57話 騙し合い
ヴィナスはシーマの裏切りを悲しむだろう。仇を愛してしまったことで、シーマは自責の念に苛まれた。憎悪と愛情の狭間で揺れ動く。
「どうした? わたしの言葉が気に障ったか?」
ミリヤが顔を上げ、嘲笑してきた。彼女には破滅願望があるのかもしれない。意地の悪い顔も愛らしかった。
シーマは平静を装った。
「そうだな、憎まれ口を叩くのはおまえが、かわいそうな女だからだよ? 俺に構ってもらいたくて仕方がないのだろう?」
「キモいね……ほんっと、キモい」
「気の毒に……俺はいつでも、おまえの体を好き勝手できるし、飽きたら放置して忘れることだってできる。おまえは逃げることも死ぬこともできず、俺の施しを受けることでしか生きていけないんだ」
「やっぱ、拷問吏って頭おかしい。あんたのそれって、異常性愛だからね。歪んでるんだよ。まともな恋愛をしたことが、ないんだろう」
「おまえの言う通り、狂ってるんだろうな? おまえを服従させるにはどうすればいいか、俺はそればかり考えている」
ミリヤはシーマを恐れず、歯に衣を着せぬ物言いをする。蔑まれることにシーマは快感すら覚えた。自分をよく見せようとしない、男を頼ろうとしない女は新鮮だ。嘘偽りのない彼女を見られるのも嬉しかった。だが、
「さあ、俺が性欲を満たそうとしたら、おまえはどんな反応をするんだろうね?」
次なる罵詈雑言を期待し、放った言葉は彼女の身を固くさせた。
強がっていても、痛みを忘れることはできない。地獄のような行為を思い出し、呼吸が荒くなる。シーマは女の慄きを敏感に感じ取った。
胸が締めつけられる。本当の彼女は臆病で傷ついている。愛し合いたい欲望はあったが、無理強いはしたくなかった。
欲望を満たすことより、彼女の心を癒やしたい気持ちのほうが勝る。
シーマはミリヤを優しく抱擁し、焦げ茶色の髪に顔を埋めた。髪油の香りを吸い込み、口づけする。
「おまえは俺を恐れている。俺はそんなおまえを哀れんでいるし、傷つけようとは思わない」
胸の中でミリヤが微かに動いた。高めの体温は心に作用する。シーマは天界人のごとく、おおらかになった。
「ほんとに……ほんとに何もしないの?」
ミリヤは上目遣いで問いかけた。打って変わって甘えた声だ。
「わたしのことをかわいそうだと思ってるんなら、お願い! ディアナ様の所へ帰して! 走れもしない体になってしまったけど、まだお仕えできると思う。足も治療すれば、歩けるようになるかもしれないし……」
「ダメだ」
シーマは即答した。ミリヤは鼻をすすり、口調を変えて訴える。
「あなたの言うこと、なんでも聞くから……お願い……」
彼女が演技をしているのだと、シーマにはわかった。同様の手管で何人もの男を騙してきたのだろう。不快だ。
「国内に残っているヘリオーティスの拠点は三十六ヶ所、国外には二十二ヶ所。すでに五ヶ所は殲滅済だ。ミリヤ、おまえが漏らした情報だよ?」
不機嫌を顔に出さずシーマが微笑すると、ミリヤは黙った。
「おまえは裏切り者。ディアナはおまえを許さないし、殺そうとするかもしれない」
「……それでも!……それでも、ディアナ様にお会いしたい! 咎められるだろうけど、構わないんだ。できる限り、おそばにいることができるなら」
シーマは微笑したまま、固まった。心の中に入って精神支配しようとしても、幼少期より植え付けられた妄念を消し去ることはできなかった。何度も何度も、繰り返し彼女の心に呼びかけようが変わらない。ディアナは絶対的存在で、取って代われる存在などあり得ない。ミリヤが解放されることは永遠にないのだ。
──記憶を消し去ることができれば……
能力を使いこなせば、できるかもしれない。だが、今のシーマには無理だ。
いまだ、ディアナに執心するミリヤが腹立たしかったし、許せなかった。
憤りは必然的にミリヤ本人へと向かう。シーマは感情を爆発させることなく、彼女を欺くことで発散しようとした。
「そうだなぁ……おまえが俺の望むようにすれば、考えてもいいかな」
藁をもつかむ思いのミリヤは騙された。最大級の接待をしようと、懸命に…媚を売ってくる。
服を脱ぎ、触れてきた。自分を操作しようとする女に嫌悪感を抱き、シーマはますます冷酷になれた。
娼婦もしないようなことを要求してみる。必死のミリヤは嫌な顔一つ見せず、やってのけた。
嬌声を上げ、シーマを喜ばそうとする。頑として、シーマには要望を受け入れる気はないのだが、歯を食いしばって女を見せる。覆いかぶさるシーマに股を開いた。
うんざりした。
報復としてやっていることで、余計に気分が悪くなる。すっきりしないどころか、邪悪な感情は増幅した。
大げさに喘いで、よがる女に落胆し、苦痛を与えたくなる。下にいたミリヤは勢いあまって、シーマの頭をつかんできた。彼女が不感なのは経験上、わかる。まだ、体も心も快復していない。本当は男が怖いし、痛みもあるかもしれない。こんな半端な演技でどうにかしようなどと、舐められたものだとシーマは思う。
ミリヤが苦しむように長く激しく行為を続けた。目の端から涙が流れても知るものか。自分を粗末にする主から離れられないのが悪い──
後味の悪い終わり方だった。無理に済ませたといっても、過言ではない。シーマは二度と女を抱きたくないと思った。
演じきったミリヤは、シーマの心のうちなど露知らず、
「満足した?」
と、聞いてくる。最悪な気分のシーマは合わせるのを忘れ、ミリヤから離れようとした。
「あんた、最初に会ったころより、だいぶ痩せたんじゃない? 綺麗な顔してる」
腕をつかまれ、シーマは引き寄せられた。ミリヤはキスをしてくる。キスはうまい。
痩せたのは事実だ。人の心の中に入ると、おかしいくらいに消耗する。毎日続けていたら、以前の体重に戻っていた。シオンの熱血ダイエット指導でなかなか効果が上がらなかったのに、皮肉なものである。
「どっかで見たことあるんだよなぁ……夢で見たのかな……」
ミリヤはブツブツ言いつつ、一度離れた唇をまた重ねようと、シーマの頭に手をやった。
ズルリ……何かが滑り落ちる。
ミリヤは目を見開き、シーマの頭から手を離した。驚く顔を見てシーマは、かつらが取れたのだと気づいた。
「う、うそ……まさか……」
ミリヤが戦慄しているのは、シーマの銀髪に対してだ。……いや、シーマそのものに恐れおののいている。薄暗がりでも顔立ちと光り輝く髪ぐらいは視認できるのだろう。記憶がつながってしまったのである。
ずっと、名もない拷問吏でいるつもりだったが、叶わなかった。
シーマは彼女の大嫌いな亜人で、崇め奉るディアナの天敵。殺すべき悪漢。
やってしまったと動揺してから自分より喫驚しているミリヤを見て、シーマは気持ちを落ち着かせた。
──どのみち、いつかはバレることだ。早いか遅いかの違いだろう
「いかにも、俺はシーマ。この国の国王だ」
あっさりと認め、ミリヤの唇を奪った。




