64話 死のキス
無言で抱き合っていれば、ささくれ立った心が少しはマシになる。シーマは慟哭し続けるミリヤを抱擁し、痛みを共有した。
勝負には勝った。厳密にいうと、互いに惚れているから引き分けなのだが、勝ちを譲る気はない。
──結婚したっていい。誰に何を言われようが構うものか
跡取りはシオンと小太郎がいる。子供を産めなかろうが、気にしなくていい。
問題は守人としての契約だった。光の民を証人とした臣従の誓いは魔族のそれと同じく、主はしもべの命を好きにできる。ディアナがミリヤを殺したいと思ったら、いつでも実現可能なのだ。自分勝手な理由で仕えるのをやめた時、ディアナは報復できるのである。
「ディアナに守人の契約を解除させる。おまえを自由にし、妃にする」
「そんなこと、できない。ディアナ様はわたしを許さないだろう」
ミリヤは王に対するのではなく、男に対する言葉遣いに戻した。
「方法はなくもないのだ」
できるかどうかは運次第だが。シーマは大っ嫌いな女に頭を下げなくてはならない。
「あんたが国を返すと言えば、もしかしたら、望み通りになるかもしれない」
「最悪、それでもいいと思っている」
シオンや小太郎のことは守りたい。だが、権力など愛に比べたら、取るに足らないものだ。
ミリヤは泣き止んだ。忠節を全うでき、なおかつ愛に生きられる方法を見つけたからである。
「それなら、そうして! わたしのために何もかも捨てて!! 国をディアナ様に返して!! そうしたら、わたしたちは幸せになれる」
ミリヤが本心から言っているのはわかっていた。先ほど、嫌っていうほど彼女の嘆きを浴びている。しかし、恋は盲目とは言っても、シーマの理性は残っていた。
「今言ったのは最終手段だ。もしかしたら、シオンが良い知らせを持って来るかもしれない」
「シオン?……イアン・ローズのこと??」
「そうそう、手帳にはシオンが瀝青城にいると書いてあったのに、どうしてイアンだとわかったのだ?」
ミリヤはシーマの胸から離れた。眉間に皺を寄せ、記憶をたどっているようだ。
「シオンという名の他にカオル様、アスター、サウルの名もあった。それらの名から連想できる人物を思い浮かべたに過ぎない。偶然、シオン・キャメノスという偽名をイアン・ローズが使っていたことを思い出したんだ。確証はなかったけど、カマをかけたみた」
極めて怜悧。ディアナはこの女をちゃんと有効活用していたのだろうか。家臣としても優れているではないか。だが、ここまで推理できたとしても、決定的な事実はまだ知らないようだ。シーマは通常時の微笑を浮かべた。
「シオンは俺の息子。ヴィナスの残した跡取りだ」
案の定、ミリヤは体を震わせて驚いた。大きな目を更に大きくするさまは最高にかわいいが、次にこの顔を見る時は愛に関することがいい。プレゼントやプロポーズ、美しいものを見せる時。驚きを幸せにつなげたい。
「意外だったか? 似ているだろう? 体格、肌の色、人を惹きつける力、顔もよく見ると面影がある」
「カオル様と同様、過去で育てられたということか?」
シーマはうなずいた。考えてみれば、イアンとカオルの生い立ちは似ている。
「シオンのことは顔を知っている程度か? 話したことはあるまい」
「話しかけられたことなら、何度かある。無視したが」
無視か。ミリヤは容赦ない。
「俺に似て背が高いし、器用だし、美男子だし、誘惑されたら悪い気分はしないだろう?」
「いや、身長以外、どこも似てないだろ」
話が逸れた。シーマはシオンが瀝青城で何をしているかを、説明しなければならなかった。理解の早いミリヤには少ない言葉で楽に通じる
「なるほど。それでカオル様と一緒に……」
「成功する確率としては一割もいかないだろう。ディアナは和解案を突っぱねたに決まってる。四者会談など、とんでもない」
「それはどうかな……」
ミリヤは思慮深く、琥珀の瞳を動かした。
「サチ・ジーンニアの存在を忘れていないか?」
「確かにあいつは厄介だよ? だが、感情論に左右されるディアナを動かせるほどの力はない」
「サチ……サウル様と言うべきか──サウル様はディアナ様と親しい。恋人と言ってもいい間柄だ。信頼もされている。瀝青城攻略はサウル様がいなければ、成し遂げられなかった。今や、ヘリオーティスにも一目置かれる存在だ」
シーマは奥歯を噛み締めて、返事とした。素直に戻ってこればいいものを──サチは敵へと転じた。ミリヤはシーマの心情を読み取る。
「気に入らないのだな? 自分より優れた者が」
「そういうわけではない。あいつを買い被りすぎだ」
「買い被ったっていいだろう。あの方は頼みの綱だ」
シーマは嫉妬した。ミリヤはクスクスと少女じみた笑い声を立てた。
「何がおかしい?」
「わたしには、かわいい女を演ずるなと命じるくせに、自分はいつだって男前を演じているじゃないか?」
嘲笑されるのは腹が立つ。だが、ミリヤが花びらを飛ばすような笑い方をしたので、シーマは見とれてしまった。逆にミリヤはシーマの不機嫌を評価する。
「いいねぇ……その顔。わたしはあんたのそういう顔が見たかった。底意地の悪い本性が見え見えのね」
「嫌な言い方をする」
「それはそうと、サウル様のことを甘く見てはいけないよ? ここだけの話、ディアナ様はサウル様の言いなりなんだから」
ミリヤの話では、意志薄弱のディアナは政権運営も防衛も何もかもサチに任せっきりだという。
「わたしにとっては、癌みたいな男だった。今となっては、一筋の希望の光だけどね」
「ディアナとの政略結婚を狙っているのか?」
「だと思う。主国内で権力を確立して、グリンデルを取り戻したいんだろうな」
抜け目のない奴だ。グリンデルを追われ、魔国を追われ、すべてを失ったのに強くなって舞い戻ってきた。虐げられても、奪われても、死んでも、何度でも戻って来る。打たれ強い。
「愛息子を勝手に家来にしやがって……いずれ、報復してやる」
「馬鹿息子の間違いじゃないか?」
小憎たらしいミリヤの唇をキスで塞ごうとしたら、避けられた。
「逃げるな! 負けたら、俺の物になると約束しただろ!」
シーマは強引に覆いかぶさった。自分の女に遠慮する必要はない。ささやかな抵抗は情熱を燃え上がらせる。
寝るまえの続きをしようと胸に手を伸ばすと、ミリヤは悲しい顔をした。
「嫌か?」
「ううん……キスをするのが怖い」
「どうしてだ?」
「わたしとキスをした男は死ぬ」
くだらないジンクスを信じていた。それも、前世でミリヤを妬む女たちが流した噂であろう。
「では、俺が死なない前例を作ってやろう。最初で最後になるだろうがな?」
シーマは背徳のキスの味を好きなだけ味わった。前世では魔王に刃向かったのだ。死のキスなど怖くも何ともない。




