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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第五部 戦わない戦い(前編)三章 シーマ
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60話 果樹園

 忘れていたわけではないのだ。シーマは心の中で弁解した。傷つきながらも、ディアナに尽くそうとするミリヤを見ていると、胸が苦しくなってくる。忙しさを理由に、しばらく離れていたかったのである。

 乱暴にして傷つけてしまったことを悔やんでもいた。心も体も傷だらけの女を癒やしてやることができない。愛することは罪だ。

 罪を重ねるまえに、彼女がいなくなってしまえばいいとさえ思った。逃亡するか、自害するか。失った直後は苦しいだろうが、時が解決してくれるだろう。そうしてくれたほうが、亡くなったヴィナスも浮かばれる。


 しかし、塔の一室に着いた時、くだらない理性は吹き飛んだ。

 明るい部屋で、華美なドレスに身を包んだミリヤは涙を浮かべて待っていた。ドレスはディアナが置いていった物である。胸の部分を直せば、サイズはほぼ同じだ。

 ベッドの(へり)に腰かけていたミリヤが立ち上がろうするのを制止し、シーマは駆け寄った。


「もう、いらっしゃらないかと……不安で……わたし……」


 言葉を詰まらせるミリヤをシーマは抱きしめていた。顎が彼女の頭につくと、ふわっといい香りがする。会わない間、見張りはおかず、下女に世話をさせていた。足が不自由で魔法を封じられていたとしても、逃げる機会はいくらでもあったはずだ。暗示が効いていた? その可能性もあるが、シーマの正体を知ったことで暗示は解けていた気もする。


 体温が伝わると共に、ミリヤの感情が流れ込んできた。

 淋しい、怖い、つらい、痛い……悲しい……。彼女は心からシーマの来訪を待ちわびていたのだった。帰る場所を失ったミリヤにとって、シーマは生きるよすがだ。


「一人にして悪かった。忙しかったのだ」

「飽きられてしまったのかと思いました」


 飽きるものかと言うのを思いとどまる。シーマを待っていたのは、愛しているからではない。生き延びて、少しでもディアナの役に立ちたいからだ。捨てられぬために色目を使うミリヤは憐れだった。


「傷は癒えております。この間のようなことには、なりませんので……」


 シーマはそんなことを求めていないのに、控えめに誘惑してくる。


「ずいぶん、うぬぼれが強いんだな? 自分にまだ、女としての価値があるとでも?」

「殿方を喜ばせる術は存じております」

「あのなぁ、体の傷を見ると、萎えるんだよ」

「服を着たままがいいとおっしゃるなら、それでも……」


 ミリヤは潤んだ目で顔色をうかがう。


「ディアナのもとへ帰るのは、あきらめたか?」

「はい。今のわたしではお役に立てないでしょうし、邪魔になるだけですから」


 唇を噛んで目を伏せる。これだけでは本心かどうかはわからない。ただ一つ言えるのは、ミリヤがシーマなしでは生きられないということだ。

 シーマは殺風景な部屋を見回した。窓があるだけ以前よりマシだが、ベッドしかない部屋だ。ここで、何日もひたすら待っていたのか。独りぼっちで、定期的に襲ってくる痛みと向き合い、戦うこともできず、女としての機能を失い、主からは見放され……

 憐れんではいけない。この女は無垢なヴィナスに毒を盛った。下劣な策を提案し、悪女の企みに手を貸した。施しをしてはいけない。苦しめる方法でなければ……。


「望みを言え」

「えっ?」

「ディアナの所に帰る以外なら、叶えてやってもいい」


 無駄に媚びられるより、してほしいことをはっきり言ってくれたほうがいい。

 態度と言葉が一致しないシーマに対し、ミリヤは迅速に対応できず、長いまつ毛をパチパチ上下させた。罠かもしれないし、ただの気まぐれかもしれないと、男慣れしている女でも迷ったようだ。


 ミリヤはいったん躊躇(ためら)ってから、外に出たいと要求した。

 シーマは彼女の手を取って立たせる。腕を支えてやれば、歩けないこともない。ただし、階段は下りられなかった。シーマは彼女を背負い、塔の長い階段を下りた。


 よく晴れた日だ。

 地面に足をつけたとたん、ミリヤは笑顔になった。見られているのに気づいて、恥ずかしそうにうつむいたので、本当の笑顔だったのだろう。かわいかった。

 シーマとミリヤは小一時間ほど、塔の近くにある果樹園を散策した。秋桜の月だから、果実は食べごろだ。サルナシやりんご、ざくろがよく実っている。籠を持った下女たちが収穫しているのを横目で見て、シーマは花を摘んだ。青紫のりんどうが遊歩道の脇に咲いていたのだ。控えめな秋の花はミリヤに合っている。髪に差してやると目を見開き、シーマを凝視した。


 何を驚くことがある? 男に優しくされるのは慣れているだろう?──とは思ったものの、素の表情が見られるのは喜ばしいことだ。

 シーマはミリヤと腕を組み、歩調を合わせた。半身をシーマに預けたミリヤは亀の歩みだ。足に関しては、すぐに適切な治療をしなかったため、完全に治ることはないだろう。

 数日ぶりに自分の足で歩くミリヤは嬉しそうだった。シーマが優しいので、図に乗ったのか。赤く実るりんごを指さして、「食べたいです」と甘えた声を出した。


「必要以上に媚びるんじゃない。不快だ」

「じゃあ、どうすれば……」


 ミリヤはシーマの態度に振り回される。気に入られようと懸命になるのはわかるが、シーマは他の男と同じようにしてほしくなかった。

 機嫌を損なったと、困った顔をするミリヤをのぞき見る。シーマが求めるのは飾らぬ素のままのミリヤだ。

 遠慮せず、もっとはしゃいでほしいし、外の空気を味わってほしい。色気を出し、籠絡(ろうらく)しようとしてきたら毅然とした態度ではねつける。

 シーマはリンゴではなく、ざくろを与えた。その場で割って食べろと命じる。ミリヤは口が汚れるのを気にして、躊躇した。


「せっかく取ってやったのに、かわいげのない女だ」

「……どうしてそんな意地悪をするのです? わたしがほしいのは、りんごなのに」

「おまえに選択権はない。俺が好むように話し、俺が望むように動けばいい」

「そんなの愛じゃない……」

「ずうずうしくも、自分が愛されると思っているのか?」


 ミリヤが涙腺を緩ませ、訴えてきても甘やかさなかった。自分が絶対に彼女の一番にはなれないと、わかっている。だから、無情にもなれた。  

 何度も心の中に入り、変えようとしてもできなかったのである。波長は合っているから、操作しやすいはずだった。だが、ディアナに対する忠誠心だけは不動だったのだ。


 ミリヤがざくろを食べる様子を堪能したあと、さすがに体裁が悪いとシーマは後悔した。愛らしい口元が、血を吸ったあとの吸血鬼のごとく赤くなっている。こういう時、従者がいないと不便だ。近くにいた下女に声をかけ、首に下げていた手拭いを濡らしてもらった。

 声をかけられた下女が戸惑うのは当然だった。どこからどう見ても国王が、足の不自由な美女を連れて歩き回っている。従者や護衛もおらず、異様な雰囲気だ。


 ミリヤは少女時代から夜明けの城で生活していた。行動範囲が限られていたとはいえ、顔を知っている者はたくさんいるだろう。噂はすぐに広まる。


 ──構うものか


 関係を続けていれば、いずれ知られることだ。シーマはコソコソせず、堂々と歩いた。女たちの視線から感じられるのは憧憬だけではない。嫉心(としん)も多分にあった。ミリヤは女には好かれない。美しく魅力あふれる女の宿命といえよう。

 小太郎が居場所を聞きつけて、やって来るまえにシーマとミリヤは塔へ引きあげた。

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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

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― 新着の感想 ―
シーマとエゼキエルの因縁は深そうね(´・ω・`) 上手くいきそうかなと思ったけど、そう物事はとんとん拍子には進まないのかな。 シーマはなんだかんだいろいろいじわるしつつもミリヤのことかなり気に入ってる…
お互いが『本当にどうしたいのか?』を素直に言えるまでは、この関係性は続きそうですね。 まぁ、ミリアさんは、ディアナさんへの忠誠がぶれる事はないでしょうし。 シーちゃんは、シーちゃんで、そんなミリアさん…
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