐的な感じで呟き、クラス委員がニヤリと笑った。


 向かい合っているハクとポチ。

 「あー……、あったねぇそんなこと」

 「だろ?……うーん」

 「あったけど……それ、くふっ、関係あるっ?」

 「関係……は、ねぇなふっ、ないな……」

 「だよね……ふぐっ……なんでそれ言ったの? ふふっ」

 「うん……ぶっ、なんでだっ?」

 何か笑いをこらえながら話しているふたりだったが、ちょっと変なテンションになっている。

 「似てな……ぶふっ、なはっ、……はぁぁぁ」

 ふたりとも吹き出すのをこらえるような笑いを少し続けていたが、なんだか今の状況にはあまりふさわしくない、と我に返って……ふたりしてしゅーんとなる。






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