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休日の今日は、用具の手入れの後、軽くダンス練である。
ハクの言った通り、バトン部は復旧中の体育館ではなく、中庭に集合していた。
「ふぃー、終わったぁー」
アムとノアが顔を上げると、最後までバトンの手入れをしていたハクが、汗を拭きながら昇降口から出てくるところだった。
湖緒音高校の体育館から中庭に出るには、本来はちょっと面倒な手順を踏まなければならない。
というのも、敷地内に“古墳”があるからである。
古墳である。
大王がいまわす、あの古墳。
体育館から校舎への渡り廊下を、そのまま中庭に沿った渡り廊下につなげればよいのだが、その途中に小山になった古墳が遮っている。なので、生徒たちは一度校舎に入り、職員用のトイレ前を通って裏の昇降口から出なければならない。
「本来は」と言った通り、そんなまどろっこしいマネをする者はおらず、みな古墳を踏み越えているわけで、おかげでガッチガチに踏み固められたただの小山になっている。由緒を主張した石碑もあるのだが、登る時にみなが手をかけるので、上のあたりがテカテカに磨かれている始末。
バチ当たりである。
残念である。
しかし今は、その前に体育館復旧用の資材が積まれているので、全員が面倒な手順を踏んでいるのであった。
――当然のごとく、なぜ古墳をどかさなかったのかの理由として、移動しようとした工事の業者が急病で次々に死んだとか、当時の校長の夢枕に大王が立ったとか、様々なオカルト系デマが校内限定の伝説としてあるが、まあウソである。そんな危ないもの校内に置いとくわけがない。次官が援助交際をする文科省もそこまでバカではないのである。
唯一信憑性がある噂は、古墳の前で酒盛りをすると大王を怒らせて浪人する、というものだったが、校内で酒盛りする高校生が浪人しないわけなかろう。
ちなみにハクはルールを守っている。いつも昇降口から回っているのだ。理由は特にない、とのこと。
「ハク、こっち!」
ノアが手招きした。
「ごめん、遅れたっ!」
神谷コーチが少し遅れて出てくる。
「ストレッチは丁寧にやれ。終わった者からアップしろ」
はいっと全員の威勢のいい返事。
神谷コーチは小さく頷いた。
ノアがハクを座らせる。
中庭は三分の二ほどがハードコ―ト、主にバスケ部が使っていて、残り三分の一は砂地で天文部が使っている。何をやってるのかはよく知らない。
「ハク、ストレッチ」
「うぃっす」
ノアとアムはすでにストレッチを終わらせていた。アムはもともと体が柔らかいので、ひと通り終わった後は、ひとりで上半身と腕を伸ばしている。
足を開いたハクにノアが背中から補助……と言うには少しハードめである。
「ちょちょっ、ノアちょっと!」
「最近なまってんじゃない? 縦横伸ばしておかないとケガするよ?」
「いや関取じゃないんだからっ! 股割りするっ!」
ノアが声を上げて笑って手をゆるめた。
「あのさ、ハク」
「なぁー、ふん、にー?」
「こないだ体育館壊した人ってさあ」
「いたっけ、うー、そんな人?」
「もう、すぐとぼけるんだから。体育館壊れてるでしょーが」
口を尖らせるノア。
「首輪着け始めたあたりから、なんかおかしいよハク」
「ぐむ……これは首輪ではなく……」
「首輪でしょ」
「うむう、それはそのー……」
ハクとノアのやり取りを肩を伸ばしながら見ていたアムだったが、向きを変えて山の方を見た途端、驚きの声を上げた。
「は、ハク。あれ、あれれ、れれ?」
「んん? なにアム。れ多すぎ」
アムの指差す方を見て、ハクは絶句した。
「…………またこのパターン?」
山側では小規模な竜巻が三つ、空へ立ち上っていた。
☆
消防署のサイレンが鳴り響いた。時ならぬ竜巻の警報であろう。校内で部活をしている生徒たちにも気づいた者がいて、俄然騒がしくなった。
神谷コーチが眼元も険しく、全員に校舎内に入るよう指示する。
部長の本宮が一年生の何人かを呼び誘導を始めた。二年は後詰である。ノアはリーダーのひとりなので、散らばってストレッチをしている部員たちに声をかける。
ハクとアムが今日使う予定のバトンをまとめて箱に放り込み、持ち上げようとしたところで、一ヶ所だけ外部に面しているフェンスががっしゃーんと大音響を立てた。
見ると、ポチと三人の幼女がフェンスに貼りついている。
「ハクっ頼む! 力を、力を貸してくれっえりごーるっ!?」
フェンスの隙間、ポチの眉間にあやまたずバトンが命中した。
おそるべきハクのコントロールである。
「さ、避難避難」
「ち、ちょっと、ハク……」
おずおずとアム。
「ハク、いくら何でも。ポチくん耳から血が出てるよ?」
「大丈夫だって。あの犬は体だけは頑丈だから」
アムはむっと口を結び、少し逡巡してからポチに向き直った。
「ポチくんっ!」
「あ、朝川?」
ポチが震えながら身体を起こした。毎度ダメージの多い役どころである。
アムはわずかの間恥ずかしそうにもじもじしたが、顔を上げてはっきりと言いきった。
「わ、私がやるよっ!」
「ええっ!? ちょ、ま、待てよ早まんなよっ!」
「何でよ? ハクはあんなんだし、わ、私だって憑代なんでしょ?」
「あ、朝川……」
ポチにしてみれば“感動”である。頼みの綱であるハクが助けてくれないどころか、オーバースペックの暴力で拒絶されたところに、光り輝く女神の降臨であった。
メイに向き直る。
ほぼ白目でメイが応えた
「別に、しようがないですけど変態」
「ほんとかっしゃどうっ!」
ポチの後頭部に再びバトンが当たる。重い音。
「待てこらぁっ! なにアムまで学園特捜にしようとしてんだっ!」
ほとんどダメージなしで振り返った(すごい)ポチが涙ながらに訴えた。
「お前にわかるかっ! 純粋な心を踏みにじられ、魂までも奪われた、俺の怒りと悲しみがっ!」
……うん、ちょっと何を言っているかわからない。
メイが鋭い眼で山側を見上げ、早口で言う。
「いいから早くなさい。でないと……」
突風が吹きつけた。
ポチたちの場所を中心にして、学校のフェンスがなぎ倒された。バトン部の部員たちの何人かが転倒する。悲鳴。
後方、少し遠い石段の上の方に、トウマの扇を振り切った姿が見えた。ゆっくりと姿勢を戻す。こちらをじっと見ているトウマに、ポチは息を飲んだ。
石段の上では、眼を細めてポチたちを見下ろすトウマが眉をひそめた。
ポチ=空賢にアムが近づき、ポチが法輪に手を触れようとしている。
トウマはせせら笑った。
「させると思うか!」
大きく扇を振りかぶり、辺りの空気ごと薙ぎ払う。
「来るよ!」
マナが叫んだ。
「えっ! お、お、唵!」
慌てて真言を唱えたポチに向かって、高空でしか存在しない風速が襲った。空気の塊と言えばいいのか、ほとんど固体の破壊力である。薙ぎ倒されたフェンスの一部が、地上から巻き上げられ、ちぎれ飛んだ。
「きゃああああっ!」
避難しきれていない部員たちから悲鳴が上がる。一年生をかばおうとしたノアの姿もある。
それらを律するように、澄明な鈴の音が鳴った。
「私もヤキが回ったんですかねぇ」
鮮やかな青を刷いた着物姿、メイである。ぼやいている感じもどことなくゆるふわな印象、涼やかな眼差しと佇まい。熱量を以て成るトウマの黒赤と好対照であった。
音波による力場によって、一瞬で颶風は相殺されている。
それを見てトウマは石段を軽やかに踏み切って、五十メートル以上の空中をゆるゆると飛んでくる。
ポチが息を詰めてトウマに見入っている横で、何やらメイは考え込んで独り言をつぶやいた。
「えーと……アムさん?」
「は、はいっ?!」
メイの口からアムの口調で少し高い声が出た。
よくできた一人芝居の始まりである。
「やっぱり、意識があるみたいあぁんっ!?」
思慮深い声で言った語尾が、衆目の前では聞かない艶めかしい声に変わった。そのままぺたん、と座り込む。
「あ、あの、大丈夫?」
「……あのですね、あんまり動かないでもらえます? くっ……」
一人芝居をしながら、両手で腰を抱き締めているメイ。
真っ赤になって唇を噛みしめている。
……全体ゆるふわな雰囲気だが、スレンダーの割にはメリハリがあるスタイル、セルリアンブルーの眼が何とも蠱惑的な印象で、しかし口を開けばクールでシニカル、そんな彼女が恥ずかしそうにふるふると震えながら耐えている姿は、ええもう、スバラシイものである。
ポチが厳かに呟く。
「やはり、か……」
ヤミが呆れ顔で突っついた。
「そのにやけ面はやめとけ。放送コードにひっかかるぞ」
「ご、ごめん。暗いところに浮いてるみたいな感覚なんだけど……」
「動かないでくださいね。絶対。お願いですから」
「う、うん」
一人芝居をしながら何とかメイは立ち上がった。
すでにトウマは十メートルほど先に着地してこちらを見据えている。
「痴れ者が。義を忘れるだけでは飽き足らず、大義の前に立ち塞がるか」
「立ち塞がるつもりはないんですけどね。ただ……」
メイが鈴をすっとかざした。
「貴女の押しつけがましいところは、多少腹立たしくも思います」
ふたりが同時に地を蹴る。
トウマはメイに走ったが、瞬時に消えたメイを追って爆発的な踏み込みで真上に飛び上がった。一瞬にして箒の形に整えた法具でメイを薙ぎ払う。
上空から音の塊を散弾状に撒こうとしたメイが、トウマの箒の前に幾重にも力場を作って射ち出した。壁であると同時に、破壊されればそのまま散弾だ。
トウマは空中で残りの散弾を斜め上方に避けながら全て叩き落とした。
「ぎゃああぁぁぁっっ!」
残念なことに、地上に向かった音の衝撃は、ポチ周辺にのみ落ちた。見えない衝撃で瓦礫が巻き上がって、これまたポチ周辺に落ちた。二度ほどごうん、と痛い音。
「避けられるかこんなのっ!」
再び流血のポチである。
「ちょっと、あいつ、全然気つかってなくない!?」
ハクが怒ったように言ったが、断続的に聞こえてくる低い衝撃音でかき消された。
メイとトウマの戦いは中庭とその外側で行われているらしく、言ってみれば頭上で特大の雷が鳴っているのと等しい。ポチとハクは轟音に首をすくめながら、気遣わしげに空を見ている。
とりあえず生徒たちは全員校舎内に避難したらしい。今頃ノアがハクがいないことに気づいているだろう。探しに来なければいいいのだが、とハクは思った。
「おい……ポチっ! 禁縛禁縛っ!」
ヤミが苛立たしそうに声をかけた。
「わかってるって……あ……!」
驚いた顔のポチ。
「何だよ、どうした?」
「金剛杵、壊れたんだった……」
「はぁっ!?」
「どうしよう、あれ無いと術なんかできねぇよ俺っ!」
「アホかぁっ! 法具に頼るなっ!」
珍しくヤミが怒っている。
「ヤミ?」
「メイとトウマの相性は最悪だ。早く止めろ!」
「え、そんな、朝川ヤバいのか?」
「違うっ! トウマがマズイんだよっ! しかも敵同士なら本気になるだろうがっ!」
「え、そ、でも」
「これを使えっ!」
ポチの眼の前に金剛杵が勢いよく刺さった。
思わず上を見ると、校舎の外階段、三階の踊り場に誰あろう、我らが湖緒音高校第五十二代生徒会長、神楽崎燕の姿があった。
燕の長髪が折からの強風になびき、最高の登場シーンである。
「か、会長?!」
「ポチくん、こんなこともあろうかと、アマゾンでポチっておいた」
ぷるぷるぷる、と震える燕。
「そう、こんなこともあろうかとなぁっ!」
嬉しくて顔がにやけている。
「か、会長ぉぉぉっっ!」
歓喜の涙を流すポチ。
「ただな、本物の法具な……五万もしたけどなっ!」
燕の笑顔がわずかにひきつった。
ハクはというと、途中からうんざりとやり取りを見ている。
☆
トウマにとってメイは鬼門だ。
具体的な風に対して音波ではトウマの分がいいように思えるが、メイの本質は「空間限定」だ。音波による力場の設定と解放、そこに人に耐えられない極高周波と極低周波を載せる。
空気と爆圧とで対象物を破壊するトウマに対して、爆発はしないものの空気圧と音波による攻撃はトウマを上回る。あとはスピード勝負である。
すなわち、トウマは規模の大きさにおいて先鋒として有効であるが、メイは規模は劣るものの対人、対小規模戦闘では圧倒的に有利であった。
空気が爆ぜる。
遠距離も近距離も重層的に撃ちこめるメイに、トウマの爆発が追いつくことはなく、衝突を何合か交わすうちにすぐに防戦一方、トウマは確実に削られつつあった。鮮やかな朱色の着物が傷だらけで、自らの血で汚れている。
トウマが空中を鋭角に飛び急停止した。メイを見失ったのだ。
気配に気づき上を見上げるとメイがさらに高空で見下ろしている。
「……もういいでしょう?」
「何がだ」
「あなたもわかっているでしょう。私たちが戦うとしたら、あなたが不利な読み合いになります。そして読み合いなら私は負けません」
「……」
「全く、ヤミは柔らかすぎて困りますけど、貴女は堅すぎて嫌になりますね」
「お前に気に入ってもらおうとは思わん。大義の為なら討つも已む無し」
「そういうところが、ね」
「……大した頭脳派だが、その参謀ぶりは発揮できなかったな」
「!?」
「最後の戦いでお前は何ができた?」
「トウマっ!」
顔色を変えたメイが続けざまに鈴を鳴らした。トウマを中心にして、同心円状に音の厚い膜で包み込む。文字通り圧殺するメイの決め技。
「これを、待っていたっ!」
トウマは薙刀の刃をトライデント状に変化させ、きりもみしながら吸い込まれるように中心点を突き破っていく。
トウマは結果的に最も力場が薄くなる“目”を選択したのだ。少しでもずれれば絶命だが、わずかの可能性に賭けた。
ギリギリで避けるメイ。刃が頬をかすめ、大きく体勢を崩した。
そのメイの前に躍り上がるトウマ。薙刀を振りかぶる。
「終わりだ」
メイは一転して、肩をすくめてため息まじりに言った。
「あなたも、ね」
眉根を寄せるトウマ。
次の瞬間、青い光と赤い光が二人を包んだ。




