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湖緒音町商店街はシャッター商店街ではあるが、まだまだアーケード内においては繁盛している店もある。
まず、「魚鮮」である。
多くの人は魚を港の直営販売で買っているのだが、やはり三枚おろし済みの切り身を欲しい人もいるし、このあたりでは珍しいハタなどが上がったりすると魚鮮に持ち込まれるので、そうしたものを求める人も多い。旅館などで量が多い時は手伝ってもくれる上に、かまやあらを仕分けした上でまとめて売ってくれるので、重宝されているのだ。
さらに、「魚鮮」の秘伝である、ヅケである。本来、醤油、昆布、酒、みりんで調味ダレにつけこむだけなので特殊な調味料は考えにくいが……マグロを初めとした赤身の魚のヅケが絶品なのである。どんな仕事かというと……噛む。塩と旨みの絶妙なハーモニー。噛む。旨み。噛む。旨み旨み旨み。もう旨みで卒倒するレベルである。生姜と酒粕が加えられているのはなんとなくわかるが、こればっかりは企業秘密とのことである(ホント教えてくれ)。
加えて白身の魚は昆布締め。旨みをふうわりと閉じ込め、噛んだ時の弾力とまったりと鼻に抜ける香気は酒飲みには堪えられない。冷酒とぬる燗がオススメである。
鮮魚を売るだけの魚屋とは一線を画した、恐るべき戦略性を持った魚屋である。こう言ってはなんだが、茶髪のチャラめのあんちゃんがヅケを作っているわけで、人は見かけによらないとしみじみ思う。
そして、「ファーマーズファーム」。こないだまで「八百近」だったのだが、小太りの一見だらしない息子が継いで以降、誰に騙されたのか全面リニューアルした「八百近」である。先代が郊外にそこそこに大きな農園を作っていて、そこで取れたものを選別して売っているのだ。
「虫がついているのがよい野菜。あたりまえ」と大書した看板が眼を引く。店の名前より大きいほどだ。
ご存じかどうか、実際、野菜の美味さは時間単位である。水野菜などは特にそうだ。完熟のトマトを朝にもぎって、落ち着くまで風通しのよい日陰に置いておく。
小太りの店主が最高にうまくなる時間を見切って店頭に並べると、「ネットに出すと五分で完売」なぞ笑ってしまうレベルで売り切れる。待ち構えている主婦たちの間で戦争が生じるのだ。
これまた頑固でならす、契約した養鶏場の卵が週に二度売り出される(八百屋なのに)のだが、ほとんど放し飼いにした鶏たちが産んだ卵は……想像できるだろうか、箸でつついても黄身が崩れないほど濃厚である。
いやはや、美味いのである。
産前産後のお母さんたち、もしくはその命令を受けたお父さんたちが店頭で待ち構えている。彼らにも良いものだが、何より赤子たちが最もそれを嬉しそうに食べるのだから、それはもう手に入れざるを得ない。
そしてまた戦争である。
特記したいのは、「魚鮮」も「八百近」も……いや「ファーマーズファーム」も、それで儲けようとはしていない。
予約も受けないし、値段も上げない。
倍にしても恐らく売り切れるだろうし、誰も文句など言わないだろう。
けれど、茶髪のお兄ちゃんも小太りの二代目も、真っ当に「稼いで」いる。「儲ける」つもりがないのだ。
そして、お客さん達の中でちょっと具合が悪そうな人とか高齢な人とか、戦争に参加できない人には、全面戦争が生じている脇で、その人に普通に商品を届ける。めっちゃエコ贔屓をしている。
戦争をしている人達もそれに文句を言わない。
必要な人に必要なものを。
よく知っているお客さんの顔を見て、必要なものを考える。商売は本来そういうものである。言葉で言えば簡単だが実際には難しい。それを淡々とやってのける店がこの町にはいくつもあるのだ。
湖緒音商店街はシャッター商店街ではあるが、まだまだアーケード内においては矜持を持って商売している店がある。
そういう商店街である。
☆
さすがに日用品ではないので、そこまでの繁盛はしないが、コンスタントに人が寄る和菓子店がある。
「柚子乃葉」。
店主の依田が、度外れて柚子が好きなところからの命名である。
もう四年ほどになるだろう、縁続きで店番をしている柏原雫が、湖緒音大福をまとめていた。
なんだかんだ言って、依田店主のあんこ作りは大したものだったし、湿度まで見込んで作るからか、いつも売れ残りは雫が持ち帰れるレベルには少ない。実際には商品が動くイベント、子どもの運動会だの老人会のミュージカル鑑賞なども彼はちゃんと考えているので、当然のごとく売り切れる。
雫は当面はあんこ作りを勉強するために、朝四時から作業場に入っている。
彼女は、全体の雰囲気はしとやかと地味の間くらい、小柄で童顔で胸元の肉付きが良い雫が、真剣な眼をしてあんこをぐりぐるりと練る様は……見ものというか、壮観である。拝観料を取れるレベルだ。
「こんちはー!」
「あら、いらっしゃーい。湖緒音大福はあと七つだよー」
看板娘らしい明るい声で雫が応えると、部活帰りのハクとアムとノアが店に入って来た。
「マジっ! 雫さん、湖緒音大福くださいっ!」
「ホント好きだね~。三つ?」
「はいっ!」
照れ隠しのようにハクが振り返る。
「まだあるんですか? じゃあ別に持ち帰りで三つ下さい!」
ノアが間髪を入れずに声をかけた。
「ノアは食べるね~」
「ちがーよ。アタシだけ食べてるなんて、弟が知ったら口きかなくなるよ」
「うーん。わかるう。ほんっとついつい買っちゃうよね湖緒音大福。匂いがもうヤバい。殺人的。死なないけど。じゃなんで殺人的って言うんかね?」
「知らないし唐突だよ。ついていかないよ?」
アムが半眼の顔で突っ込んだ。
「真面目に相手するだけ損。スルーだよスルー」
「うわっ! スルーをする、とかヒドイ。ないわ。それはないってアム」
「私がダジャレを言ったみたいに言うなっ」
雫が笑いながら大福を出す。クレープのように二辺が閉じている袋に入れている。「柚子乃葉」では、和菓子ながらそのまま食べられるような工夫をしているのだ。
「お待たせ。はいこれ」
どうやらハクは本当にお腹が減っていたらしい。至福の顔で受け取るといきなり食べ始めた。
「むはー! これこそソウルフード! ローカルソウルフード! ありがとね雫さんっ!」
雫が笑った。彼女は何年か前のバトン部全国大会出場の時のメンバー、OGなのである。
「いえいえ。どう? バトン頑張ってる?」
「もちろんですもぐ」
「そろそろ大会の課題曲が決まりそうな時期ですし」
ノアも食べ始めながら応えた。
「へー、それは気合入るね。夏輝も一年で一番悩んでる頃だろね?」
神谷夏輝コーチは雫と同期で、共に全国大会に出場している。
アムも大福を食べ始めながら決意表明。
「もぎゅ。私絶対レギュラー取りますよ」
「さっすが。頑張れ~」
ハクが面白そうにツッコんだ。
「アムは猪突猛進だなあ」
「そりゃそうでしょ。ハクもノアも押しのけてアタシは前列二番で踊るのだよ」
「本宮の次で?」
「そ」
「いやさすがに。本宮はバレエ歴十五年だよね? 立ち上がってからこっちバレエし続けだよ? 見よ、トスの瞬間の指先の優雅さ」
「いや、目標は高く持たないとね」
「うはあ。アムは本当に闇雲だなあ」
「なにおうっ」
ふたりのケンカのようなじゃれ合いのようなやり取りを、雫は微笑んだまま見ていた。バトン部の後輩たちはちゃんと真っ直ぐにバトンをして成長している。
面白そうに見ていたノアと眼が合って笑い返す。
「相変わらずね」
「です」
雫は笑顔のまま、ふと気づいた。
「ところでそれ、流行ってるの?」
ハクとアムが怪訝な顔で振り返る。
「へ?」
「チョーカーの延長? ふたりともしてるじゃない、首輪」
ふたりが凍った。なかなか人が石になる瞬間をみることはできないものだが?
☆
夕方、通勤通学の住人たちが家路を急いで「温泉旅館たちばな」の前を通り過ぎていく。
旅館の前では幼女三人がほうきを持って掃除していた。
働かざる者食うべからず、とまではいかないが、ヤミたち三人はさすがに栢都の母から掃除のノルマを渡されたわけであった。
こういうことが苦手なお嬢系のメイのぶつぶつが止まらない。
「まったく、なんで私がこんなこと……」
マナは楽しそうである。マナはもともと戦闘に特化しているので、日常的なよしなしごとの経験があまりなく、表を掃除する、というのはチャレンジングな出来事なので、最もシャキシャキと動いている。実際には散らかす要素が多いわけだが。
「居候なんだし、このくらいしてもバチは当たらないでしょっ!」
「まあ、そういうことだなあ」
ほうきを適当に左右する、気のない掃除っぷりはヤミである。
ざっと幼女がひとり、三人の前に立ちふさがった。
「ちょっと、掃除に邪魔なんですけど」
メイが不機嫌に言ったが何の留意もなく無視、いきなり彼女は名乗った。
「ははあっ! 我は湖緒音十二神将が一、烈火の毘羯羅! うちの波夷羅が世話になったそうだな!」
「……またこの手合いか」
「ヤミというのはうぬか」
悠々と見渡し、ヤミに不敵な笑いを向けた。
「勝負せい、ヤミ」
ヤミが眼を伏せてため息をついた。
毘羯羅(本名はなんというのか)が悔しさから道路を全力で叩いている。ヤミたち三人は門の入口でそれを眺めていた。
えーと……なんだろう、これ?
「この私が……この私が、いっせーのせ、で負けるなんて……!」
彼女はギリッと音がするほどに歯を食いしばり、ヤミを振り返った。
「我に勝ったくらいでいい気になるなよっ! わしなど問題にしない湖緒音十二神将がまだまだおるのだからなっ!」
毘羯羅は三人を睨みながら少しづつ後ずさりして、パッと身体を返して坂を下って行った。おうちで夕飯の時間である。
困った顔で毘羯羅を見送ったヤミを横目で見て、メイが呟いた。
「何とも怖ろしいですね、湖緒音十二神将……」
冷めきった眼である。どこかに大人が子どもを見る時によくある余裕が見える。
「まったくだ。面倒過ぎて怖ろしい」
それに比して、ヤミは真面目に困っているようであった。
「そう? カワイイじゃない?」
ふたりの悩みを知ってか知らずか、マナはころころと笑った。
☆
「またねー、雫さん」
「気を付けてねー」
雫は、三人を見送って店じまいにかかる。今日の売れ残りはほとんどない。
店頭のカーテンを閉めて、菓子の盆を次々に手早くケースから引き出して、洗い場に三つに積み上げた。それぞれ洗い方が違うのだ。
依田師匠はもう寝入りばなであろう。母屋と店舗は離れているので別に気にしなくていいのだが、なんとなく音をさせないように作業をしていると、入口のガラス戸が開く音がした。
「あ、すいませんー、もう閉店なんですー」
営業用の笑顔を向けてからちょっと素に戻る。
立っていたのは幼稚園児くらいの幼女だった。映画で見るような、なにか身体にぴったりとした素材でできた上下。緑色のジャンプスーツというか。
雫が首を傾げて口を開く前に幼女が快活に笑った。
「おーす! やっと見つけたぞ! はー疲れた!」
☆
バトン部の早朝練習は、神谷コーチの迷いを投影してか、朝とは思えないほどの厳しさであった。
後半に転調の多い曲の盛り上がりに合わせて緩い動きと激しい動きを往復し、曲の最後のブレイクと共に全員が位置を入れかわってフィニッシュ!
ポーズを決めたレギュラー候補たちは全員荒い息をついていた。
神谷コーチがわずかの間フィニッシュシーンを見ていたが、両手を二、三度叩く。
「はい、集合~」
息も整わぬまま、汗だくで部員たちが最初の位置に並び直す。
神谷コーチは片手で胸を支え、組んだもう片手で顎を撫でながら部員たちの前を往復した。
立ち止まる。笑顔ではなかった。むしろ少し良いようだ。
「小塚、ロールを基礎からやり直せ。松本と位置を交代。長岡、膝とつま先が曲がってる。早瀬、身体を起こすのが遅い、ストレッチを重点にやれ……」
矢継ぎ早に、感情を込めないで、次々に神谷は指示を出した。呼ばれた部員たちが次々に返事をする。
ハクは黙って聞いていた。自分の踏切りができているのか、聞きたいような聞きたくないような。
「……ちばな。足が合ってきた。合ってない時の音を聞け……橘?」
「ちょっと……ハク!」
ハクの後ろにいたノアがつつく。
「あ?」
「聞いてんのか橘っ!」
「はっ、はいっ!!」
反射的に直立不動でハクが返す。
「……ったく、ぼーっとしてるとケガするぞ!」
「す、すいません!」
少し疲れたのか、神谷がため息をついた。
子供たちとはいえ、その場でその場で判断を下すのは考えが追いつかない。その子がどういう子か、こういう言い方をしても大丈夫か、そう思っている自分の眼に間違いはないか、どこかに落とし穴があるのではないか?
神谷はため息をついた。
少し無言。
ふと気づいたように、神谷は顔を上げた。
「ずいぶんと足はよくなった」
「……あ、ああ、はい!」
「まあ、普通になっただけだけどな」
「は、はひ!」
「それで……と、お前、なんで首輪してんだ?」
眼に見えてハクはギクッとなった。
「あ、ああ、あのその、これはそのう……」
「男か?」
「はあっ!?」
「まあな。もう高校生だからな、とやかく言うつもりもないが……。若いうちから、あんまりアブノーマルなプレイにふけるのはどうかと思うぞ?」
ハクの立ち位置を大事にして、気を使っているように感じない程度に素っ気なく言う神谷。いいコーチである。
しかし、なかなか女子高校生にはインパクトのあるセリフには違いない。途端に皆が口々に言い募る。
「別に普通の変態じゃない? 首輪ぐらいメイドさんもするし」
「いや、まだ変態としては甘いよ。せめてボールギャグぐらいないと」
「変態なら、あれウルフボールって言ってほしい」
「男の所有欲を満たすためだからある意味けなげな変態?」
「むしろつながれていたいっていう心理の変態では?」
「めかぶ大権現」
「というか飼われてる自分を見せたいという変態で」
ハクが押しつぶすように噛みついた。
「変態じゃねえし誰だいまの!?」
神谷コーチが騒ぎをおさめるように両手を挙げた。
「変態プレイはともかく、お前はもっと周りを見ろ! サブチーフなんだから、チーム全体のバランスを考えて演技しろ。わかったか?」
ハクは神谷コーチを振り向いて、納得いかないようにわめいた。
「わかりましたけど変態じゃねえっ!」
ふうふうと荒い息をついているハクを、神谷コーチも部員たちももてあましている。いつも元気だが、キレることがないハクがぶちギレている。
どうやら首輪はあまり触れてはいけないことらしいが、いや、でも、だったら、つけない方がいいんじゃないのか?
と、そんな様子を窺いながら、バツが悪そうにアムが首をすくめた。首の周りに包帯をしている。
ノアは、というと、ハクとアムに視線を振りながら、面白そうな顔になって伺うようにアムに片目をつぶった。




