90話 ライラ
妖精族の娘はライラと名乗った。
エルフの特徴である大きな尖った耳を、人間は奇異に感じるかもしれない。だが、奇抜さを吹き飛ばしてしまうぐらい、紫の髪と瞳は神々しかった。肌の質感はシルクだ。しゃべるたびに、ふっくらした赤い唇から白い歯がのぞき、見入ってしまう。
この顔で懇願されたら、多少のことには目をつぶるだろう。不潔なまま本陣に連れて行かれるのを、娘が恥じらったため、ユゼフは着替えを許していた。近くにある彼女の家で十数分、待たされたのだ。妖精族には人間のような体臭がなく、臭わなかったのだが。
娘が美しかったのでバルバソフは表情を和らげ、穏やかな口調で質問をした。
村の中央にカーペットを敷き、天幕を張って陣営としている。ソファー、照明、クッションなど……家々からかき集めた物を置いて、それらしく体裁を整えていた。
天幕の奥であぐらをかいたバルバソフは、頭領らしい貫禄を見せる。
その両脇でユゼフとアスターは立ったまま、ライラとのやり取りを見守った。
ライラの話だと、イアンたちがこの村にやって来たのは四ヶ月前の水仙の月だったという。
国内で謀反が起こる二ヶ月前。カワウとの八年戦争が終結した時期とちょうど重なる。時間の壁を通ることにより、時を少々遡ったようだ。
村に着いてからは廃城となっていた黒い城に居を構え、村人たちとも交流したという。
「イアン様は貴重なグリンデル水晶をたくさん持っていて……あ、私たち妖精族にとっても、グリンデル水晶は貴重な物なんです。村と村を往き来する商人たちの間では、高額で取引されるんですよ」
出会った当初、おびえていたライラはあっけらかんとしていた。強面のバルバソフやアスターを前にしても臆さない。
「イアン様はグリンデル水晶を売ったお金で、行商人から食料や日用品を買って暮らしていました。ここに来て二週間も経つころには農作業を手伝ってくれたり、他の村へ出かける際、同行してくれたりすることもありました。魔物がうろつくなか、村から出て移動するには、大変な危険が伴うのです。私たちにとっては、ありがたい護衛でした」
村民とイアンの関係は良好だったようだ。
主国の内戦に巻き込まれ亡命してきたと、ライラや村人には説明していたらしい。ライラを含め村の娘たちと親しくなり、城に泊まらせることもあったそうだ。
「イアン様が来て、二ヶ月経ったころにクリープ《キモいヤツ》が現れました。壁が出現した日の前後だったと思います。それから一週間後、村が虫に襲われたんです」
「クリープ、というのは?」
「イアン様がそう呼んでいたので……本当の名前はわかりません。無愛想な……普通の人間……だと思います。イアン様の家来となり、城に出入りするようになりました」
「村が虫に襲われてから、おまえはどうしていた?」
「ずっと納屋に隠れていました。ひと月半くらいでしょうか。納屋に保管されていた保存食で食いつないで……だから、イアン様やご家族がどうなったかは知りません……でも、納屋の屋根近くにある窓から見たんです。恐ろしい魔人たちが村を通って、何度も城の方へ行くのを……」
魔人の話になると、ライラは身震いした。ひと月以上、隠れていたにもかかわらず、疲労の色や汚れが見えないのは、非人間的である。
屋根近くに作業通路があり、換気窓にバケツを吊るして雨水を溜めていたそうだ。雨水は飲むだけでなく、体を清めるのに役立った。また、納屋には非常用の持ち出し袋が保管してあり、歯ブラシや櫛などの生活用品にも困らなかったそうな。
娘に同情したバルバソフは物柔らかに話した。今まで聞いたこともないような猫なで声を出す。
「大変だったな。話が済んだら食事と風呂の用意をしてやろう」
優しい言葉にホッとしたのか、ライラは目にうっすら涙を浮かべた。
「王女様の姿は見ていないか?」
「……王女様?」
その質問にライラはきょとんとした。
「まあ、とにかく身分の高そうな女だよ。見なかったか?」
「イザベラのことかな……?」
「イザベラというのは?」
「イアン様と一緒に村へやって来た女の子です。黒い巻き毛の……イアン様は妹だと言ってたけど……」
「……違ぇな。その女はたぶん違う。王女じゃねぇ」
バルバソフは確認するようにユゼフの顔を見る。
ユゼフは首肯し、彼女に質問しても構わないか身振りで聞いた。そして、バルバソフがうなずくのを待って口を開いた。
「イアンの他にこの村へやって来たのは何人だ?」
「三人です」
即答するライラにユゼフたちは驚きを隠せなかった。
「たったの三人だと……」
バルバソフがつぶやく。ユゼフは質問を続けた。
「その三人はイアンの家来か? 名前は?」
「イアン様は兄弟だと言ってました。嘘だと思うけど……だって、全然似てなかったから……名前はさっき言ったイザベラと……サチとニケです」
「……サチだと? サチ・ジーンニアのことか!?」
「姓は知りません」
バルバソフがにらんだので、ユゼフは質問をやめた。
──サチが、あのサチがイアンと一緒にいる……
ダモンは死んだと言っていたから、魔甲虫の襲撃で命を落としている可能性もあるが……
正義感の強いサチがイアンとこんな場所に来てまで、行動を共にしていたとは意外だった。
半年前、酒を飲んだ時、ローズ家でこき使われたくないから、王国軍に志願しようかと言っていたのに……頭を使うのが得意なサチは、剣を振るうのは苦手だ。それでも、ローズ家が嫌で志願を考えたぐらいだった。
質問権はまたバルバソフに移った。
「女が一人にあとは男二人か?」
「男の子です。ニケはまだ十才くらいですし。サチも二十前に見えました」
「……マジか、女とガキ二人だってよ! おい、アスター!」
バルバソフは横にいるアスターに顔を向ける。アスターは落ち着いた調子で答えた。
「まあ、我々も人数的な差だけで似たようなもんだがな……」
完全に緊張が解けたライラは口元に微笑を浮かべた。美しいだけじゃなく艶めかしい。ボリュームのある唇が上下するたび、目が釘付けになった。
ライラは聞かれてもないのに話し始めた。
「四人とも仲良しでしたよ。湖のほとりでよく遊んでいたけど、なんだかとてもいい雰囲気で……本当の兄弟みたいでした。ニケはかわいいし、私にも懐いていました。村の子供たちと遊ぶこともありましたね。サチは農作業を手伝ってくれたり、お菓子を作ってくれましたし、お城に泊まった時はおいしい料理で、もてなしてくれました。イザベラはおもしろい子で……」
「もういい。だいたいわかった」
バルバソフは話を止めた。
「アンデッドは退治したから、元いた家へ戻るがいい。また、何かあったら呼ぶからな?」
ライラが天幕を出ると、バルバソフは笑いながらアスターを見た。
「女とガキだけ連れてイアン・ローズは逃げて来たんだな? みじめな殿様だな、おい」
「……だが、魔物を操り王女をさらった」
「こっちだって、魔物を操る奴なら隣にいるだろうがよ?」
バルバソフはユゼフを顎でしゃくる。アスターはいつも思案する時、そうするように髭をなでた。
「ユゼフ、聞いたなかに知っている者はいたか?」
「うん。サチというのは友人だ。ローズ家に仕えていた。イザベラはどこの娘かわからない……ニケというのは……」
ユゼフは言い淀んだ。ニケに関しては自信がないが、もしかしたら……
アスターは目をつぶり、言葉を引き継いだ。
「……ニーケ王子、末のニーケ王子だな、おそらくは……主国から届いた文には、王子は全員殺されたと書かれてあったのではなかったのか?……」
「ほう、仲良し三人のうち、一人は人質だったってわけか?」
バルバソフが口を挟んだ。
「……にしても思いのほか、緊張感のねぇ敵だな? 逃亡者のくせに女をはべらせ、人質と仲良しごっこにお菓子作りとか言ってたか……?」
「たしかに、バルバソフの言う通り妙だ。余裕があるのか……亡命者らしからぬ。人質も人質らしからぬし……ユゼフよ、そのサチというのはどういう奴だ?」
「ダモンは死んだと言ってたけど……賢くて正義感が強い。潔癖で……」
「普通の人間か?」
「ああ、普通の人間だ。剣は苦手だった」
「ふむ……」
その時、天幕の外からラセルタのうわずった声が聞こえた。
「ユゼフ様!! イアン・ローズから手紙の返信が届きました!」
予想以上に早い反応だった。




