24話 シーマと話す②
二人とも食事にはほとんど手をつけなかった。イアンはワインで喉を潤し、舌を滑らかにした。
「どうして、戦わせたくないか。単に親しい者たちを悲しませたくなかったからだ。誰の味方になるとかではなく、戦わない選択肢もあると友が教えてくれた」
シーマがもぐもぐし始めたのは、イアンが戯言を繰り返すと思ったからだろう。あいにく、これからより深刻な話をする。
「俺は百日城で拷問された」
ゴクリ、シーマがパンを丸呑みする音が聞こえた。通常だったら胸を叩いて苦しむが、太っちょは食道も胃腸も頑丈にできているので、問題ない。
「切られ、刺され、小便を漏らした。右耳をもがれたよ。そんな俺をナスターシャ女王は嘲笑った。何をしてもすぐに治ると、おもしろがった」
「……許せない」
「もう少しで、気が狂ってしまうところだった。無事で済んだのは、リゲルと友達が助けに来てくれたからだ」
アキラがリゲルを連れて戻ってくれた。そのおかげでイアンは助かったのである。
壮絶な体験を聞いたシーマは、ナスターシャ女王への憎しみを募らせているようだった。イアンも同じだ。弟のようにかわいがっていたニーケを惨殺された。だが、ここで重要なのは憎悪ではない。慈悲だ。
助けてくれたリゲルたちや、地下道で待っていてくれた太郎。今はない夕焼けの街、かくれんぼをする子供たち、行き交う人や呼び込みをする店番──
あの時、オレンジに染まった街の風景を目に焼き付けておいてよかったと思う。
「みんなの優しさや生きた街に助けられた。リゲルとはケンカしちゃったけど……」
あの時の気持ちを忘れてはいけない。慈悲は憎悪より強い。
シーマはまだ憎悪に支配されている。息子を虐待し、辱めたナスターシャには必ず報復したいのだろう。
イアンはリゲルとケンカした理由を話さなくてはならなかった。次なる告白を聞いて、シーマは喉を詰まらせるかもしれないが。
「俺はサウル王、サチ・ジーンニアに仕えようと思っている」
シーマは喉を詰まらせたりしなかったが、咳き込んだ。誤嚥だ。丈夫な消化器官を過信しすぎると、こういう目に合う。
「魔界を旅している時に気持ちが固まった。誰よりも清廉で賢く、王にふさわしい人だよ」
「……どうして……そうなるのだ……?」
小太郎に背中をさすられるシーマは、息も絶え絶えだ。
「まえも言ったけど、俺は何度も命を救われている。サチの言うことには間違いがない」
「ジニアには、そのことを話したのか?」
「まだだ」
シーマは怒らせた肩を下げた。サチがイアンを拒否するとでも思っているのか。なかなか失礼な反応だ。
「本人にその意志がないと、即位はしないだろう。ジニアは無欲だし、自己評価が低いから可能性はないと思う」
「今はな? だが、ナスターシャ女王の時代は終わる。民はサウルの復活を待ち望んでいるし、レジスタンスはサチを立てる気でいる」
そうだ、レジスタンス“青い鳥”の話もしなければ。
魔術師を捨て駒にし、城の人たちを無差別に殺戮しようとしたテロリストだ。リゲルが未然に爆発呪符を解除しなければ、大惨事が起こっていただろう。
「俺たちは青い鳥とは相性が悪い。マイエラの鍛冶工房にルイスがいた時は、背を向けそうになった」
話が前後してしまうのはイアンの悪い癖だ。幸い、シーマは頭がいいので、まとまりのない話でも理解できる。
イアンはルイスを嫌悪していたが、恋人の話を聞いてから見方が変わった。ルイスの恋人はあらぬ疑いをかけられ、拷問死したのである。
話の途中、小太郎は何度も取次役に呼び出された。時間を割いてくれているのは明白で、イアンはシーマの優先事項の最上位に違いなかった。魔力を封じるために嘘をついていようがいまいが、「おまえのためにしている」と言ったのは真実だ。耳打ちする小太郎にシーマは頭を振って答えていた。
真剣に耳を傾けてくれている。イアンは脈アリと踏んだ。
「……んで、俺がサチに仕える話をしたら、リゲルに敵だと言われてケンカになった。俺は助けてくれたリゲルに感謝していたし、とても悲しかったよ。どうして、そんなことを言うのだろうと思った」
たぶん、細かいところは違う。たしか、イアンを助けたのはシーマの保険だからと言われたのだ。イアンはその言葉に深く傷ついた。
「別れたあとも、言われたことを引きずっていた。そしたら、太郎に……友達に言われたんだ。あれはリゲルの本心じゃないって」
その時、ティムが別れ際に言っていた言葉が蘇った。
──次に会う時は敵同士かもしれねぇ
ティムもリゲルもイアンを助けてくれた。それなのに、なぜ戦わないといけないのか。懊悩するイアンを太郎が救ってくれた。
──ならば、戦わない道を選べばよい。戦わない、戦わせない選択肢も必ずあるべし
スッと頭の靄が晴れて、イアンは解放された。
非常にわかりやすく、単純なことだ。どちらが悪か正義か見定めるのではなく、戦わなければよい。
「なるほど、おまえの決めた道を否定はしたくない」
シーマもうなずいてくれて、イアンは嬉しくなった。開眼したあの時の気持ちに共感してもらえるとは、幸せなことだ。
「まだ、続きがあるんだ!」
決意を強固にした出来事はジャメルにも話していない。トラウマだ。イアンは自分を救ってくれた夕焼けの街を失うことになる。
助けられたイアンはレジスタンスのルイスと仲直りし、温かいおふくろの味、ロールキャベツを味わった。庶民の料理と馬鹿にせず、晩餐にも出してもらいたいぐらいの味だった。
同じように傷ついた者たちは、イアンを受け入れてくれる。亜人とレジスタンスの酒場は心と体を慰めた。
まさか、深夜に襲われるなど予想だにしていなかったのである。
地下にある夕焼けの街はオートマトンの襲撃に遭い、炎に覆われた。
追われた人々が、やっとたどり着いた安らぎの場所は燃やされてしまったのだ。避難民たちを必死に守ったイアンは、二度と悲劇を繰り返してなるものかと心に誓う。
絶望し、闇へ堕ちていきそうになるイアンをつなぎとめたのは、守り抜いた赤ん坊のぬくもりと夕焼け色の頬をした少年の勇気だった。生き延びようとする幼き命が、イアンをルイスたちから引き離した。
「復讐の連鎖は永遠に続いていく。俺は二度と子供たちを恐ろしい目に遭わせたくないと思った。第二、第三のニーケを生み出してはならない。誰かが鎖を断ち切らねばならないんだ」
シーマはわかってくれるはずだ。慈悲深い王は亜人を救い、学匠の卵を守っている。イアンの味方だ。過去のことは間違いだったと、全部水に流してもいいと思った。
シーマは実浮城の城下で見た大黒様の置物によく似ている。どこからどう見ても、善人のお人好しである。イアンは期待に胸を膨らませた。
「ナスターシャ女王は打倒せねばなるまい」
シーマの怒りはナスターシャ女王に向いていた。これに関しては致し方ないとイアンも思う。
「残念ながら王権を交代させるには、 グリンデルとの戦いは避けられないだろう」
イアンは同意し、シーマは首肯する。ありがたい意思表示だった。サチが王になるには、シーマの協力は不可欠だ。
目を充血させた大黒様が、慈悲を与えてくれる。
「今の話で心が決まったよ。シオンは大変な思いをして、この城に帰って来たのだな⋯⋯」
「俺一人の力で乗り越えられたわけではない」
「そうだろう。助けてくれた者たちには感謝する」
「ヴィナス様の……母上の想いが俺を強くした」
「死んでいった者たち、特にヴィナスの想いには応えるべきだ」
イアンも涙腺が緩む。ようやく、わかってくれた。敵だと思っていたシーマと心が通じ合った。すがすがしい気分だ。イアンは信じ込み、次の愛ある言葉を待った。ところが、シーマは情深い顔を見せながら一言。
「ディアナとその一党は、根絶やしにせねばなるまい」
冷酷な本音を吐露した。
イアンは聞き間違いかと思った。今の流れからは、予測できない回答だ。
「おまえの話の教訓は、悪を絶対に許してはならないということだ」
「……どうして!? どうしてそうなる!?」
「いや、そうならないほうが、おかしいだろう。ナスターシャとディアナは同類だ」
「うう……どうしてわかってくれないんだ!」
話し合いはここで決裂した。
イアンの心はまったく伝わっていなかった。シーマは憎しみを増幅させただけだったのである。
ディアナ≠ナスターシャ。憎悪≠慈悲。守る≠戦う。




