37話 にぃに
模擬訓練で疲労したアスターはぐっすり眠り、翌朝イアンの聴取をすることにした。
目覚めたイアンは放心状態で、アキラの問いにもあまり答えられなかったという。
「にゃん、にゃー、にゃーーん」
「今回ばかりは、堪えたのでしょう。夜明けの城へ送り返してもいいんじゃないですか?」
通訳カオルは冷たい。
「うむ……本人の希望も聞いてみよう」
アスターは一人でイアンのいる部屋へ行った。
青い鳥がイアンのために掃除した部屋は物がなく、すっきりしていたが、サイドテーブルに置かれた一輪挿しには温かみがあった。活けられているのは夏に咲く黄金の花だ。派手で明るい花はイアンに似ている。
ベッドに座り、空を見つめるイアンは少し臭った。赤毛もベトッとしている。見栄っ張りで見た目を人一倍気にする男が、不潔であることに無頓着なのは異常だった。
「何か食ったか?」
盆に載せられた食事は窓の下のアルコーブ※に置かれている。手をつけた形跡はなかった。※アルコーブ……壁を凹ませてできたスペース。
アスターは遠慮なく、イアンの隣に腰掛けた。
「らしくないじゃないか? あ、剣は無事だったらしいな? 運のいい奴め」
イアンの表情は変わらない。壁に立てかけてあるエデンの剣をアスターは指差した。
「いつもみたいに見せびらかさないのか? 新しい剣じゃないか?」
イアンは頭を少し動かしただけだ。例によって、アスターは煽ってやろうかと思った。
「首から下げている骨はなんだ? 晩餐で出たガチョウか? 骨を取っておきたくなるほど、旨かったのだろうな?」
イアンは反応なし。
「斬新なファッションだ。さすが、洒落者と認知されているだけのことはある」
小馬鹿にした態度もスルーされる。いよいよ、心配になってきた。
「汚ったない赤毛をなんとかしろ! 猿だって、もっとマシだぞ?」
赤毛のことを言っても、眉一つ動かさない。
──クソッ……本気か?
イアンの横顔は大陸人にしては凹凸が緩やかだ。鼻は低い部類に入るだろう。大きな目と横に広がった口が子供っぽさを増していた。通常時はわかりやすい喜怒哀楽を顔に張り付けているのだが、今はクリープのように無表情だった。
考えていることが、手に取るようにわかる脳内ダダ漏れ魔人はどこへ行った? 褐色の瞳は彷徨い続けている。
煽るどころではない。アスターは泡を食った。
「おい! しっかりしないか!」
何も考えず、イアンの腕をつかんだ。すると、イアンの体はカチコチになり、犯されるまえの処女のようになった。瞳の中に怯懦の影が揺れている。
「どうしたというのだ? 何をされた!?」
これではアスターが一方的に、いじめているみたいではないか? 肩をつかんで揺らしても、イアンはおびえるばかりだ。
「女々しいやつめ! 去勢されたか?」
罵倒も効果なし。
「ならば、僧籍に入ってもらおう。坊主にして、修道院にぶち込んでやる」
脅しても無意味だ。
なおかつ、触れられることに異常な拒絶反応を示す。どう対処すべきか、アスターにはわからなかった。思春期の娘以上に難しい。
しかし、時間をかけ世話をしてやれば、元に戻るのではないかという希望を捨てきれなかった。
アスターは嫌がるイアンを無理やり歩かせ、浴場まで連れて行った。
自身も半裸となり、頭を洗ってやる。イアンは終始、アスターを怖がっていた。体を洗えと命じると手は動かすので、言葉は通じている。
魔人の回復力は素晴らしく、裸体はツルッとしており、傷痕一つ残っていない。全身傷だらけのアスターと同じか、それ以上の修羅場をくぐってきたとは到底思えなかった。筋肉の衰えも見られない。あまりジロジロ見ると変態だと思われそうだから、観察はそれぐらいに留めた。
服はアスターの物を着せる。身丈はほぼ合っているのだが、イアンのほうが痩せているため、幅が大きすぎた。
──あとで、縫物が得意な青い鳥に直させよう。
世話をし終わり、満足しきったアスターがイアンを見たところ、顔つきは風呂のまえと全然変わっていなかった。魂が抜けたような、生気を失った顔だ。まともな会話もできなければ、感謝もされない。最大級の親切をしたつもりだったのに、優しさはまったく伝わらなかったのだ。努力が水泡に帰したアスターはがっくり肩を落とした。
時が解決してくれる──根拠のない言葉に縋りつきたい気持ちだった。
二日経ち、イアンは島内を徘徊するようになった。
回復の兆しだと思い込みたいアスターは放置し、イアンの好きにさせた。
地下街避難の際、助けられた島民たちはイアンの姿に歓喜した。お辞儀や敬礼で感謝を示す者もいれば、馴れ馴れしく声をかける者も多数いて、イアンはぎこちなく言葉を返していた。はにかんだり、微笑んだりする場面も見られた。表情が出てきたのは、心が戻ってきている証拠だ。アスターは安堵し、見守りに徹した。
戦闘に参加させられるかもと淡い期待も抱いていた。たまたま森へ入って行くイアンを見つけて、あとを追ったのは単なる気まぐれである。イアンは幼児を連れていた。
アスターは足音を合わせ移動した。気配の消し方は従者だったダーラから教わっている。
小川の前で止まり、イアンは手に持っていた葦の束を地面に置いた。束の中から取り出した葉っぱをこね回している。どうやら、葦の葉で船を作っているようだ。海や河口付近は子供には危ないため、小川へ流すことにしたらしい。幼児はキャッキャッと笑い声を立て、はしゃいでいる。王都に置いてきた愛息子をアスターは思い出した。
──自身がガキだからか、子供に好かれるのよな
幼児といる時のイアンは生き生きしている。以前と同じく無邪気な顔をしていた。
一枚の葉っぱから小舟を作り出すとは器用だ。馬鹿なくせに細かい作業は得意である。幼児も懸命に真似て作っているから、作り自体は単純なのかもしれないが。
何艘も作り、ひとしきり流すと、幼児は飽きて草笛を要求した。手頃な葉っぱを探そうとイアンが近くまで歩いてくる。アスターは肝を冷やした。
「にぃに、こっち!!」
赤い頬の幼児に救われた。良い葉を見つけたらしい。一直線に揃った前髪がかわいらしい子は、目をキラキラさせて、イアンの判定を待っている。アスターのヴェルナーがここにいたら、この子のよい遊び相手になるだろう。数年後の我が子を見ているようで、口元がほころぶ。
残念ながら、見つけた葉はいまいちだったようで、イアンはふたたびうろつき始めた。幼児はそんなイアンにくっついて離れない。
「にぃに、……ちゃんはね、おっきくなったら、にぃにみたいになるよ。つおくなるよ」
幼児は襲撃を受けた地下街から、逃げてきたと思われた。身を挺してオートマトンと戦ったイアンは、避難民たちの英雄なのだろう。
「まちを燃やしたわるものを、やっつけるよ! みんなをまもるの」
イアンは子供の頭をなでている。幼児はアスターに背を向けていて、勇ましい顔は見られなかった。代わりに、泣きそうなイアンの顔が瞼に焼きついた。
「俺みたいになってはいけないよ」
「なんで?」
「痛くて怖いことがいっぱいあるからだよ」
「いたくて、こわいのはいや」
「だから、みんながそういう目に合わないようにしよう」
イアンはちょうど良い葉を見つけ、口に当てた。調子っぱすれの音は滑稽で、心の隙間に共鳴する。幼児のように大笑いできたなら、幸せだっただろう。あいにく、アスターには無垢なところは塵ほども残っていないのだった。
足音は草笛と幼児の爆笑が消してくれる。アスターは森を離れた。




