87話 黒獅子②
「ユゼフ様、アラムが……」
ラセルタの言葉にユゼフは反応した。少年の視線の先には黒獅子たちの屍に紛れ、無残に引き裂かれたアラムの遺体があった。
さらに視線を移動させると、小麦畑の前で三人が棒立ちになっている。
──一緒に戦っていたのはラセルタとアラムだけだったのか……!?
アラムは気球の操縦担当なので、通常であれば後方で待機させる。着地に失敗した時、アラムは飛び下りていた。ユゼフの指示通り、魔獣に立ち向かっていったのだろう。
アラムの遺体は左肩から腹にかけ食い千切られており、凄惨を極めていたが、意外に死顔は綺麗だった。
ぴったり閉じられた瞼に、一直線に結ばれた唇。千切れた胸からこぼれ落ちた心臓は、まだ血を噴き出している。ほぼ即死だったのだろう。あまり苦しまないで済んだのは幸いだった。
同行した盗賊の七割が亜人。アラムは数少ない普通の人間だ。年齢はユゼフとそう変わらない。武闘派でありながら機転も利き、アキラは重宝していた。
五首城にて、アラムは魔甲虫の攻撃で屍獣化した者たちを相手に戦った。投石で負傷したにもかかわらず、勇敢だったとユゼフは聞いている。気球の操縦担当に選ばれたのも、とっさの事態に対応できる精神性を見込まれたからである。
風の動きを感じて上空を見上げたところ、バルバソフ率いる二番隊の気球が降下しようとしていた。
ユゼフは両手で大きな丸を作り、大丈夫だと合図した。この休耕地は着地にちょうどいい。
邪悪な気配は消えていないが、襲ってくる様子はない。墜落した気球の火は消し止められていた。
ユゼフは戦いに参加しなかった三人とラセルタに、亡骸を一ヶ所へまとめるよう命じた。自身はゴンドラへと向かう。
「死者一名、負傷者一名、行方不明者十名……か」
バルバソフは特に顔色を変えず、報告を聞いた。アキラがいない今、バルバソフが本隊長である。
アスターとレーベの気球が着地したところで、ユゼフはバルバソフに現状を報告した。
気球墜落時、ゴンドラに残っていた四人は軽い火傷を負い、操縦担当のホスローは体勢が悪かったのか、足を骨折していた。ユゼフとラセルタは血を流しているものの、戦闘には差し支えないので負傷者としてカウントされない。
「ケガ人はこちらへ!」
レーベが声を張り上げる。各気球に一名ずつ乗っていた医療担当が集まり、ケガ人の手当てを始めた。
「ユゼフ様も手当てが必要です」
ラセルタが促したが、ユゼフは首を横に振った。黒獅子の爪で両肩を傷つけられ、上半身は血まみれだ。しかし、極度の興奮状態から解放されず、たいして痛まない。
「ラセルタ、おまえは手当てしてもらえ。俺はバルバソフに話すことがある」
ユゼフはラセルタを追い払い、バルバソフのほうを向いた。
「すまない。操縦担当のアラムを死なせてしまった」
「おう」
「指導力不足で、戦闘員を命令通り動かすことができなかった」
「うむ」
「正直どうすればいいのか、わからないし、皆を率いて行く自信がない」
「……はぁ!?」
ユゼフの言葉が予想外だったのか、バルバソフは素っ頓狂な声を出した。
「テメェがオレらを巻き込んだんじゃねえか!? 何を言ってやがる! 自信がないから、隊のリーダーを降りたいってんじゃねぇだろうな? チキン野郎が!!」
バルバソフが顔を赤くして怒り始めたので、横からアスターが口を挟んだ。
「ユゼフはそういうことが言いたいんじゃないと思う」
「じゃあ、なんだってんだ!?」
「まあ、落ち着いて話を最後まで聞こうではないか?」
バルバソフは納得のいかない顔だったが、とりあえず、がなり立てるのはやめた。
ユゼフはおずおずと口を開いた。
「人の上に立って指揮をとるということ自体が初めてで、どうすればいいかわからない……だから、二人にご教授願いたい」
ユゼフはバルバソフとアスターに頭を下げた。
「三人、戦わねばならない時に恐怖で動けなかった。命令に従ってくれなかったんだ。そのせいでアラムは死んだ」
「テメェが弱気なのがいけねぇんだよ! ちゃんと命令したのかよ?」
「自分ではちゃんと言ったつもりだった」
バルバソフが何か言おうとしたところで、アスターがまた口を挟む。
「わかった。私が指導しよう。バルバソフもそれで矛を収めてくれ」
バルバソフはギロリとアスターをにらみ、少しだけ思案した。
ここでユゼフを叱りつけようが、どうにもならないことぐらいわかっているのだろう。何かと出しゃばってくるアスターはうっとおしい。それでも、肌の合わないユゼフの相手を代わってくれるのは助かる……と、そんなところか。
「いいだろう。アスターに任せる……残りの気球二基が着地したら、村の家屋を隊に分かれて探索する。それまでにケガの手当てを済ませろ。アスターの隊はユゼフのところと一緒に行動しろ。その際アスターが長となり、ユゼフは従え……以上だ。持ち場へ戻れ」
ユゼフは素直にうなずいた。
バルバソフのもとから離れると、アスターはユゼフの肩を叩いた。死が隣にあることを忘れさせるほど気楽に、緩んだ顔をして……
「アラムのことは残念だったが、魔獣相手によく健闘した」
まさか、褒められるとは思わなかったので、ユゼフはどう表情を作っていいかわからず、下を向いた。
「動けなかった三人のことだが、あとで私が指導する。おまえは横で見ていろ」
「あ、アスターさん。ありがとう」
ユゼフは慌てて伝えたが、アスターは振り向きもせずスタスタ行ってしまった。




