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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第五部 戦わない戦い(前編)一章 イアン
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37話 にぃに

 模擬訓練で疲労したアスターはぐっすり眠り、翌朝イアンの聴取をすることにした。

 目覚めたイアンは放心状態で、アキラの問いにもあまり答えられなかったという。


「にゃん、にゃー、にゃーーん」

「今回ばかりは、堪えたのでしょう。夜明けの城へ送り返してもいいんじゃないですか?」


 通訳カオルは冷たい。


「うむ……本人の希望も聞いてみよう」


 アスターは一人でイアンのいる部屋へ行った。

 青い鳥がイアンのために掃除した部屋は物がなく、すっきりしていたが、サイドテーブルに置かれた一輪挿しには温かみがあった。活けられているのは夏に咲く黄金の花だ。派手で明るい花はイアンに似ている。


 ベッドに座り、(くう)を見つめるイアンは少し臭った。赤毛もベトッとしている。見栄っ張りで見た目を人一倍気にする男が、不潔であることに無頓着なのは異常だった。


「何か食ったか?」


 盆に載せられた食事は窓の下のアルコーブ※に置かれている。手をつけた形跡はなかった。※アルコーブ……壁を凹ませてできたスペース。

 アスターは遠慮なく、イアンの隣に腰掛けた。


「らしくないじゃないか? あ、剣は無事だったらしいな? 運のいい奴め」

 イアンの表情は変わらない。壁に立てかけてあるエデンの剣をアスターは指差した。


「いつもみたいに見せびらかさないのか? 新しい剣じゃないか?」


 イアンは頭を少し動かしただけだ。例によって、アスターは(あお)ってやろうかと思った。


「首から下げている骨はなんだ? 晩餐で出たガチョウか? 骨を取っておきたくなるほど、旨かったのだろうな?」


 イアンは反応なし。


「斬新なファッションだ。さすが、洒落者と認知されているだけのことはある」

 小馬鹿にした態度もスルーされる。いよいよ、心配になってきた。


「汚ったない赤毛をなんとかしろ! 猿だって、もっとマシだぞ?」

 赤毛のことを言っても、眉一つ動かさない。


 ──クソッ……本気か? 


 イアンの横顔は大陸人にしては凹凸が緩やかだ。鼻は低い部類に入るだろう。大きな目と横に広がった口が子供っぽさを増していた。通常時はわかりやすい喜怒哀楽を顔に張り付けているのだが、今はクリープのように無表情だった。

 考えていることが、手に取るようにわかる脳内ダダ漏れ魔人はどこへ行った? 褐色の瞳は彷徨(さまよ)い続けている。

 煽るどころではない。アスターは泡を食った。


「おい! しっかりしないか!」


 何も考えず、イアンの腕をつかんだ。すると、イアンの体はカチコチになり、犯されるまえの処女のようになった。瞳の中に怯懦の影が揺れている。


「どうしたというのだ? 何をされた!?」


 これではアスターが一方的に、いじめているみたいではないか? 肩をつかんで揺らしても、イアンはおびえるばかりだ。


「女々しいやつめ! 去勢されたか?」

 罵倒も効果なし。


「ならば、僧籍に入ってもらおう。坊主にして、修道院にぶち込んでやる」


 脅しても無意味だ。

 なおかつ、触れられることに異常な拒絶反応を示す。どう対処すべきか、アスターにはわからなかった。思春期の娘以上に難しい。

 しかし、時間をかけ世話をしてやれば、元に戻るのではないかという希望を捨てきれなかった。


 アスターは嫌がるイアンを無理やり歩かせ、浴場まで連れて行った。

 自身も半裸となり、頭を洗ってやる。イアンは終始、アスターを怖がっていた。体を洗えと命じると手は動かすので、言葉は通じている。

 魔人の回復力は素晴らしく、裸体はツルッとしており、傷痕一つ残っていない。全身傷だらけのアスターと同じか、それ以上の修羅場をくぐってきたとは到底思えなかった。筋肉の衰えも見られない。あまりジロジロ見ると変態だと思われそうだから、観察はそれぐらいに留めた。

 服はアスターの物を着せる。身丈はほぼ合っているのだが、イアンのほうが痩せているため、幅が大きすぎた。


 ──あとで、縫物が得意な青い鳥に直させよう。


 世話をし終わり、満足しきったアスターがイアンを見たところ、顔つきは風呂のまえと全然変わっていなかった。魂が抜けたような、生気を失った顔だ。まともな会話もできなければ、感謝もされない。最大級の親切をしたつもりだったのに、優しさはまったく伝わらなかったのだ。努力が水泡に帰したアスターはがっくり肩を落とした。

 時が解決してくれる──根拠のない言葉に縋りつきたい気持ちだった。

 


 二日経ち、イアンは島内を徘徊するようになった。

 回復の兆しだと思い込みたいアスターは放置し、イアンの好きにさせた。 

 地下街避難の際、助けられた島民たちはイアンの姿に歓喜した。お辞儀や敬礼で感謝を示す者もいれば、馴れ馴れしく声をかける者も多数いて、イアンはぎこちなく言葉を返していた。はにかんだり、微笑んだりする場面も見られた。表情が出てきたのは、心が戻ってきている証拠だ。アスターは安堵し、見守りに徹した。


 戦闘に参加させられるかもと淡い期待も抱いていた。たまたま森へ入って行くイアンを見つけて、あとを追ったのは単なる気まぐれである。イアンは幼児を連れていた。

 アスターは足音を合わせ移動した。気配の消し方は従者だったダーラから教わっている。

 小川の前で止まり、イアンは手に持っていた(よし)の束を地面に置いた。束の中から取り出した葉っぱをこね回している。どうやら、葦の葉で船を作っているようだ。海や河口付近は子供には危ないため、小川へ流すことにしたらしい。幼児はキャッキャッと笑い声を立て、はしゃいでいる。王都に置いてきた愛息子をアスターは思い出した。


 ──自身がガキだからか、子供に好かれるのよな


 幼児といる時のイアンは生き生きしている。以前と同じく無邪気な顔をしていた。

 一枚の葉っぱから小舟を作り出すとは器用だ。馬鹿なくせに細かい作業は得意である。幼児も懸命に真似(まね)て作っているから、作り自体は単純なのかもしれないが。

 何艘も作り、ひとしきり流すと、幼児は飽きて草笛を要求した。手頃な葉っぱを探そうとイアンが近くまで歩いてくる。アスターは肝を冷やした。


「にぃに、こっち!!」


 赤い頬の幼児に救われた。良い葉を見つけたらしい。一直線に揃った前髪がかわいらしい子は、目をキラキラさせて、イアンの判定を待っている。アスターのヴェルナーがここにいたら、この子のよい遊び相手になるだろう。数年後の我が子を見ているようで、口元がほころぶ。


 残念ながら、見つけた葉はいまいちだったようで、イアンはふたたびうろつき始めた。幼児はそんなイアンにくっついて離れない。


「にぃに、……ちゃんはね、おっきくなったら、にぃにみたいになるよ。つおくなるよ」


 幼児は襲撃を受けた地下街から、逃げてきたと思われた。身を挺してオートマトンと戦ったイアンは、避難民たちの英雄なのだろう。


「まちを燃やしたわるものを、やっつけるよ! みんなをまもるの」


 イアンは子供の頭をなでている。幼児はアスターに背を向けていて、勇ましい顔は見られなかった。代わりに、泣きそうなイアンの顔が瞼に焼きついた。


「俺みたいになってはいけないよ」

「なんで?」

「痛くて怖いことがいっぱいあるからだよ」

「いたくて、こわいのはいや」

「だから、みんながそういう目に合わないようにしよう」


 イアンはちょうど良い葉を見つけ、口に当てた。調子っぱすれの音は滑稽で、心の隙間に共鳴する。幼児のように大笑いできたなら、幸せだっただろう。あいにく、アスターには無垢なところは(ちり)ほども残っていないのだった。

 足音は草笛と幼児の爆笑が消してくれる。アスターは森を離れた。

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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

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― 新着の感想 ―
あぁ……イアン君がぁ(´;ω;`)ブワッ でもでも。 子供たちと接して、ほんの少しだけ自分を取り戻せてるみたいなので、ちょっぴり安心しました。 やっぱり、イアン君と子供って相性がいいんでしょうね。 …
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