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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第五部 戦わない戦い(後編)一章 ミリヤ
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5話 情報収集

 四階の天窓から外へ出ると、重苦しい暗夜がミリヤを待っていた。

 冷気を含んだ霧雨が気持ちを切り替えさせる。憐憫、男の残像、どれも過酷な現実を前にして霧散する。

 イザベラのほうきはよく飛んだ。魔法の札の暖膜効果で寒くはない。王都の虫食い穴には手を回しているだろうが、構わなかった。虫食い穴はいくらでもある。

 有事の今、逃げた愛人を追うのに、すべての虫食い穴を検問させられはしないだろう。

 今ごろ、シーマは寝る暇もないぐらい忙しいはず。今後の方針を固めるための軍議、内政関連の雑務の山、情報収集に加え、各国との連携も取らねばならない。ミリヤのことに時間を割く余裕は皆無だ。王の座を投げ出したい衝動に駆られているだろう。ストレスで、また太るかもしれない。


 ──いいんだよ、シーマ。あんたはそれでいいの。デブに戻ろうが嫌いになったりしないからね。あんたがおデブちゃんでなけりゃ、恋に落ちてなかったもの


 太っちょの拷問吏が国王とは思いもせず、ミリヤは油断していた。ディアナのもとへは帰れぬと自暴自棄にもなっていたし、加害しようとしない拷問吏の愛玩になるのを良しとした。素の自分をさらけだし、本音を吐き出しもした。そんな自分をシーマは受け入れ、やがて前世の記憶がつながった。

 最初から正体を知っていたら、好きにはならなかったのだ。


 目指すのは、シーマの第二の故郷シーラズ。シャルドン領だった大きな湖を中心とする盆地である。

 城という籠に放り込まれたシーマは、偽りだらけの人間社会を学んだのだろう。そして、微笑みの仮面を被るようになった。

 シーラズの虫食い穴からローズへ行く。ローズの時間の壁を通り、グリンデルへ入ろう。


 アンジェリーヌ夫人の誘惑に勝ったミリヤは怖いもの知らずだった。離れると、自分があちら側の人間ではないことを痛感する。真綿にくるまれていいのは、彼女たちのような善人だけだ。


 ──わたしの手はすでに真っ赤な血で汚れている。だから、死ぬまで戦い続けないといけないんだ。


 松明に照らされるシーラズ城が見えてきて、ミリヤは高度を落とした。




 ††  ††  ††


 翌日、ミリヤは百日城の城下にいた。

 明け方、宿に入って、二、三時間は眠れただろうか。充分な睡眠時間だ。

 宿の酒場は瀝青城から引き揚げた兵士たちで込み合っていた。兵士姿のミリヤは、普通に紛れ込める。特権階級の騎士が混じっているのは、注目すべき点だった。

 王城にいる騎士の数はせいぜい百程度だろうが、有事の際は倍以上に膨らむ。城内の軍営に収容しきれず、城下の宿屋を利用しているのだった。


 宿屋では、普段から馬商隊や傭兵団を受け入れていると思われる。酒場には百人近く集まっていた。前線で戦った戦士たちは興奮冷めやらず、酒を呑み、大騒ぎしている。

 高価なワインが振る舞われているのには、非日常感があった。女給の腕を引っ張っている者や、くだらないことで喧嘩をしている者たちもいる。死に直面したあとの人間たちは、獣に近くなる。


 ミリヤは入り口の前で立ち止まり、獲物を探した。そこそこ情報を持っていて、口が軽く、女好きでお人好し。育ちが良くて、ボンクラのほうが助かる──いた!

 長テーブルの端で友達と猥談で盛り上がっていた若い騎士。ちょうどその隣の騎士が小用で席を立ったところだった。騎士かそうでないかは服装でわかる。服の色、生地、仕立て、装飾など。上質なウールでキルティングされた赤色のダブレットは貴族的だ。

 ミリヤは髪を下ろした。


「あのぅ……お隣は空いていますでしょうか?」


 上目遣いでおどおどした様子を演出する。栗毛の騎士はミリヤを凝視し、すんなり隣に座らせた。


「五番隊に所属していたのですが、はぐれてしまって……」

「どこの五番隊だろう? 徴兵隊なら城の近くに天幕を張っているが……」

「ああ……天幕の方でしたか。困りましたね……」


 案の定、せっかくだから、ここで飲み食いしていけと騎士は誘ってくる。ミリヤは気弱なふうを装い、騎士の酌をした。

 騎士は上ずった声でミリヤの出身や入隊の理由を尋ね、質問に飽きると自分の話をした。ミリヤの顔をのぞき込んできては、顔を赤らめる。

 定型通りの男はつまらなかった。シーマに比べたら、赤子の手をひねるようなものだ。愛する男の機嫌を取るのは難しかった。

 数分で騎士はミリヤの肩に手を回し、その席に座っていた友達のことなど忘れてしまった。


「魔女の力で時間の壁を通るとは、主国の連中は思いもしなかっただろう!」

「ええ……ディアナ女王を捕らえただけで、撤退するとも考えてなかったでしょうね」


 ミリヤは勝利に酔う騎士に相槌を打った。


「我が国の強さを知らしめるためさ。ひとまず、一国潰して様子を見るといったところだ」

「女王陛下(ナスターシャ)は策略家であられますね」

「そうそう! 魔人なんぞに尻尾を振る瀝青城の売女なんか目じゃねぇよ!」


 騎士たちはディアナをあばずれ、尻軽女と嘲笑った。


「明日の戦勝パーティーで処刑されるんだろ? 淫婦の塔に串刺しにされるとか?」

「見物だろうな! 処刑のまえに侯爵以上の貴族に振る舞われるらしい。クラウディア女王の時みたいに……」

「あばずれに相応(ふさわ)しい最期だ……ん、どうした? 具合でも悪いのか?」


 うつむいていたミリヤは声をかけられ、顔を上げた。

 “振る舞われる”だと!? そんなことを許すものか! 荒狂う内心を封じ込め、ミリヤは笑顔で尋ねた。


「戦勝パーティー、わたしも行ってみたいなぁ……でも、ただの兵士は入れないんでしょう?」


 撤退した二、三日後に戦勝パーティーを開くというのは、予測した通り。彼らの目的は城の占拠ではなく示威だ。ディアナを確保するという目的を果たせたので、勝利した位置づけになる。しかし処刑とは、パーティーの催しとしても狂っている。

 はぁーと大げさに溜め息をつき、ミリヤは流し目を送った。軽薄そうな騎士の鼓動が早くなる。


「俺と一緒なら、入れるかもしれないよ!」


 簡単すぎる。張り合いがない。しかしながら、予定通りにことを進めるには適している。

 ミリヤは喜びの声を上げ、男の頬にキスをした。

 それから数刻後、ミリヤはその騎士と寝た。



 心が痛まなかったと言ったら嘘になる。

 行為の最中、シーマの影が頭から離れなかった。


 ──くそっ……以前はなんとも思わなかったのに。それもこれも、全部シーマのせいだ


 キスもせず、服も脱がなかった。ミリヤはよっぽど気に入らないと、自分からキスしない。隙をつかれ強引に唇を塞がれ、吐きそうになった。自分より弱い男は嫌いだ。騎士は不審がっていたが、ミリヤが接待してやると満足した。


 三流貴族の三男坊。騎士団での地位も底辺だろう。騎士の称号以外に爵位も持たない。アスター率いる主国騎士団にもよくいるタイプである。首領が本物かそうでないかによって、しもじもの性格まで変わるものなのかと、ミリヤは(いぶか)しんだ。アスターの騎士たちのほうが、ミリヤは好きだった。


 ミリヤを平民出の女兵士だと思い込んだ騎士は、実家の自慢話をした。大きな屋敷に住んでいて、辺境とはいえ広大な土地を所有していると。長兄は法務庁に務め、王都内に屋敷を持っている。次兄も王城内に務める学匠なのだと、だいぶ盛っていそうな話を聞かされた。


 ミリヤは耳半分で聞き、体力回復に努めた。騎士がいびきを立て始めると、階下へ下りていって、また別の騎士や兵士から情報収集した。

 

 どうやら、ナスターシャ女王を動かしているのは、憎悪や怒りといった個人的感情で、国どころか民のことも考えていないと思われた。彼女の行動のすべては、サチとザカリヤに起因する。愛した男とその息子に対する執着は、おぞましくて目を覆いたくなった。


 恐怖によって他者を支配する──何度も成功してきたことによって、ナスターシャはどんどん増長していった。ドゥルジと組んでいたのもそうだし、ニーケ王子の虐殺もそう。エゼキエルと手を結んだディアナが許せなかったのだろう。ディアナは大陸最凶の悪女の見せしめに選ばれた。

 ディアナをさらし者にすることで、国内でくすぶっているレジスタンスの生き残りや亜人に友好的な勢力を牽制する。クラウディアの時、ザカリヤにしたように、サチ(サウル)の心に一生抜き取ることのできない氷矢を突き刺すつもりだ。

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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

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― 新着の感想 ―
ナスターシャさん……恐ろしやぁ。 いや、前から恐ろしい人ではあったのですが。 この一文『恐怖によって他者を支配する──何度も成功してきたことによって、ナスターシャはどんどん増長していった』が全てを語っ…
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