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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)五章 温かい食卓と疑心
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77話 完璧な朝食①(サチ視点)

 鬱陶しい空気を振り切り、サチは廊下を進んでいく。

 壁を渡る方法は……グリンデル水晶で間違いないだろう。やってみないことには、うまくいくかわからないが、確信に近い手応えはあった。


 ──しかし、なんだろう? この言いようのないモヤモヤ感は


 その正体がなんなのか、サチにはわからなかった。




 グリンデル人を閉じ込めてから、サチはイアンと軽い打ち合わせをした。グリンデル水晶を持って、時間(とき)の壁を渡ることで考えは一致している。

 ローズ領と隣接しているのは、グリンデル王国と魔国(まのくに)だ。グリンデルへ亡命するのが妥当と思われた。


 ビロードの絨毯が敷かれた階段の踊り場まで進んで、サチは振り返った。数歩あとからイザベラが犬みたいに息を弾ませて、ついてきている。サチは不快感を露骨に示した。


「ついてくんなよ! 見張れと命じた覚えはないと、イアンは言っていた」

「……方角が、たまたま、一緒な、だけでしょ?」

「なんで、俺たちに協力する?」

「……ねぇ、なんでさっき、嘘を言ったの?」


 イザベラは質問を質問で返してきた。


「あなた、お尻のところにあるでしょ? 十字の傷……着替える時に見たもの……」

「もういい」

 

 まともな返答を期待せず、サチは階段を下り始めた。


「これから何をするの?」

「……」

「ねえ、何するの? 何するの? ねえねえ?」

 

 あまりにしつこいので立ち止まり、にらみつける。視線を真正面に当てられると弱いらしい。イザベラは睫毛を伏せて頬を赤らめた。


「朝食を作る」


 それだけ伝え、サチは背を向けた。イザベラは、自分の知っている女子のイメージとはほど遠い。見た目は素晴らしいのだが、厚かましくて、つかみどころがなく、自己中心的である。なんだか、よくわからない生き物だ。


「だったら手伝わせて! 捕虜も合わせたら大人数だもの。人手が必要でしょ?」


 サチは承知も拒否もせず、無言で主殿の裏手にある鳥小屋へ行った。彼女は小走りで追いかけてくる。着くと、サチは籠を渡した。


「卵を……そうだな、二十個くらい、取ってこい」

「わかった! なんか面白そう!」


 イザベラが卵を取っている間、鶏を二羽選び、絞めて血抜きをした。血抜きが終わるまでの間も忙しい。厨房へ戻り、材料や皿を準備する。

 卵を持って戻ったイザベラに間髪入れず命じた。


「農園に行って野菜と果物を取って来い」

「……このわたしに下女の仕事をさせる気?」

「手伝いたいと言ったのはそっちだろ?」


 鶏の羽をむしり、内臓を取り出す。確か戸棚に林檎の蜂蜜漬けがあったっけ。それとマスタードでソースを作ろう──

 料理は好きだ。一度に二つ、三つのことをやりながら次の手順を考え、こなしていく。

 子供のころ住んでいた屋敷には料理人がいたが、祖母と二人でよく料理した。果物を砂糖や酢で漬けたり、粉を捏ねてパンを焼いたり……

 パンの上に卵黄を塗る、ゼリーの上にミントを飾る、チーズの上に黒胡椒を振る、そんなささやかな心配りが大好きだ。

 鶏をオーブンで焼いている間、ニンニクを潰してトマトソースを煮ながら、小麦粉を捏ねる。

 ニョッキができたらスープに取りかかろう。そうだ、カボチャも茹でなくては……

 



 手際よく野菜を切りフライパンを振るサチの姿を、戻って来たイザベラが憮然として見つめていた。


「何をぼうっとしてる? 早く野菜を洗え」


 言われて正気に返ったイザベラは、取ってきたアカザやルッコラなどの若葉をザルに入れて洗い始めた。


「ちがう! そんなに、がしがしこすっては葉が痛んでしまう。溜め水で優しく洗うんだ」


 サチはイザベラの隣に来てやってみせた。


「果物は?」

「あんまりなかった」

 

 イザベラが持ってきた籠には、大きな夏ミカンが入っている。

 サチはスルスルっと皮を剥いて味見をしてみた。苦味と酸味が強い。丁寧に薄皮を剥き、それをイザベラにも差し出した。イザベラは口に入れたとたん、顔をしかめた。


「酸っぱい……」

 

 ──このままでは使えないか


 サチは小鍋を手に取った。それに水と砂糖を入れる。同時に別のフライパンもかまどに置いた。


「何をするの?」

 

 問いには答えず、卵を割った。手早く混ぜるうちにフライパンが温まる。


「パンケーキを焼くから、君はサラダをオイルで和えてくれ」

「わかった!」

 

 ジュッと小気味よい音と共にバターの芳香が広がった。

 隣の小鍋もフツフツ沸いてくる。溶けた砂糖の甘い香りに、つい頬が緩んでしまう。サチは小鍋を揺らした。真ん丸のパンケーキも膨らんで、空きっ腹を刺激する匂いはピークに達した。

 今度は手首を使って、フライパンを揺らして……ポンッ! パンケーキをヒラリとひっくり返した。

 空中で一回転してから、フライパンの中へ戻るふわふわの満月をイザベラはうっとり見つめる。


「すごくいい匂いがする。ねえ、味見してもいい?」

「ダメだ」


 サチは笑って答えた。妹ととも、たびたび、こういうやり取りをした。いつしか、気持ちは上向きになっている。

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