40話 リゲル
魔女のリゲルが行方知れずになって、数ヶ月が経過していた。
ディアナを逃がしたことを責めるつもりも罰するつもりもないのに、エゼキエルは彼女に怖れられているのだった。
先に裏切ったのはエゼキエルのほうだ。逆に後ろめたかったのである。捜索させる際、ディアナだけ生け捕りにしろと命じたのをずっと気に病んでいた。リゲルの不在は陰鬱な気持ちに拍車をかけている。
唐突に現れた時は内心、飛び上がらんばかりに嬉しかった。
しかし、リゲルは玉座に座るエゼキエルを無視して、ラセルタに声をかけた。
「よぉ! ラセルタじゃねぇか! 元気にしてたか?」
「おかげさまで……相変わらず、かわいいね、リゲルは」
「相変わらず、口八丁じゃな? 亜人の姿は新鮮じゃ」
「これが本来のオレの姿だよ。リゲルはどこにいても変わらないんだね?」
「わしは自分が亜人なのか人間なのか、ようわからんのじゃ。パパは人間じゃったがの」
「魔国じゃ、人間の姿は不便そうだけど……それは置いといて、エゼキエル様に言うことがあるんじゃないの? もっと愛され上手になりなよ?」
虚を突かれ、リゲルはやれやれと肩をすくめた。黒いローブにこぼれる金髪がまぶしい。ラセルタはエゼキエルの気持ちを汲んでくれたのだろう。エゼキエルは魔女の空色の瞳に見入る。
「報告じゃ! 緊急を要する深刻な内容じゃが、聞きたいか?」
「魔王を前にしているとは思えぬ不遜な態度だな? 挨拶もなしか?」
「謝罪をするつもりはない。人間の女にうつつを抜かし、わしを軽んじたのじゃから、当然のことをしたまで」
「軽んじたつもりはないぞ? おまえへの気持ちは変わらぬと、伝えたではないか?」
エゼキエルは勘違いしていた。リゲルは怖れるというより、怒っている。初っ端からケンカ腰だが、頬をプクッと膨らませるさまは愛らしかった。たれ目だから、なおさらなのだ。
「わしのことを自由にするって、捨てるって言うたもん。アホ女のことを選ぶって……」
「そんなこと、誰も申しておらぬだろう? 子供のように拗ねるんじゃない」
鬱陶しいやり取りも、金髪碧眼の魔女なら許せる。瞳に色を帯びているのをエゼキエルは見逃さなかった。
「地獄までついて行くと申したのは嘘だったか? 嫉妬は醜いぞ?」
「そんなこと言うんなら、教えてやらんもん。わしは都合のいい女を卒業するんじゃ」
「他のしもべの前で女を出すんじゃない。仕事と私生活を切り分けろ」
「人間みたいなことを言うようになったんじゃな? 誰かさんの影響じゃろうか?」
ラセルタは痴話ゲンカをニヤけ顔で観察している。見世物ではないのだぞと一瞥し、エゼキエルは玉座を離れてリゲルの真ん前に立った。
人間サイズのリゲルからしたら、圧迫感があるだろう。だが、見上げる魔女は不敵に笑んだ。
「おいたが過ぎる魔女には、お仕置きが必要なようだ」
「浮気性の魔王には天罰がくだる」
「魔人の世界に天罰を持ち込むな」
リゲルは舌を出して赤い唇をなめた。いやに煽ってくるではないか──エゼキエルは目の前のおいしそうな魔女を、喰らいたくて堪らなくなった。
「なら、わしが罰を与えてやる! もう二度と他の女のところへ行かぬようにな?」
どんな罰か。お預けだったら困る。
「人間の魔女ごときが魔王に罰を与えると言うか? その細い腕で何ができるというのだ?」
「腕以外にも武器はあるぞ? わしなら、おまえに勝てる!」
武器というのは、ローブの下の柔らかくて温かいもののことか?……それとも?
「生意気言うな!」
「やるか?」
「望むところだ!」
片眉を上げ、鋭い表情を作ろうとしても無駄だ。どんな顔をしてもカワイイ。
エゼキエルは抱き締めて、リゲルの体の自由を奪った。
「場所を変えよう」
翼を広げ、そのまま浮かび上がる。魔王城の天井は高い。羽ばたいて、天井近くまで行った。クスクス笑うラセルタを尻目に流線型になる。回廊も階段も高速で過ぎ、王の寝室まで分もかからなかった。
私的な空間に入ると、エゼキエルはやや乱暴に魔女をベッドへ転がした。自身は彼女に覆い被さり、両手で体を支える。
「ローブの下の武器とやらを見せるがいい!」
リゲルは迷わず、ローブを脱ぎ捨てた。立派な乳房を守るものは、レースをふんだんに使った下着一枚だけになる。
「今日は革ではないのか?」
「案外、覚えてるんじゃな?」
「どのみち、剥がすが」
言ったとたん、強烈な一撃がエゼキエルのみぞおちに入った。リゲルが膝を打ち込んできたのだ。
ひるんだ隙に魔女は転がって逃れる。
「言ったじゃろ? 罰を与えると!」
エゼキエルは魔女に報復するため、即座に立て直した。
次なる攻撃は? 今のは痛かったし、イラッとした。
ベッドという狭い闘技場で、逃げ続けるのには限度がある。エゼキエルはすぐさまリゲルを捕らえ、ふたたび覆い被さった。今度は逃げられぬよう両腕を抑え、自分の足で股を目一杯広げさせる。
「どうする? 逃げられぬぞ?」
眉毛が下がって、たれ目と平行になる。リゲルは急に細い声を出した。
「痛くしないで。優しくして……」
涙をにじませて訴えられたら、胸が締めつけられるではないか……
「ふっ、触れてもよいか?」
「プッ……くくく……」
エゼキエルが弱気になったところ、リゲルは吹き出した。
「腰抜けじゃな? アホ女の影響か?」
「ぐっ……はかったな!!」
「わかりやすい奴じゃ」
エゼキエルは小憎たらしい口を塞いでやった。リゲルはあっさり受け入れ、甘いキスは成立した。
体温の交換を伴う肉の触れ合いは、わだかまりを溶かしていく。
「淋しい思いをさせて悪かった。もう出て行ったりするな」
素直な言葉はリゲルの胸に響いただろうか。ややあって、
「代わりはイヤじゃ」
と、返ってきた。
「代わりではない」
エゼキエルは光沢のある髪をなでた。
「ディアナのことは、あきらめたか?」
「おまえがほしい」
「わしだけを見てほしい」
わがままな魔女は、じらしてくる。お預けという罰が、一番応えるのをわかっているのである。エゼキエルは強硬手段に出た。
豊満な乳房に顔を埋め、頭の蛇たちに耳やうなじを刺激させた。魔女の吐息は口の中で感じる。もう彼女は抵抗しない。
堰き止めていた堤が崩れると、勢いよく情動が押し寄せてくる。エゼキエルは欲望に任せた。
耳に流れる嬌声は普段のリゲルの声とは違う。か細くて甲高い。虚弱な齧歯類に似ている。エゼキエルも女のように軟弱となった。二人とも睦み合うときは、別の生き物になるのだ。エゼキエルは繊細になり、リゲルは貪欲な雌となった。
舌先から爪先まで、体の尖ったところのすべてが鋭敏になる。絡まり合い、ほぐれ、固く結ばれる。感じ感じられ、揺蕩う悦楽に身を任せる。
脳は刹那の極致の虜となる。エゼキエルは我を忘れて欲した。
飽くまでは求めなかった。
人間は疲れやすいし、壊れやすい。その弱さを愛してもいるのだった。
小休止中は、魔女の柔肌を好きなだけ味わった。むろん、爪は引っ込めている。傷つきやすいものほど美しい。
「どこで何をしていたのだ?」
「秘密じゃ」
「教えぬのなら、こちらにも考えがある」
エゼキエルは、リゲルの深いところに指を伸ばした。
「んんん……たいしたことはしておらんのじゃ。パパを探しておった」
「超次元移動装置とやらの爆発で離れ離れになった父親か?」
「そうじゃ。ついに見つけたんじゃよ!」
エゼキエルの指はリゲルの腹へ移動する。平らなそこに手を置くと、臓器の動きが感じ取れる。跳ね上がるような鼓動が伝わってきた。
「それは僥倖であったな? 元の時代に返してやったのか?」
「いんや……パバはまだ子供じゃった。時間の研究もしておらん。パパになるまえのパパじゃ」
「父親の目的とやらは、わかったのか?」
「まったく、見当もつかんな? 今の時代から十年後、二十年後へ行けばわかるんじゃろうが、なぜか行けないんじゃよ」
エゼキエルは首をひねった。リゲルは時間の壁を行き来している。移動できないということは、その時代に時間の壁がないということだ。
「もっと先の時代へは?」
「ここより先へは行けぬのじゃ。微調整して数日後へ行くこともできぬ」
ということは、近いうちに時間の壁がなくなる。それも、永久的に……。これの意味することは、言葉にしなくても明白だった。
不穏な空気が流れ、エゼキエルは沈黙した。
「意図的に壁を消したのかもしれんし! 時間の壁のせいで過去へ飛ばされたと、パパは言っておったから、完全に消えるわけではないんじゃ。悪いほうに考えるのはやめよう」
リゲルは無理やり、そう思い込もうとしているに違いなかった。鼓動が速くなっている。エゼキエルが深刻に捉えたので、不安になってしまったのだろう。エゼキエルは子猫のようなリゲルの体を抱き寄せた。
「案ずるな。何があっても、朕は消えていなくなったりはせぬ。魔王を見くびるな」
「あっ! こうしている場合じゃないんじゃ!!」
リゲルはエゼキエルの胸を押し、抱擁から逃れた。
「ドゥルジが攻めてくる!!」
確かに緊急を要する報告だった。
エゼキエルは即座に起き上がり、ベッドの頭部分に引っ掛けていたローブを手に取った。




