75話 四者会談④
拍手のあと、アスターは額の汗を拭った。
「あーー! ひやひやした! これで、だいたいは解決できたな? 一時はどうなることかと思ったが」
「アスター様のご尽力あってこそです」
汗を拭ったハンケチを受け取り、カオルが微笑む。弱々しかった美青年も変わったものだと、シーマは感心した。アスターのような暴れ馬をよく乗りこなす。少女性が抜け切らない母を尻目に、目覚ましい成長を遂げた。彼の本質を見抜けなかったシーマは見る目がなかったのだろう。
猫は円卓の上で香箱座りをし、アスターは猫の毛の代わりに自分の長髭をなでた。
「さて、ディアナ以外の王たちはディアナを一国の女王として認めることに異論はないな?」
シーマは首を縦に振った。エゼキエルとサチも同意する。
「ディアナは自国内の亜人を尊重すること。亜人や旧国民に対する自国民の差別意識を改善していくことを約束する。不当な扱いを受けている亜人がいたら、助けること。また、そのようにならぬよう努めること」
「同意するわ」
「エゼキエルは魔国内の妖精族の保護に努めること。彼らが力により迫害されないよう法を定め、魔族との勢力均衡を保つこと」
「努めよう」
「時間の壁は消してくれるのだな?」
「了解した。グリンデルの件の片がついたら、試してみよう」
アスターは大きく安堵の溜め息をついた。顔に似合わず、皆に気を使い、疲れてしまったのだろう。たまには、労ってやるのもいいかもしれない。シーマは口うるさい髭親父にまで優しい気持ちになっていた。
「アスター、主国へはいつ戻って来る?」
「その話はあとだ。私語は慎め……ん? サチが何か言っている」
サチはエゼキエルに聞きたいことがあるらしい。
「一度消したら、時間の壁はもう出せないのか? 限定的な範囲だけでも?」
「限定的なら出すことは可能だと思う……なぜ、そんなことを聞く?」
「頼みたいことがあるんだ。後ほど個別で話してもいいか?」
エゼキエルはしぶしぶ、うなずいている。折を見て、イザベラが切り出した。
「わたくしからも、よろしいでしょうか? ディアナ様がエゼキエル様にお願いしたいことがあるそうです」
ディアナと聞いて、エゼキエルは居住まいを正した。本当にわかりやすい。
ディアナはうつむき加減に話した。アスターが緊張を解してくれたおかげで、普段の言葉遣いになっている。
「サチを加害しないことを約束してほしいの」
「……なぜだ?」
「サチは今の私にとっては大事な人。私を護ってくれるのは彼だけなの」
愕然とするエゼキエルはかわいそうに、返事もできず固まっている。
「前世での争いはここで終わらせてほしい。私はあなたとも争いたくないわ」
「朕がそなたを護ると言っても、サウルを頼るか?」
「あなたは私のことを護ってはくれなかったじゃない」
言葉を継げないエゼキエルにサチが追い打ちをかけた。
「悪いけど、ディアナのことはあきらめてくれないか? こういう場で言うべきかは迷ったけど、俺は彼女と結婚するつもりだよ……ディアナ、俺と結婚してくれ!」
なんと、会談中にプロポーズしてしまった。アスターも目を丸くしている。
サチの熱い視線を受けて、ディアナは赤面した。自分の妻だったころはまったく魅力を感じなかったのに、傍目からだと愛らしく見えるものである。シーマには、むしろ微笑ましく思うぐらいの余裕があった。
おかしなことといえば、ディアナの背後で禍々しい何かの気配を感じたが、霊的なものかもしれない。猛女の立っている位置だ。本能的にシーマは見るのを避けた。
大勢の前、しかも公式な場での求婚とは思い切ったことをする。よっぽど自信がなければ、できないだろう。失敗した時は赤っ恥をさらしたうえ、後世まで笑い草として語り継がれる。だが、利点もある。女のほうは断りにくいし、あとから反故にしようとしても、複数の証人がいるからやりにくい。サチは一世一代の大勝負に出たわけだ。
つやつやしたアーモンドアイは汚れを知らない。真剣な幼い顔は慈愛の心を引き出す。対するディアナも顔つきに幼女の名残があり、華奢な体は庇護を必要とする。二人とも男女の濃密な駆け引きや、深いところで得られる悦びを知らないように見受けられた。嫉妬どころか侮蔑の念すら抱かず、シーマは元妃と好敵手を温かく見守った。高みの見物である。
ディアナの薄い唇が動き、初々しいカップルがまさに誕生しようというその時、
「待て!!」
エゼキエルが異義を唱えた。
「ディアナ、本当にそれでいいのか!? 朕はそなたを愛している!!」
こちらも告白してしまった。あんぐり口を開けるアスターを見ても、笑ってはいけない。シーマからすると、元妃を二人の男が奪い合っている状況だ。
──何をやっているのだ、こいつらは……?
馬鹿女に夢中になるとは、憐憫の情が湧いてくる。
──つまらない女だぞ? 見た目はそこそこ悪くないがな?
ディアナの背後の霊的なもののせいで頭痛がしてきた。シーマはこめかみを押して、痛みを和らげようとする。
求愛されたディアナは、サチからエゼキエルに視線を移した。ただ、ひたすら見つめ合う時が流れる。
「文で謝罪した内容は朕の本心だ」
涙腺の緩いディアナはまた泣きそうになっている。女は泣くだけで責任逃れできるから、楽だろう。
「時の壁はそなたのために作り出したものだ。他国や闇へ堕ちた朕自身からそなたを護るために……」
エゼキエルは、さりげなく衝撃的事実を吐露した。女一人を護るためにアニュラスは分断されたのか……。罪深いのはエゼキエルかディアナか。ここにいる者たちは多かれ少なかれ脛に疵を持っているため、エゼキエルを責めるまでには及ばず、複雑な表情になった。
エゼキエルは瞬間的に移動し、ディアナの真ん前に立った。
エゼキエルを見るディアナの碧眼は色を帯びる。サチに対する時とは相違して、淫靡な感じがした。もしかしてと、シーマは直感的に察した。ディアナはエゼキエルに女の悦びを教えられたのかもしれない。となると、この恋愛ショウの結末はおのずと定まってくる。
「私も……私もあなたを愛してる!……でも、どうしたらいいか、わからない。私は女王として、主国をあきらめるわけにはいかないの。魔国で一緒に住むことはできないわ」
ディアナの目から雫がこぼれ落ちる。涙の塊は宝石みたいにさまざまな色を反射し、頬を転がって、地に落ちた。美しい泣き方だ。
今度はサチが青ざめる番である。自分の手の内にあったカナリヤが、あっけなく逃げてしまった。
「無理にそなたを魔国へ連れ帰るような真似はもうせぬ。主国から離れられないというなら、そなたのもとへ通おう」
エゼキエルは人目もはばからず、ディアナを抱きしめた。
これは感動的な幕切れか? ディアナの背後にあった禍々しい気配が消えている。満面笑顔のイザベラが「ディアナ様、よかったですわね!!」と祝福した。我に返ったサチは後ろで控える父親、ザカリヤをにらんだ。ザカリヤは言い訳する。
「絶対にうまくいくとは言ってないからな? 成功率が高いとは言ったが」
父親に勧められ、決死の覚悟でプロポーズに挑んだと思われる。
くくく……シーマは笑いを漏らした。異常なほど打率の高い父親に従ったところで、うまくいくはずがあるまい。おそらく、生真面目に純潔を守っていたのだろう。とうにディアナは女にされていたというのに。品行方正な優等生は恋愛に疎い。
何もかも、自分の思い通りに動くと思ったら大間違いだ。ひとを駒のように動かし、感情を操り世界まで変えようとしたが、たった一人の女の心は動かせない。完敗したと思っていたシーマは溜飲が下がる思いで、サチの紅顔を見る。ざまぁみろと存分に笑ってやった。




