77話 四者会談⑥
特に質問も出なかったので、合意文書にサインする運びとなった。アスターのところに王たちが来て書く方法をとる。エゼキエルはディアナを伴い、それに対抗してシーマはミリヤを従え、順番に並んだ。
合意文書に記載された内容は以下である。
・ヴァルタン領の統治権を与え、ディアナを一国の女王として認める。
・妖精族含む亜人や旧国民の権利を認め、迫害を終息させる。
・ヘリオーティスを再解体させ、一部は女王親衛隊として残すが、適正な活動をしているか主国が監視を続ける。
・グリンデルに対し、軍事的に協力する。
・互いに侵攻しない。
・グリンデルがサウルの手に戻った暁には通商、文化面での交流を深め、平和維持に努める。
エゼキエルは他に、
・時間の壁を消す(グリンデルの紛争が落ち着いてから)
・魔国にある妖精族の村の保護
を約束した。
時間にして約二時間。二転三転して決裂も覚悟したが、最終的にまとまってよかった。シーマは晴れ晴れした気持ちで、エゼキエルがサインし終わるまで待った。その間、侍従たちは自由におしゃべりをしていた。
シオン、カオル、ティモール、ジャメルは同じ主国騎士団の仲間で仲がいい。シオンは特にトサカ頭のティモールを気に入っているようだ。不良はミリヤからもらったというダガーを見せびらかし、シオンは実演販売さながら新しい服の有用性をアピールした。すると、他の三人が容赦なくシオンの服を引っ張り始めた。外目にはシオンがいじめられているように見える。
──おい、やめろ! シオンは王子だというのに、何をされているんだ?
シーマは気を揉んだ。知能が低いため、いじめられているのに気づかないのではないかと心配になる。……と、注意が疎かになっていた。
王の連れ合いに対し、通常は許可もないのに声をかけないだろう。しかし、その不遜な男はずうずうしくも、ミリヤに話しかけた。
「足をどうされたのだ? 腱を切られたのなら、治す方法があるぞ?」
ザカリヤ・ヴュイエである。サチに付き添って、すぐ後ろに並んでいた。
最もミリヤに近づけたくないタイプの男だ。長い黒髪を束ね、シンプルなキルティングレザーのダブレットを着ている。ぴったりしたダブレットは均整のとれた筋肉を浮かび上がらせていた。
シーマは無神経な色男にイラついた。
「馴れ馴れしくしないでくれるか? 気安く話しかけていい相手かどうかは、見てわかるだろう?」
「これは大変失礼しました! そちらのご婦人とはちょっとした顔見知りでして、歩くのがおつらそうだったので、気になってしまったのです」
華やいだ笑顔で謝られた。悪びれない態度だ。シーマのほうが気後れしてしまいそうになる。ミリヤとは瀝青城で知り合ったのかと思われた。
ザカリヤの横に視線を移すと、サチは意気消沈している。見るからに厄介な父親を放置するなと。シーマは無視することにした。
「王の血と一流の魔術師がいれば、治せる」
背を向けるなり、よく響くテノールが聞こえてきて、ミリヤはビクンと反応した。
最悪なのは、前でサインをしていたエゼキエルに聞こえてしまったことだ。
「軽い手術は必要だが、損傷を受けた組織に直接血を流し込めば、治せる」
エゼキエルがミリヤに伝えてしまった。
「技量が問われるから、必ず治る保障はない。それでも、治療したいのであれば……」
「必要ない。ミリヤが戦うことはもうないのだ」
シーマは拒否した。愛する女は足が治ったら、どこかへ行ってしまうかもしれない。
「戦う戦わないの問題ではなく、一人で歩けないのは不便であろう?」
「杖がある」
「あなたの希望を聞いてるんじゃないわよ? ミリヤに答えさせなさいよ!」
ディアナが口を挟んだ。話し合いの場では弱気だったのに、隣にエゼキエルがいるから強気だ。シーマは元妃に冷たい視線を飛ばしてから、席の所で待つイザベラを思い出した。先ほど、女の敵に認定されたばかりだ。
「わたしは……わたしは足を治したい。自分で歩けるようになりたいです!」
ミリヤはエゼキエルに訴えた。か細い声を聞いて、シーマは戦慄する。
本当はミリヤの気持ちを知っていたのだ。不自由な体のままのほうが都合いい。快復した彼女に捨てられるのが怖かったのである。
本人が望んでいるのに治療をさせないとなると、非難は免れないだろう。守人の解除も、なかったことにされるかもしれない。
──わたしのこと、信じて! お願い!
ミリヤの思いがシーマの中に流れ込んできた。琥珀色の瞳に吸い込まれそうになる。心に直接訴えるなど、愛する女でなければできない芸当だ。シーマの懸念を受け取ったミリヤは、頭を振った。
──わたしはあなたのことを愛している。足が治ったからといって、逃げたりしない
偽りのない言葉が胸を打つ。抱きしめたい衝動をシーマはなんとか抑え込んだ。
「その……手術というのは危険を伴わないのか?」
エゼキエルに尋ねたところ、
「痛みはあるし、悪化する可能性もあるが、生命に関わることはない」
真正直な答えが返ってきた。ミリヤは何度もうなずいている。どうしても、治療を受けたいのだろう。サインを書き終えたエゼキエルは下がり、シーマは決断を迫られた。
「リゲルが闘技場の外で待っている。日数が経てば経つほど、成功率は下がるから、するならすぐにしたほうがよかろう。会談が終わったあと、城に寄らせてもらえば対応できる」
エゼキエルはユゼフの顔で余計な親切を押し付けてくる。シーマの気持ちを推し量ることのできるユゼフなら、絶対にこんなことはしない。
「朕の血かサウル……あと、イアンの血でもいい。ああ、そなたの血も使えるな? そちらのほうがよかろう」
ギュッと腕をつかむミリヤの熱が愛おしい。当然、自分の血を使わせるに決まっているではないか。愛する女の中に入っていいのはシーマだけである。
シーマはエゼキエルに頭を下げ、ミリヤの治療を頼んだ。それから合意文書にサインした。
シーマが終わりサチがサインしたあと、解散となるはずだった。ところが、シオンがアスターに待ったをかけた。
「ほら、まえに言ってたアレだよ、アレ! ここにいる全員でやりたいの!」
「やりたくない者もいるだろうに……」
「俺はこの日が来るのを夢にまで見て、待ち望んでいたんだ。とっても大変で長い戦いだった。何度も死にかけたし、あきらめそうになったけど、なんとか持ちこたえたんだよ……」
「仕方がない。皆のもの!……じゃなかった……お集まりくださった皆々様方、イアンが全員で宣誓してはどうかと提案しているのだが、こちらにお越しいただけないだろうか?」
たった今、同意書にサインをしたばかりなのに、宣誓とは何か? よくわからぬまま、全員がふたたびアスターのところに集まった。
シオンは輪になれと指示し、人数を確認する。
「十二、十三……あれ? 一人足りない!……と思ったら、サムかよ? 仲間外れにしないから来やがれ!」
「赤毛猿めが……」
骸骨サムエルは骨から舌打ちのような音を出し、歩み寄った。
「ザカリヤやエゼキエルは人間に化けれるのに、サムはなれねぇのか? そんななりじゃ、女性陣に怖がられるじゃないかよ?」
「黙れ、ジンジャー。そんなやり方、知らぬわ」
「サムの場合、人間でも怖ぇのは変わらねぇか?……ああっと、俺の横に割り込むな! デカいから邪魔なんだよ? 女子から遠ざかれ!」
「無駄にデカいのはうぬも同じであろう? 低知能のデカ猿が」
「言ったな! 堅ブツめ! てめぇがいるだけで、場がお葬式みてぇになるんだよ!」
「うぬがおると、全体の知能が下がる」
「死臭垂れ流してんなよ、腐れ骸骨が!」
「馬鹿丸出しのジンジャーは脳内垂れ流しである」
シオンとサムエルが、罵り合うのは日常茶飯事なのか。止めようとする者はいない。息子を罵倒され、いい気持ちはしないが、相手が相手なのでシーマは黙っていた。シオンも言い返しているし、片方の肩を持ちにくい状況だ。それにしても、謀反の時、討ち取られたにしては怨念が感じられない。案外、サッパリした男なのかもしれなかった。
イザベラがサムエルを気遣い、
「わたくし、全然怖がっていませんわ! むしろ、お会いできて光栄です」と言えば、ミリヤも、
「わたしもです。遠くからでしか拝見できなかった方と、ご一緒できるなんて感無量です」
などと、色目を使ったものだから、シオンは決まりが悪くなったのか、罵るのをやめた。そして、輪の中で右往左往していた黒猫を片手に抱き、反対の手を伸ばした。
「輪になったら、中心に向かって手を出して重ね合わせる。んで、誓いの言葉を言う!」
「にゃーー!!」
宣誓とはそういうことか。騎士団やチーム競技などで団結する時にやる行為だ。シーマには縁遠い振る舞いだった。
ジャメルやティモール、ザカリヤあたりは積極的に手を出すものの、他の面々は恥ずかしそうにしている。
「本当に申し訳ないのだが、少しだけバカに付き合っていただけるとありがたい。すぐに済むので……」
アスターが詫びて毛むくじゃらの手を出し、ミリヤ、イザベラも手を出す。女性たちが手を出したことにより、やりやすくなり、男たちも手を出した。
シーマは最後だった。タイミング悪く、ディアナの手に重ねてしまい、気まずくなる。
居心地悪いのはここにいる全員だろう。ついこの間まで、いがみ合ってきた連中と輪になって手を重ねているのだから。
「誓いの言葉は誰が言うのだ?」
アスターが尋ねると、あちらこちらから答えが返ってきた。
「アスター様しかいらっしゃらないでしょう」
「アスター様、お願いします!」
「アスター以外に誰がやるっていうんだよ?」
「アスターさん、がんばれー!」
「さっさとやりなさいよ」
「アスター様、ステキ!」
トサカ頭が女の声真似をしたので、失笑が漏れた。
「だまれ、アホ助!……というか、何を誓えばいいのだ?……もういい、適当に言うからな!」
アスターも照れ気味である。
「私、ダリアン・アスターはここに集いし、王とそのしもべたちを代表して誓います。アニュラスを護る精霊たちに、犠牲となった者たちの霊に真心を込めて誓います。過去の過ちを深く反省し、二度と争いを繰り返しません。これからは互いに尊重し合い、幸せな未来を築き上げていきます。美しいアニュラスの大地を戦禍から守り、無辜の命が失われないよう努めます」
笑っていた者たちも真剣な顔つきになった。アスターの言葉に「誓います」と、一人一人が呼応していく。
一体感に包まれ、シーマは全員の顔を見回した。カオル、サチ、エゼキエル、ティモール、サムエル⋯⋯カオルが美しいのはもちろんだが、皆と並ぶと思いのほか目が細い。サチは認識していた以上に子供っぽかった。エゼキエルはユゼフなのに明るい表情をしている。ティモールは顔立ちだけ見ると、意外に美形だ。サムエルは骨だけでも大柄なのがよくわかる。
思えば、こうやって互いの顔をじっくり見るなんてことはなかったかもしれない。顔もよく知らぬ相手を敵視していたとは滑稽だった。いったい何と戦っていたのか。
シーマは蟠りなくディアナの顔を見ることができた。綺麗な青緑色の目をしている。線の細い女の子。頬をほんのり染め、はにかむ姿は可憐だ。あんなに憎んでいたのが馬鹿らしく感じられる。
重ねた手の下から、じんわり熱が伝わってきた。




