46話 エゼキエル対ドゥルジ①
イアンを送り出したエゼキエルは、前線へ繰り出すことにした。
──ああっと! その前に……
徒歩では格好がつかない。乗り物が必要だ。グリフォンか?……人間どもの乗り物は避けたいところだ。それに、エゼキエルのサイズでは乗りにくそうである。もっと大きな動物がいい。呼んで即応してくれるものといえば……剣歯虎、大狼、どれもしっくりこない。そこらへんにいる魔獣を拾ってくるわけにはいかないし、悩ましい。
──あっ! あいつが、いたではないか!!
会うのは三百年ぶりになる。二角獣だ。近くにいてくれればいいのだが。エゼキエルは彼らの声で呼びかけた。来ない場合は最悪、サムの骸骨馬を使わせてもらうことになる。
数分後、痩せこけ、目だけギロギロしたバイコーンが現れた時はホッとした。
弱肉強食の世界は厳しい。特に捕食者の数が過剰な魔国では、捕食者が捕食者を喰らう現象が多発している。肉食のバイコーンが生存競争下で、ふるい落とされそうになっていたのは明らかだった、
エゼキエルは骨ばった背中に血を数滴垂らし、哀れな迷い馬に活力を与えた。
大丈夫。この苛酷な魔国で生き延びた馬だ。薄汚れていても、傷一つない二本の角がすべてを物語っている。彼は強い子だ。
毛並みが艶を帯びるまで、時間はかからない。エゼキエルは待たずに騎乗した。馬の全身は瘴気に包まれ、失われた肉が戻ってくる。身体についた細かい傷は癒やされ、筋肉は増強された。
「では、行こう!」
自身にふさわしくなった馬の背をなで、命じる。鞭を使ったり、蹴ったり、人間がする乱暴な乗り方をエゼキエルはしない。言葉や所作で充分伝わるからだ。馬は人間より賢い。
エゼキエルはバイコーンを戦場まで駆けさせた。
一歩進むごとに、土煙と瘴気を振りまいた。力を得た馬は本来の猛々しさを取り戻し、躍動する血が全身を駆け巡る。エゼキエルが認める美だ。
溢れ出る魔力に魔人どもは、恐れおののいた。強者というのは、いるだけで存在感を示せる。傑出した力は畏怖の対象である。そこにいる誰もが縮みあがり、戦意を失くした。エゼキエルをまったく恐れぬアスターは、やはりどうかしている。
豚魔人も怪狼騎馬隊も退いて道をあけた。味方の骸骨たちは一時停止する。
「臆病者の総統とやら、出て来るがいい! 朕は魔王エゼキエルなり。いざ、相まみえん!」
エゼキエルは声高らかに宣言した。
突風が兵士たちを煽り、オートマトンの残骸をさらっていく。障害物はなくなって、エゼキエルを中心に広々とした闘技場ができあがった。
それから、時を待たずして、灰色の空が瘴気で黒くなった。瘴気の発生源は言わずもがな。魔人たちの群れがカーテンのように開き、ドゥルジが登場した。大きすぎる顔の下で這う触手は海洋生物をイメージさせる。飛び出しぎみの眼球は離れており、不格好な鼻に視線が注がれた。縦線の入った唇から黄ばんだ牙がのぞいている。醜悪さは絶妙な配置の成せる技だ。
エゼキエルの瘴気とは質が異なっていた。邪悪なのは変わりないが、夜の空と深海くらいの違いがある。
「おや? 臆病者とは……? いつぞやの従者か? ずいぶん立派になったものだ」
出て来るなり、嫌味を言われた。
以前、エゼキエルがサムの従者として偵察に行った時のことを言われている。顔を知るクリープがいたために、バレていたらしい。
「はて? なんのことやら?」
エゼキエルは、すっとぼけた。ユゼフ似の人間の従者が、エゼキエルという証拠はどこにもない。
エゼキエルの頭部より大きい眼球を動かし、ドゥルジは見定めようとしてきた。強さを測ろうとしているのか。顔の側面から生えた腕を広げようが、無意味であろう。表に出ている魔力だけでは測れまい。内在魔力は双方、底知らずである。
まず一手。
エゼキエルは背中の月読を抜いた。月読の刃文はつねに揺れ動いている。厚雲から差し込む弱い光で充分に輝いた。夜の海だ。
ドゥルジは魔性の美に目を細める。醜い悪魔は幾度となく、美しいものを蹂躙してきたのだろう。その行為に快楽を見出だし、常習化していたに違いない。
エゼキエルはやや離れたところにいるサムの頭蓋を見やった、教えてやった通りにやれ。我は見ておるぞ──微かにうなずく骨からは、そんなメッセージが読み取れる。
月読を一振りすると、黒い星がほとばしった。流星群は高速で同一方向へ向かって行く。
そのまま直進すれば、ドゥルジの顔は海綿みたいに穴だらけとなったことだろう。一瞬、パチンと弾ける感じがし、黒い星は消えた。
エゼキエルの視力でも、はっきりとは見えなかった。体というか、顔から飛び出した触手が星をはたき落としたのだ。
相手の手番となった。
視力で追いきれぬ動きをエゼキエルは気配で読む。今度はドゥルジの飛ばしてきた物を薙ぎ払った。飛ばしてきたのは触手。払ったあと、高速で戻って行くのが見えた。
二手目はまだ様子見だ。エゼキエルは体勢をまったく変えず、ドゥルジに接近した。距離は二十分の一スタディオン(十メートル)より、剣が届く範囲に狭まる。瞬間移動は至近距離、あるいは眷属がいる場所に限り可能である。エゼキエルは正しい型で月読を振り下ろした。
刃を避けようとせず、ドゥルジの顔面は真っ二つに割れた。切り口の断面には触手が密集している。こういったものに生理的嫌悪を抱くのは、魔人や人間にかかわらず個人の特性だ。
ゾッとする光景から目を逸らそうとすると、蠕動していたそれらは勢いよく伸びて、エゼキエルに肉薄した。想定外だった。
避けきれない。いくつか腕に巻きついた。締め付けられ、強い力で引っ張られる。
エゼキエルは張力に逆らった。赤い飛沫が花を咲かせ、引きちぎられた右腕は月読もろとも奪われる。だが、嘆いてはいられない。漆黒の翼を広げた。
バイコーンとはここでお別れだ。主が離れたとたん、馬は兵士の群れを裂き、一目散に駆けていった。
飛翔するエゼキエルは小さな竜巻を発生させた。
シャドウズ。悪霊たちの集合体だ。エゼキエルは彼らに紛れて姿を消したり、現したりすることもできる。シャドウズは触手を断ち切り、月読を土埃と共に巻き上げた。空中を舞う月読は何回転かし、ちょうどよくエゼキエルの左手に収まった。
一方、置き去りにされた右腕はドゥルジの顔の割れた部分に放り込まれる。パクリ、ゴクン。
「これはいい!」
離れ離れになった目がエゼキエルを捉えた。餌を見る目だ。
「全身に力がみなぎる! 何もかも一新され、感覚が研ぎ澄まされる!」
人魚の肉以上の霊薬ではないかと、おおげさに褒められた。
エゼキエルは食通が感動している間に右腕を再生させる。教えてもらった剣術を、せっかくだから生かしたいが、触手のせいで近接戦は避けたほうがよさそうだ。
近くまで伸びてきたおぞましい触手をぶった切る。教えてもらったことが役に立っているのか、否か。ふにゃふにゃした軟体動物の斬り方は練習していない。サムから伝授されたのは剣か、それに近い形状の武器を相手にした戦い方、人間の戦術である。ただし、以前のエゼキエルはとっさの攻撃を剣で払えなかった。
ドゥルジの再生能力は高い。斬っても斬ってもキリがなく、エゼキエルと同じ速度で元通りになる。触れられたくなかったため、なるべく離れて射出技を使った。瘴気を練って多様な形状を作り出すのは、序の口だ。
「年を召されると、用心深くなるらしい。それとも、サウルの守人に殺されかけたトラウマか?」
また、ダミ声で嫌味を言われる。生まれ変わったエゼキエルはドゥルジより若いはずだが?
やじり型、渦巻き型、星型、球型、流線型……瘴気の塊の大きさや量も自在に変えられる。同種の小さな塊を雨あられと浴びせるクラスター型より、異種混群型のほうが命中率が高かった。弾が違うと排撃の仕方がそれぞれ異なるため、瞬時に対応できないのだと思われる。
盤上遊戯だったら、取った、取り返すの応酬である。やられたら、やり返す。一度始まると激化し、互いに消耗していく。過熱していくにしたがって、距離も縮まってきた。
ドゥルジの割れた顔面に穴をあけることはできなくとも、何度か触手を吹き飛ばすことはできた。また、二度も腕を奪われる失敗は犯さなかったが、エゼキエルも刺突によるダメージを受けた。触手の攻撃力はたいしたものだ。胴体と翼に数か所、穴をあけられた。
そろそろ、盤面が寂しくなってきた……というのは、ゲームだったらの話である。エゼキエルの膨大な魔力はこの程度で尽きない。くだらない駒の取り合いに嫌気がさしたので、王手をかけることにした。エゼキエルは翼をすぼめ、鮫と同じ形になった。




