78話 完璧な朝食②(サチ視点)
日が屋内に差し込むころには、数々の料理が大広間の長テーブルに並べられた。
台車に載せて捕虜のもとへ運び終えると、イアンとイザベラは王子を伴ってテーブルについた。
瀝青城でイザベラと一緒に捕らえられたのがニーケ王子だ。捕虜の王子たちが毒殺されるなか、唯一助かった生き残りである。イザベラの懇願に負け、一緒に食事をすることとなった。
十歳のニーケ王子は栗色の巻き毛と青い目を持つ。穏やかで優しげなところはローズの血を感じさせなかった。
現王妃ミリアム……ニーケとヴィナスの母はイアンの叔母で、王子はイアンの従兄弟にあたる。幼いころからローズ家と交流があり、イアンとは親しいようだった。
当主のイアンが上座につき、奥から順に王子とイザベラが横並びに座る。テーブルに並んだのは……
・かぼちゃの和え物
・オニオンスープ
・目玉焼き、チョリソー、ハーブ
・ニョッキのトマトソース、パンケーキ
・ローストチキン、リンゴはちみつマスタードソースがけ
・オリーブとハムのサラダ
「こんな完璧な朝ごはんは見たことがないわ!」
イザベラは感嘆した。
「ねえ、イアン、オリーブのサラダの上に砕いたクルミが載っているのは、わかる? もう全部できたと思ったころに、サチがわざわざ載せたの。それにね、そのかぼちゃの和え物には、ヨーグルトで作ったチーズと干し木苺とアーモンドが入っているの。チキンのソースには林檎の蜂蜜漬けを使ったのよ! それにね、それにね……」
「もういい。褒めるのは味を見てからだ」
サチは食べずに三人の給仕をした。スープを深皿に注いだり、食べ物を取り分けたり、終わった皿を下げたり、飲み物を注いだり……手が空くと食事が滞りなく進んでいるか、立って見守る。
「うん、味は悪くない」
イアンがうなずき、イザベラが相槌を打った。
「限られた食材と足りない人手のなか、よく作ったと思うわ。殿下、調理に付き添ったので毒味は必要ありません。ご安心してお召し上がりください」
「ありがとう、イザベラ。人質になってから食べたなかで、一番おいしい!」
嬉しそうに肉を頬張るニーケ王子に、イザベラは釘を刺した。
「食後、イアンにあのことをご返答くださいね?」
「うん。イアンが悪い人間でないのはわかってる。僕の従兄弟だし……でも……」
「時間の壁を通るのが怖いのでしょう? わたしも同じです。でも、わたしも殿下と一緒に参りますから」
それを聞いて、サチは身を固くした。この二人が同行するとは初耳だ。イアンの後ろへ移動し、耳打ちする。
「どういうことだ? 聞いてない」
「そう言うことだ。イザベラは殿下をお守りするため、殿下のご返答次第では我々に同行する」
「……危険なんだぞ?」
「わかってる。だからこそ魔術の使える者が必要だし、何より本人たちの意志を尊重したい」
聞いてか聞かずか、イザベラが会話に割り込んできた。
「援軍を送ったばかりのグリンデルは厳戒態勢を敷いているでしょう。わたしたちはグリンデルではなく、魔の国へ逃げるべきよ」
魔の国へ逃げるとは思い切ったことを言う。だが、彼女の提案には重要なことが抜けていた。
「何を言ってるんだ? 魔の国は瘴気に覆われてる。普通の人間は……」
「だから、わたしの能力が必要になるのよ! わたしは魔術で瘴気を追い払うことができる!」
イザベラは得意気に胸を反らした。サチはどうも彼女のことが信用できない。人質とは思えないお気楽さは、異常とも受け取れる。
「本当に魔術を使えるのか?」
「簡単な鍵なら開けてみせたでしょう?」
彼女の亡き父は一国の宰相だ。お嬢様がどうしてそんな特技を持っているのか。理解しがたい。
「女王の守人だからよ!」
イザベラは猜疑心を見透かし、種明かしした。
「三百年前、王たちが亡くなるまえに、転生の魔術を使ったのはご存じ?」
「昔話だろ?」
「その時、最も信頼できる家臣を一緒に転生させるようにしたの。クレマンティ家はその一族ってわけ。代々王家を守る術は受け継がれ、わたしは幼いころより、王城の魔術士から魔術を教わり、剣の扱い方や魔法薬の調合も教わった。すべて、アフロディーテ女王が転生した時のためよ」
王の守人……サチも聞いたことはある。おとぎ話の存在が実在するとは思っていなかった。
アフロディーテ女王は魔王となったエゼキエル王が転生することを怖れ、自らも転生の儀式を行ったとされる。国を奪い返さんとする魔王から王国を守ろうとしたのだ。
転生する日は秘密となっており、一族の間で口承される。その時が来たら、守人の生まれ変わりは転生した女王を守るという。
「だから、毒を食べても平気だったんだね」
ニーケ王子が目を輝かせた。守人──少年の心をくすぐりそうな存在である。嘘か本当かは置いといて。
「少量の毒なら幼いころより、体内に取り込んでおりますから……ニーケ様と一緒にいれて、よかったですわ。他の方々は別室にいたため、お救いすることが叶いませんでした」
「まだ信じられないんだ。シーマ・シャルドンが僕の命を狙っているなんて……」
王子は不安そうにつぶやく。イアンはフォークを皿に置いた。
「殿下、何もかも仕組んだのはシーマです。殿下の兄君たちを暗殺したガラク・サーシズはシーマの家来でした。この城に残っていた間者の一人を尋問して吐かせたので、間違いありません。俺は未成年の王子まで殺すつもりは、ありませんでした」
「……イアン、おまえは瀝青城と夜明けの城(王城)に押し入り、父や兄たちを手にかけた……でも、王族とは不思議なもので、彼らが死んでも僕は悲しくないんだ。家族的な関わりがあったのは母や姉たちだけだからね。むしろ、イアンのほうが身近だよ。今は夜明けの城に残った母と、シーラズ城にいるヴィナスのことが心配だ」
「叔母様とヴィナス様には何もしないでしょう。王が特別に任命しない限り、女性には王位継承権はありませんから」
冷静に答えるイアンを前に、サチは自分の力不足を痛感していた。
イアンを制御しようとして情報を小出しにするのは、正しくなかったかもしれない。
いつからか、イアンはシーマが黒幕だと気づいていた。そして、先にローズ城へ戻った時、間者を尋問して確信したのである。
「俺はクロノス国王の不正を告発し、この国を良い方向に変えたかった。戦争をし続け、元からこの大陸に住んでいた亜人を蔑ろにし、旧国民を差別し、内海から搾取し……富を一握りの人間だけが専有する。そんな理不尽な世の中に一石を投じたかったのです。しかし、このままですと、シーマが王になるお膳立てをしただけで終わってしまう」
ニーケ王子は手を止めて、じっとイアンの言い分を聞いていた。
「だが、決めるのは殿下ご自身です。俺のことが信じられないというのであれば、ここにお残りください」
イアンは静かに告げ、フォークを持った。
ニーケ王子はこれから重要なカードになり得る。しかし、イアンは無理強いしたくないようだ。王子本人に自らの命が脅かされている事実を伝え、判断を任せることにした。
──十才の少年には荷が重いだろうに……でも、イアンのやり方は間違っていない
「サチ、給仕はもう必要ない。おまえも座って食べろ」
イアンは王子とイザベラの向かいに座るよう促した。
「使用人を同じテーブルに座らせるの?」
「殿下、サチは使用人ではありません。俺の信頼できる家臣であり、友人です」
目をぱちくりさせるニーケ王子を諌め、イアンは口元をナフキンで拭った。
そんなに食欲はなかったが、食べられる時に食べたほうがいいとサチは思った。次はいつ食べられるかわからない。軽く会釈した後、席についた。
「本当においしい! うちのコックと交換したいくらいだわ」
イザベラが嬉しそうにパンケーキを頬張っている。
「サチと結婚したら毎日食べられる」
「イアン、やめてよ!」
イアンが茶化すと、顔を真っ赤にし、
「殿下、果物をお持ちしますね。絶対、お気に召されると思います」
彼女はごまかすように席を立った。
一、二分後、イザベラは丁寧に薄皮を剥いた半月形の夏みかんを運んできた。夏みかんには半透明の砂糖衣がかかっている。硝子の皿にちょこんと載ったそれらは、かわいらしかった。
「この夏みかん、酸っぱくてあまりおいしくなかったんです。でも、ジ……サチが甘い衣を作って着せてあげたら、ほらどうです?」
「甘酸っぱくて、とてもおいしい」
王子は微笑んだ。
「ほらね! 魔法のようでしょう?」
イザベラは無邪気に笑った。が、笑った直後、突然真顔へと変わる。黒い瞳には涙が滲んでいた。
「わたしたち、きっとうまくいきます。皆、無事でまた戻って来れます。きっと……」
†† †† ††
食事が終わると、すぐに発つ準備をしなければならなかった。
イアンたちは旅装に着替えたり、身支度を整えるのに忙しい。その間、特に用意のないサチは食事の後片付けを始めた。
「片付けはいいから、荷物をまとめるのを手伝え」
「荷物はそんなに持たないほうがいいよ。いなくなったあと、食器がカビるのが嫌だ」
「綺麗好きはいいが、今はそんなことをしている余裕はない。できるだけ早くここを出なくては。壁を越えられなかった時は、内海へ逃げるんだろう?」
サチは呼びに来たイアンに、しぶしぶ従った。
ニーケ王子の返事は「イエス」だった。この選択が彼の死期を伸ばすか、早めるかはわからない。イザベラの魔法を信じることにした。
──彼の存在は俺たちにとっては、貴重な命綱だ
一年後、時間の壁が消えてから王子の存在を公にして、シーマの悪事を告発する。
シーマはそのころ、王位についているだろうが、味方をしてくれる諸侯はいるはずだ。もしくは王子の存在を公にしない代わりに、イアンが新しい人生をやり直せるよう取り計らってもらう。例えば、目立たない内海奥地の領主とか?……どちらにせよ、もう一枚カードはあったほうがいい。
魔の国へ逃げてから、どうするか?
まずは瘴気がない妖精族の村を拠点とする。村を探すのはダモンにやってもらおう。拠点を得たら様子を見て、グリンデルへ亡命する。壁が消えるまでの一年間、危険な国にとどまるつもりはない。厳重に警備された国境でも、折を見て越える方法はあるはずだ。
──ユゼフは元気かな? 事情を話せば、あいつなら協力してくれる
もう一枚のカード……それはディアナ王女だ。
ディアナ王女は、国外でダニエル・ヴァルタン率いる護衛隊によって守られているだろう。とはいえ、身近にいる者の協力が得られれば、会って話せるかもしれない。
ディアナ王女をこちら側に取り込めたら──シーマは王位を継ぐため、ヴィナス王女と結婚することになる。ヴィナス王女はローズの血を引くイアンの従妹だから、こちらの優位に交渉を進められる。
「サチ、早く馬の準備をしろ。もう行くぞ」
イアンの声が聞こえる。
食後、一時間も経たぬうちにサチ、イアン、ニーケ王子、イザベラの四人はローズ城に別れを告げた。
イアンを先頭に王子、イザベラが続き、サチが後ろを守る。従者も馬車もなく、哀れな逃亡者といった体である。
道すがら、サチは振り返らずにはいられなかった。小さくなった薔薇の城が目に入れば、ここで過ごした二年間がまざまざと蘇ってくる。
雑務に追われ、忙しいだけの毎日だった。いいことの一つもなかったが、二度と戻って来られないのかと思うと、とても淋しい。
イアンは意外にさっぱりしていて、どんどん先へ行ってしまった。
「何をしているの? 早く行かないと置いて行かれてしまうわよ?」
イザベラの声で気を引き締め、サチは前を向いた。もう何があっても振り返るまい、これからのことだけを考えよう──と、気持ちを固める。
丘の上からは、かなり遠くまで見渡せる。森の向こうで邪悪な闇が広がっていた。




