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朱色の光が、出現した時と同様、唐突に光が収縮した。
――メイと同様の着物姿だが、若干趣きが違っている。
朱色の着物に細かい模様が施されていて、江戸小紋に分類されると見えたが、染め抜き紋が「抱き」「袖」と入っているところを見ると「背中」にもあろう。「染め抜き日向五つ紋」である。
であれば本来、帯は金銀白しか許されないわけだが――黒い帯。金糸銀糸で恐らくは火の燃える様子を象ってある。
要は、色を除けばこれ以上もない正装であった。
そして、大妖の証明である具足が、通常よりきつく搾り上げた状態で手足、腰についている。具足には、燃えさかる火が一面に刻まれていた。
総体的に、異装の美女である。
小顔で細く長い手足、和服に被われた肢体の伸びやかさは服の上からもわかったが、どういう理由かそれを締めつけている気配。少しソバージュのかかった風な長い赤毛。
全身が燃え立っているようであった。
「トウマですか」
いつの間に戻ってきたのか、ポチの脇にメイがいた。
「久しぶり~」
こちらはマナである。首をすくめながらトウマを見ている。
「千年ぶりか」
綺麗だが、そこだけひどく冷たい印象の眼をしたトウマが応えた。
「そこな娘」
突然、トウマは因達羅へ視線を向けた。ビクビクッとする因達羅。
「御母堂が心配しておろう。早く家へ帰れ」
優しげだが有無を言わせない口調でトウマは語りかけた。明らかに邪魔者を排除しようとしている。死にたくなければすぐ帰るがいい、と。
因達羅は助けを求めるようにポチを見たが、ポチは困ったように笑い返すのみである。
「早く行け」
トウマに再度促され、因達羅は口を尖らせて石段を走り降りて行った。
「……ところでポチさん。早く逃げたほうがいいですよ」
メイがポチの袖を軽く引いた。
「え?」
「そうそう。彼女は私たちの中で一番、頭が固いから」
マナも逆側から突っつく。
ポチがはっと顔を上げると、眼の前ではトウマが箒のようなものを振りかぶっていた。
とっさに金剛杵を取り出して、空いた左手で九字を切る。
張り出した結界に向けて、爆発したような勢いで箒が振り抜かれた。
「おおうっ!」
すぐの返しが結界を押しつぶす。
箒との接触面が微細な対消滅を繰り返し、じりじりと結界が食い破られていく。
金剛杵に接触したと見えた途端、鈍い音ともに結界が砕け、金剛杵は中央に大きくヒビが入った。
「うそおぉっ!」
叫ぶと同時、箒の一撃にポチは弾き飛ばされる。
石段に沿って五メートルほど、バウンドして止まった。あやうくクライマックスの階段落ちである。
「ふん」
トウマは手首だけを返して、箒だったものをひと束のささらのような形状に戻した。大きさは一メートル程度。
彼女の法具は、ひと言で言って「爆発」に集約される。
形状は自由であり、先ほどのような箒のような形、薙刀のような先鋭化した形がメイン。当然切ったり刺したりではなく、接触面の爆発で相手を破壊するものであり、触れる単位面積が小さければ小さいほど、爆発の密度は濃くなる。頑丈な金剛杵さえも破壊する。
特殊な形態として巨大な扇にもなり、これは空気中のちりと酸素を全面で燃やし、立て続けに上昇気流を発生させ、竜巻を起こす形態である。
「最初から全力で殺しに行きますよ」
薄笑いでメイ。
「頑張ってくださいね~」
のんびりとマナ。
トウマがゆっくりと進んでくるのも気にかけず、ポチの方を見ながら今更のアドバイスである。
「ふざけんなよ大妖どもめっ!」
起き上がるなりポチがわめいた。
トウマは興味なさそうにメイとマナを一瞥したかと思いきや、ささらを突然薙刀のような形状に変えてメイを狙った。
「ふんっ!」
虚を突かれたメイに薙刀が撃ち込まれる。
「……んっ!」
返しでマナも吹き飛ばされる。
「きゃっ!」
「お、おいっ!」
思わずポチが立ち上がる。
「何してんだよ、仲間じゃねえのか?」
残心の形でポチに冷たく向き直ったトウマだったが、ゆっくりと正中に戻った。
冷静に構え直す。
「義を弁えぬ者など、我が同胞ではない」
トウマは、静かだが有無を言わさない口調で断言した。
吹き飛ばされたメイは右腕、マナは左腕を亡くし、細かい光の粒子がそれぞれの半身に漂っていた。
「……まったく、相変わらずですね」
片膝を起こして、不機嫌そうにメイが呟いた。
「魂魄に直接って、効くね……」
マナは立ち上がったが、酔っ払いのようにふらふらしている。
「だ、大丈夫かよ、ふたりとも?」
思わず心配そうに訊いたポチに、メイとマナはきょとんとした顔を向けて、次いで苦笑した。
「……貴方に心配する理由があるんですか?」
「ふーん、ポチくんはいい人なんだけどバカなんだね」
トウマは薙刀形を戻して、石突を地面に置いた。ごとん、と重い音。見た目よりもずっと重いものらしい。
「……下らんな」
全員が一瞬で口をつぐむほど、底冷えのする声であった。
「五分試しでも飽き足らぬ空賢を前にして、その腑抜けた態度……」
トウマがギリッと音がするほど歯を食いしばり、メイ、そしてマナを振り向き柳眉を逆立てて一喝した。
「それでも滝夜叉姫様の家臣か、貴様らっ!!」
メイとマナはトウマを見つめたまま沈黙した。
「……滝夜叉姫……姫?」
訝しそうに呟いたポチを睨みつけるトウマ。
「そうだ。東国において、苦しむ民衆を救わんと立ち上がり、大逆の徒として誅されし将門公の御息女、滝夜叉姫こそ、我らが主……お前は知っているはずだ」
「いやっ俺は空賢じゃなくてっ……」
顔の前で手を振るポチ。
睨みつけたまま、トウマは拳を握った。
「主上のご遺志を継ぎ、東国に王道楽土を作らんとした姫を、それに仕えた我々を、朝廷は滅ぼしたのだっ!」
「し、しょうもん公って、平将門、か……?」
トウマ、メイ、マナを見渡すポチだったが、メイとマナは俯いて応えない。
「姫は貧苦に喘ぐ民草を捨て置けなかっただけなのだ。全ては政を疎かにした朝廷に責がある。にもかかわらず、姫に汚名を着せ滅ぼした朝廷の、どこに、義があったというのかっ!」
なおもトウマが大音声で問い詰める。もちろんポチ=空賢にである。ポチが竦んだまま応えようとしないのを見て、トウマは舌打ちした。
再びトーンを落として底冷えのする声。
「間違った歴史は正されねばならない。今こそ、姫の大義のもと、憎き朝廷を滅ぼし、惰眠を貪る愚かな国を破壊する」
ポチは息を飲んだ。これはマジモンである。今までの大妖以上に本気だ。思わずヒビの入った金剛杵を握った手に力が入った。
「それはな、逆恨みという奴だ」
石段の下からヤミの声が聞こえた。ぽつんと立った幼女はしかし、思慮深い色の眼でかつての仲間を見つめている。
トウマは怒りのこもった視線だけを巡らし、わずかに身じろぎをしたのみ。
「……戯言を。義が廃れ悪が横行すらば、世は乱れる」
「だろうな。だが、全ては千年前の話だ」
「時が流れようと、事の善悪は覆らぬ」
「……分からず屋め」
トウマは何かを持ち直すように、昂然と胸を張った。
「是非も無し。封縛を解き、力を取り戻し、朝廷を滅ぼす。それ以外に、我らの為すべきことがあろうか!」
ヤミは眼を伏せて哀しそうに呟いた。
「もう、私たちの出番は終わってるんだよ、トウマ」
緊張感のある静かなやり取りは、突然中断された。
「そこのあんた、こちらは湖緒音警察署だ。無駄な抵抗はやめなさい。これ以上騒ぎを大きくするなら力づくで押さえるぞ。武器を捨てなさい!」
パトロール中だったのか、先ほどの結界を割り裂いた爆発音を聞きつけたらしき警官が五人ほど、石段を駆け上がってきた。少し距離を取って、チーフらしき警官がメガホンで語りかけ、他の警官たちは扇状に広がって包囲する。なかなか訓練された良い動きであった。
湖緒音町の犯罪発生率は中部地方でも一、二を争う低さであったが(宗教都市なのだし)、動きを見る限りは少なくとも税金の無駄遣いはなさそうである。実践の機会がないのに内容のある訓練ができているということは、それだけで賞賛に値する。
トウマが闖入者を冷たい眼でじろりと見渡した。
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
ポチが言ったのはどちらに向かってだったか。
「控えよ、下郎っ!」
瞬時にささらを扇状に広げたトウマが、それを振り抜いた。
何か焦げるような匂いと共に、小さいが強力な竜巻が生じた。周囲の土をごっそりと巻き上げ、ベンチや立木までもが吹き飛んだ。警官たちは、いい感じのきりもみ具合で、一斉に石段や斜面を滑り落ちていく。
「……鈍ったな。加減が効かん」
トウマが当惑したように呟く。
竜巻が生んだ土煙の中、隻腕のメイとマナがポチの腕を掴んだ。
「お、おいっ?!」
「いいから。逃げなさい」
「話して止まるコじゃないよ、トウマは」
振り返るとヤミが軽くあごをしゃくった。全員がとりあえず逃げる、で一致しているようだ。四人は石段を駆け下り始めた。
「おい、封縛は?」
ポチの隣で走っているヤミが声をかけた。
ポチは宿曜計を見る。
「あと一時間」
「駄目だな」
「え?」
「一時間あれば、トウマはこの町ぐらい壊しつくすぞ」
「マジかよ……」
メイが若干白目で言い添えた。
「憑代があれば、止めることもできるでしょうがね」
「……やっぱそうなるのか」
マナが後ろから突っ込む。
「ハクちゃんの裸が見れてラッキーでしょ?」
「おぉ、お、思ってねぇよっ!?」
「急げ。死んだら見たいものも見られんぞ」
「だから見たいとか言ってねぇっ!」
……ポチにしてみれば、トウマも怖ろしいが、ハクに冷たい眼で瞬きもしないで見つめられるのも同じくらい怖ろしい。
ぞわぞわと背中にヤな感じの汗が浮かぶ。
まだあれをご褒美にできるほど人間ができていないのだ。
残念である。




