71話 こちらこそ失礼した
伸縮性を見せるため、シオンが服の袖を引っ張り始めたので、シーマは止めた。
「直らなくなったら、みっともないじゃないか? もう、出発しよう。早めに行って会場の確認をしたい」
「大丈夫なんだって! 時間に余裕があるんだろ!」
こういう時のシオンは聞き分けが悪い。シーマが助けを求めてジャメルのほうを振り返ると、両手のひらを見せられてしまった。
ミリヤはどこへ行ったのか。近くにいるはずだが……視線を動かして探す。回廊の先で楽しそうに話している姿が見えた。一緒にいるのはトサカ頭の……男!?
「ちょっと待て、シオン。その話はあとで聞く」
ミリヤが得体の知れない男と話している。シオンの話を遮ってでも、行かねばならない。シーマは不届き者のトサカ頭とミリヤのもとへ急いだ。
トサカ頭は腰のダガーを抜いて、見せびらかしている。なんたることか……シーマは目を疑った。いかにも頭の悪そうな男の前で、ミリヤは毒気のない花のような笑顔を見せているではないか。
「マジで、マジで!! まえにくれたこのダガーで練習して、命中率が上がったんだよ!」
「ほぅ、見せてもらいたいものだな?」
「かなり上達したかんな! おめぇには負けねぇ!」
「わたしもナイフの腕には自信がある」
「ナイフ投げのコツはぁ……」
トサカ頭がダガーを放り投げ、空中でクルクル回転させてからキャッチした。危ない。間違ってミリヤの所に落ちたら、どうするつもりだ? 柄を握ったところで、シーマはすかさずアホ頭の腕をつかんだ。
「何をしている!? 不審者め!!」
突然、現れた王にもトサカ頭は動じなかった。薄ら笑いを浮かべ、「あ、どうもっすーー!」などと、舐めた挨拶をしてくる。ふざけた態度とガラの悪い笑い方には見覚えがあった。ユゼフの草だったティモール・ムストロだ。
「入城の許可は取ったのか? 勝手に入り込んで、うろつき回っていいと思っているのか?」
「許可? んーー、たぶん取ったっすよね。あれ、どうだったかな?」
ただちに衛兵を呼んで、つまみ出そうとシーマは思った。ところが、
「許可は出ているはずだが……」
背後から懐かしい声が聞こえ、飛び上がりそうになった。黒いマントに黒い上衣、下衣もブーツも黒だ……振り向いた先にいたのは、シーマが唯一心を許した忠臣、ユゼフ・ヴァルタンだった。
「イアンに話を通してもらって、王の間で待てと取次役に言われたのだが」
「ぺぺ……」
愛称で呼ばれたユゼフは首を傾げている。
シオンが慌てて、間に入った。
「あ、そうそう!! それを伝えようとシーマを呼びに行く途中だったんだよ! まさか、向かう途中の回廊で遭遇するとは思わなかった。けっして、忘れていたわけじゃないからな!」
ユゼフの背後には荘重な甲冑をまとった骸骨が控えている。兜にはご立派な二本の角が立っていて、まがまがしい瘴気を放っていた。見るからに人間ではない異形だ。同じ空間にいて気づかないなんて、おかしい。
シーマの疑問を察し、ユゼフは答えてくれた。
「じつは先ほどまで気配を消していた。ちょうど、其の方が回廊の向こうに見えたのでな? どのような人物かと思い、離れた所から観察させてもらった」
「悪趣味だ」
シーマは不快感を露わにした。目の前にいるのはユゼフではない。ユゼフに化けたエゼキエルだ。骸骨がカタと顎骨を鳴らした。
「そちらの手違いで王をこんな場所で立ち話させ、謝罪もなしか? 自分の息子の不手際を放置するとは、無責任極まりない」
無礼千万な骸骨に対し、シーマは怒り返すことができなかった。一歩でも近づけば、息の根を止められてもおかしくない殺気を放っている。こんな化け物を城内に入れるとは、シオンはどうかしている。
「まあまあ、突然のことに驚いているではないか? イアンのことだから、ちゃんと伝えてなかったのだろう。うちのティムが何か無礼を働いたようで、申しわけなかった。話し合える場所まで案内していただけると助かる」
エゼキエルが取りなしたおかげで、緊迫した空気が和らいだ。
「こちらこそ、失礼した。部屋に案内する」
シーマはすんなり頭を下げ、先導して歩き始めた。状況説明は背中で聞く。
エゼキエルいわく、会談前に個別で話しておきたいことがあって訪ねたと。兵はすでに到着していて、闘技場で待機しているという。
シオンを通じて来訪を告げていたのに、伝わっていなかったので、腹を立てられるのも当然だった。息子の落ち度は父親の責任だ。
自分と同格の客人というのは初めてで、シーマは対応に悩んだ。考えた末に王の間ではなく、応接室へ案内することにした。
歩きながら、まったく反省しないシオンがエゼキエルに服の自慢をするのが聞こえた。冷や汗を流すシーマとは対照的に能天気だ。
「ふむ……アラクネの織る生地より、丈夫かもしれん。丈夫なだけでなく、しなやかで触り心地もよい」
エゼキエルは鷹揚に相槌を打っている。シオンとの相性は悪くないようである。竜の珠で聖炎を消し、エゼキエルの本体を滅ぼすと言っていた話はどこへ行ってしまったのやら……
気が動転していた。だいぶ歩いてから、ミリヤとティモールを回廊に置いてきてしまったことにシーマは気づいた。あの不良が、愛する女に何もしないことを心から願い、応接室の扉を開ける。
応接室に入るのは、シーマたち王の他はジャメルと骸骨だけである。不満そうなシオンには見張りを命じ、外で待たせることにした。話し合いの邪魔をされては困る。
エゼキエルは接待慣れしているのか、泰然としており、当然のごとくシルクのソファーに腰掛けた。
応接室は先代のころと変わらなかった。枠や見切り、縁にはふんだんに金を使い、壁紙には目の痛くなるような文様が描かれている。過去の王の肖像画は取り外され、今は風景画が掛けられていた。
「人間は細かい細工を好む」
憂いを帯びたエゼキエルの目は、ユゼフと同じだ。もう、あのころには戻れないのかと思うと、シーマは悲しくなった。
「話というのは?」
「ヴァルタン領の件だ。ディアナに譲ってほしい」
率直に伝えてきた。歯切れの悪いユゼフと違い、正直だ。そして、どもらない。
「検討すると返答していたはずだが」
「ここで確約しろ。そうでなければ、魔国との友好関係は築けないものと思ってほしい」
「脅す気か?」
エゼキエルは答える代わりに骸骨を見た。骨の慣らす軋音にシーマは背筋を凍らせる。
「申し遅れた。我はサムエル・ヴァルタンと申す。エゼキエルの兄だ」
こいつがサムエルだったか。七年前の謀反の時にシオンが討ち取っているので、人間ではないのはわかっていたが、どのような姿形かまでは確認していなかった。はっきり言って、エゼキエルより怖い。対するこちらはほぼ人間のジャメルが護衛だから、力の差は歴然である。シオンを中に入れればよかったと、シーマは後悔した。
骸骨は高圧的に話す。
「先の謀反の黒幕は貴公だったというのは、周知の事実。ユゼフの協力があってこそ、成し得たことというのも、承知している。そして、ヴァルタン領は元はユゼフの物であり、ユゼフとエゼキエルは同一人物である。一度渡したものとはいえ、貴公が王としての役割を果たせない今、権利を主張するのは妥当といえる」
「王としての役割を果たせないというのは、聞き捨てならない。しっかり国家運営をしているつもりだが」
うっかり敬語で返しそうになってしまい、シーマは胸を反らした。敬語を使うべきはサムエルのほうだ。
「ディアナ女王と敵対し、国内を二分している状態で、責務を全うしているとは言い難い」
「ディアナの件はこれから解決するつもりだ」
苦し紛れに言い返すしかなかった。恐ろしい怪物を差し向けて、恫喝するとは卑怯だ。シーマは目に力を入れ、エゼキエルをにらんだ。エゼキエルの藍色の瞳は穏やかだ。
「文でも伝えたが、前世のことは申しわけなく思っている。そもそも、これは朕が起こした戦である。だからこそ、終結させたいと思っているし、ディアナをこれ以上苦しめたくない。どうか、折れてはくれぬか?」
頭を下げられ、戸惑った。わざわざ、出向いてまで言いに来たということは、どうしてもディアナに領地を与えたいのだろう。ここで折れなければ、サチとの関係も悪化し、シーマは孤立することになる。無理にディアナを征伐しようとすれば、こじれにこじれ、争いは終結するどころか激化するだろう。彼らにとっても、シーマにとっても、望む結果でないのは明白だ。
ソファーの後ろで待機するジャメルの髭面を見ると、心の中に入らなくても考えていることがわかった。
戦いたくない──
たぶん、関係者の全員が……いや、この国の誰もが同じ気持ちなのかもしれない。
「承知した。ヴァルタン領をディアナに譲渡する」
シーマはうなだれ、負けを認めた。




