1話 嘘
(ミリヤ)
武器・防具一式はディアナの寝室と隣接する侍女室にある。
元王妃の部屋は多少荒らされていたが、質素な侍女室は見向きもされなかったのだろう。ほとんど手つかずで残されてあった。
ベッドの下の隠しクローゼットは封印されている。ベッドを横倒しにし、ミリヤが呪文を唱えると、取っ手のない蓋が開いた。
懐かしい鉄と汗の臭いを嗅いだとたん、戦士の血が騒ぎ出す。
ミリヤは自分らしくない華美なドレスを脱ぎ捨て、傷だらけの体をさらけ出した。淡いスミレ色のドレスは、これでも普段着用でレースは少なめだ。かわいい、似合うとシーマがはしゃぐので、動きにくい服を着るのも苦ではなかった。
美しいと言われるのには、慣れているのではなかったのか──シーマのために着飾っていたことを自嘲する。喜ばれるから、男が好む服を着ていたに過ぎなかった。本来、ガワにはこだわらない。
服がなければ、殻のないカタツムリのようになった。おかげで心が弱くなる。古傷より、胸の奥がチリチリ痛んだ。
「守る」と約束したのを反故にする。男を騙すのはお手のものだったのに、この痛みはなんなのか。
「ごめんな、シーマ。わたしには先約があったんだよ」
本心を吐露すべきではなかった。「愛してる」「裏切ったりしない」「どこへも行かない」「安心しろ」──どれも、偽り以外で、口にしてはいけない言葉だった。
キルティングレザーのジャケットを着て、鉄製の胸当てを付ける。肩、肘、膝に保護具を装着する時、カチャカチャと心ない音を立てた。
体に金属の重みが加わるたび、ミリヤは非情になっていった。
戯れではなく、本気だって??──そんなわけないじゃないか? この世に、戯れではない恋愛など存在しない。
カチャリ。
俺の隣に置くだけの価値がある?──ディアナ様を蔑ろにして、王妃の座を奪ったのは誰だ?
カチャリ。
妃になってほしい?──私の心が地位や権力で、揺れ動くとでも?
カチャリ。
抱きしめてくれ──どこへも行かない。ずっと、そばにいるから安心しろ。
ポタリ……
逃げるな! 負けたら、俺の物になると約束しただろ!──
ポタリ……嘘をついたのはミリヤ自身。そう、シーマも他の男たちと同じだった。別れが来るのは必然だったのだ。
王たちの和解により、三百年にも及ぶ人間と亜人の争いが終結した。守人としての役目は終わり、契約を解除したのである。これからは守人のミリヤではなく、シーマに愛される女として、第二の人生を歩んでいこうと、甘い夢に浸っていた。
──思い通りになるわけが、なかったんだよ。わたしは愚かだった。非常に愚かだった
ポタリ……
防具の革ベルトを締め上げる時、目から余計なものが落ちた。
「怖がらなくていい。これからは、わたしがシーマのことを守るよ」
「女の敵でも構わないけど。わたしの敵じゃなければ……」
「わたしはあなたのことを愛している。足が治ったからといって、逃げたりしない!」
自分のついた嘘の数々が、防具の隙間に入り込もうとする。目を拭い、ミリヤはすっくと立ち上がった。
我が主を、ディアナを守らなければならない。もし生きて帰れたら……そんな儚い望みを追いやった。
ここからは死を覚悟する。弱い心とは決別すべきだ。
面金付きのマスクをかぶるころには、だいぶ以前のミリヤに戻っていた。
ナイフを数本、腰の革ベルトに差す。主だって使うダガーは左側に、投擲用は背中側に並べる。ナイフのストックはポーチに入れ、腰布の上に吊るした。
傍目には、小柄な兵士に見えるだろう。国王の寵愛を受ける元王妃の侍女だとは、誰も思わない。
脇机の上の置き鏡が、陽の光を反射する。鏡に映る戦士を見て、ミリヤは満足した。
仕上げにマントを羽織る。学匠、兵士から使用人に至るまで慌ただしく往来する回廊へと出た。
ディアナの治めるヴァルタン領──国名すらまだ決まっていなかったが、同盟国の瀝青城が奇襲を受けたことで城内は立て込んでいた。主殿内を武装した兵士が歩いていても、目立たない。
ミリヤはごく自然に主殿を出て、厩舎へ行き、馬を手に入れた。
久しぶりの騎乗はぎこちなかったかもしれない。だが、門を出るころには馬もミリヤも慣れた。
シーマは知恵の館で、議員たちの言葉に耳を傾けていることだろう。賢い王は諫言にも耳を塞ぐことなく、冷徹に裁断する。国のために最善を尽くすはずだ。
海に囲まれた城の門をくぐり、橋を渡る。王都の虫食い穴は、援軍に向かう兵士たちで込み合っていると思われた。城を出たのと同じ要領で抜けるか? 所属部隊と職務、名前ぐらいは聞かれるが、ごまかしは利く。
それとも、民間が管理する知る人ぞ知る虫食い穴を利用するか。
ミリヤは後者を選び、馬を田園地帯へと走らせた。喧騒から離れていたほうが、心の中を整理できる。
まず、内通者がいたとみて間違いないだろう。ヘリオーティス?……安易な考えへ逃れるには早い。解体後、過激派を処分したため、ディアナに怒りの矛先が向かう可能性はある。しかし、狂信者の彼らが崇拝の対象であるディアナを加害するとは、どうしても思えないのだった。内部と深く関わってきたミリヤにはわかる。
潮風を浴びたくなり、馬を止めてマスクを取った。ほつれた栗色の髪が頬に張り付いている。
──サウル側の者か? ううん……
ディアナはサウルの求婚を受けるべきだった。有能な王候補は振られたことにより、ディアナの優先順位を低くした。もし、求婚が成功していたら、愛する婚約者を置いて、私事にかまけることはなかっただろう。
そして、ナスターシャ女王はサウルとザカリヤがいない時を見計らって、攻撃した。
──サウルの臣下、例えば青い鳥とか?……青い鳥とナスターシャ女王が手を結ぶとは考えられない
虫食い穴のある村が見えてきた。沈黙の青い海は、ヘリオーティスのエッカルトを彷彿とさせる。眼帯の無礼者の瞳は晴れた日の海のようだった。あの美しい瞳が失われたのは惜しいことだ──違う、エッカルトは関係ない。
もう少しで核心へ近づけそうなのに、肝心なところで前世のシーマの顔がチラついて、集中できなかった。
「前世であんたはわたしの気持ちを裏切った。現世で同じことをやり返されたって、仕方ないだろう?」
ミリヤは馬の背に感情をぶつけた。平原の向こうに横たわる長閑な農村は、シーマが幼少期を過ごした村に似ているだろうか。
虫食い穴はヘリオーティスの本部に近い。今夜はヘリオーティスで一泊してもいい──
そこまで考えて、ミリヤは頭を振った。ヘリオーティスが瀝青城の襲撃に関わっている場合、足止めを食らうかもしれない。情報を得られるにしても、危険は避けたほうがいい。
──くそっ……前世の記憶が蘇ってくるのは、シーマが心の中に何度も入ったからだ
砂となって、雫型の檻からこぼれ落ちるイシュマエルの映像が胸を締め付ける。
不吉な影が追いかけてくる。
ディアナを失い、シーマまで死なせることになったら??
誰かの放った呪いの言葉が見えない鎖となって、巻き付いてきた。
今になって、書き置きくらい残して置くべきだったと、ミリヤは後悔した。
──いいや、別れは告げるべきではなかったさ。心に楔を打ち込んでは、シーマは永遠に苦しむだろう。
互いのために、未練を残してはいけない。彼の心に自分の存在を刻みつける資格はないと、重々承知していた。
シーマはヴィナスを想い続け、ミリヤのことは忘れればいい。悪夢から覚めた時、そばにいるのがヴィナスと勘違いしていたではないか。
新たに妻を娶るにしても、ヴィナスとの綺麗な思い出だけ残し、ミリヤのことはなかったことにする。それが正しい形だ。
雲が青空を覆い始め、海の青が濃くなる。ミリヤは馬の腹を押し、速度を上げた。
シーマは幸せになるんだ、前世とは違う。砂となって消えたりはしない──何度も自分に言い聞かせる。けれども、見えない鎖は容赦なくミリヤを締め上げた。
「大丈夫。シーマはこう言ってたじゃないか? 『俺が死なない前例を作ってやろう。最初で最後になるだろうが……』って」
馬の背は返答せず、強く吹き付ける潮風が呪いの言葉を運んできた。
──わたしとキスをした男は死ぬ
くだらないジンクスが毒のように心を蝕んだ。




