8話 勘兵衛
勘兵衛は巨樹の裏で鍛冶仕事をしていたようだ。案の定、警戒して手槌を剣のように構えていたが、イアンをみると安堵して崩れ落ちた。
「なんだぁ、イアン様でしたが! おっかねぇ物の怪が訪ねでぎだで思っただよ!」
おっかねぇ物の怪とは鵺のことだろう。物の怪とは正真正銘の化け物、見るもおぞましい邪悪な存在である。赤い肌に角を二本生やした程度では、物の怪のうちに入らない。イアンもそう思う。
「仕事中、邪魔して悪かったな? 刀を受け取りに来た!」
「首長ぐして、お待ぢしておった。マイエラがら文も届いでおります。包真渡してくださり、ありがとうございます」
やや大げさとも受け取れる所作で、勘兵衛は再会を喜んだ。
「今日の仕事は終わりだ! せっかぐイアン様が来られだのだがら、飲むぞ!」
「そうこなくっちゃな!」
イアンは八重歯を舐めた。勘兵衛は太郎以上に優しいから大好きだ。立ち話をする際、イアンが見上げるというのもなかなか稀有である。
イアンは美織が持たせてくれた塩で締めたイワナと酒を渡した。酒はわざわざ城下まで使いを遣って、買わせたものだ。一升徳利に入っている。川魚は、別れを惜しんでいる最中に釣り上げさせていた。こういう段取りを如才なく美織はやってのける。
「つまみにちょうどいい土産話が山ほどある」
「期待してもいいが? イアン様の話は、いづだっておもしれぇ」
「……のまえに、しあがった刀を見たい」
「失礼した! それが一番先でしたね!」
「いや、先に魚を焼いておこう!」
夏は暖炉を使わないのだろう。鍛冶炉のレンガ囲いの近くに焚き火の跡があった。勘兵衛は手際よく火を起こし、イワナの串刺しを並べた後、「ちょっと待ってでぐだせぇ」と、うろの中へ引っ込んだ。はやる気持ちを抑え、イアンは炙られる魚と、にらめっこする。
待つこと数分──
勘兵衛の手には、濡れるような黒漆の拵えがある。鞘には目立つ装飾をせず、塗りの技巧に徹してもらった。同じく黒漆塗りした鍔は薔薇を象っている。柄糸は鮫皮がよく見えるよう絡巻、目貫※は太郎に似た鷲だ。(※刀身を柄に固定する金具)
将来グリンデルの騎士になることを見越して、柄頭に国花の百日草の装飾を施してもらった。紋はまだ早いので入れるのを我慢したのだ。
華美に飾り立てるのを避け、実用的な美に固執した。完璧にイアンの意図を汲み取ってくれたのである。
「素晴らしい!! 思い描いていたとおりの拵えだ!」
「腕の立づ職人さ依頼したがら、当然だよ」
勘兵衛は謙遜せずにうなずく。金が足りないからと拵えを妥協しなくてよかったと、イアンは心から思った。
「さで、お待ぢがねの刀身、ご覧にいだだぎどう存じます」
勘兵衛はかしこまり、刀を抜こうとした。
「ちょっと待った!! まだ、心の準備が……すんげぇドキドキしてる!」
「おっかねぇのは、おらも同じだ。げんとも、早ぐ見でもらいでぇ気持ぢもある」
「じゃあ、十数えてから抜いてくれ」
イアンは目を閉じ、気持ちを落ち着かせようとした。待ちに待った対面だ。この日をどんなに待ち望んだことか。勘兵衛だからこそ、イアンの期待を裏切らない刀を打ってくれると信じていた。同時にどんな刀が出てきても、受け入れられる自信もあった。
「……二、三、一」
イアンが目を開けると、大きく波打つ刃文の刀身が姿を現した。
まるで、先日まで過ごした夜の海だ。月光を浴びて、銀色に輝く波頭。刃は呼吸し、刃文は緩やかに動いている。心休まる波音が、今にも聞こえてきそうだ。
「刃文の種類は大湾れだ。表裏揃っております。毛ほどもズレでいねぇはずだ」
「ああ、見事だ……」
イアンは息を呑んで見入った。
刃文はアルコに似ている。慣れ親しんだ愛剣にそっくりな物を作ってほしいとオーダーしたのだから、当然だと勘兵衛は笑うだろう。刃長、反りも身幅も寸法はほとんど同じ。口伝えだけで、よくもまあ再現できたものだと感嘆する。だが、アルコや包真が持つ禍々しさとは、かけ離れていた。憎とか怒、嫌といった黒い感情は一掃され、ただただ、清らかな気持ちだけが溢れ出る。心が洗われるようであった。
本当に素晴らしい物を目にしたとき、多分な賛辞は不要だ。イアンは言葉を発さず、眼球だけを動かした。
「持ってみますか?」
差し出された刀の柄を握る。最初からそこにあったみたいに馴染んだ。
「お気さ召したが?」
「気に入るも何も……これがいい。これじゃないとダメだ」
「最高の褒め言葉ど受げ取らせでいだだぎます」
勘兵衛の落ち窪んだ目に涙がにじんでいる。イアンと同じで情にもろい。
「ぜひ、試し切りもしてぐだせぇ」
焚き火を囲ったイワナの向きを変えてから、イアンたちは移動した。
仕上がったあと、勘兵衛自身で斬ることもあるのか。金棒製造機の横を過ぎ、巨樹のカーブを半周するまえに試し斬り用のダミーの所へ着いた。青竹と縦に立たせた巻藁が二つ。
イアンは遠慮なく振りかぶった。
スパン!と巻藁は綺麗に斬れる。やはり、見た目通りの業物だ。気持ち良かったので、次は違う角度から斬った。最後に青竹を連続斬りだ。袈裟斬りした後にひらりと刀を返し、斬り上げた。
勘兵衛は拍手で称賛する。手が大きいから、鳴る音も格別である。一人だけでも大喝采に聞こえた。
「すんげぇ、すんげぇ! さすがはイアン様だ! 演武見てるみでぇな刀さばぎでした」
「うむ……ハッ! 全部切り倒してしまったが、大丈夫だろうか?」
「気にしねぇでくだせぇ。こだもの、すぐに作り直せばいいだげだ。それより、おらはイアン様の試し斬りが見れで嬉しい」
それから、イアンたちは焚き火の場所へ戻って酒盛りを始めた。二人には小ぶりな木の椅子を並べて腰掛ける。
小鬼たちが緑の芋虫に似た実と、おむすびを運んできた。
「今の時期、山の恵みは少ねぇもんで……たいしたもんは出せねぇが」
「気にするな。俺はおまえとこうやって、酒を酌み交わせるだけで満足だよ」
イアンは暑くなって、チュニックの紐を解いた。上衣は最初から脱いでいる。初めてここに来た時は、日が沈むころになると震えていた。今は暗くなってやっと涼しくなる。もう真夏だ。
「刀にづげる名はお決まりだが?」
良いことを聞いてくれた。イアンはうなずいて、おむすびを手に取った。
「話のまえに、おむすびを鉄串に刺して炙ってみないか? 焼きむすびになる」
「素晴らしい案だ」
勘兵衛は緑のもこもこした芋虫のような実を勧めてきた。
「枝豆どいって、熟すまえの大豆だ。このように、鞘がら実ぃ取り出して食べんだ」
鞘の膨らみは二つのもあり、三つのもある。触れた感触は硬めで、恐怖心が和らいだ。中身を押し出せば、つややかな本体が登場する。こわごわ口に入れてみて、あまりのおいしさに驚嘆した。
「うんまっ!! これはつまみに最適だな!!」
しばし、イアンの手は盃と枝豆を往復した。焼きたてのイワナも控えている。
「刀の名前は“結”だ。もともと決めていたのさ」
「イアン様らしい、素直なお言葉だで思います」
「俺の主となる人が、以前焼きむすびを作ってくれた。それが死ぬほど旨くてな……いや、旨かったからという安易な理由で名付けたわけではないぞ?」
人と人は縁で結ばれている。
──俺は人との結びつきを大切にしたい。余計なお節介かもしれないけど、どんな出会いも悲観すべきではないと思うんだ。たとえ、悲しい別れを伴うものであっても……出会えたことを素晴らしいと思ってほしい
サチはそう言ったのだ。
「今、俺がここにいるのは、たくさんの誰かとつながっているからで、一人の力だけで存在しているわけじゃない」
火の勢いが弱くなった。煙が膨らみ、螺旋を描き、暗い空へ昇っていく。煙のせいで、星が見られなかった。
沈黙のあと、勘兵衛は顔を上げ、笑顔を見せた。
「あなたのために刀打でで、本当によがった」
「買いかぶり過ぎだよ。さっきの全部受け売りだからな??」
「がははっ……イアン様らしぃや」
おむすびの表面がきつね色に変わっている。頃合いだ。サチの焼きむすびには及ばないが、炙りたてに粉山椒を振っていただく。イケる。
イアンが焼きむすびを食べ尽くすのを待って、勘兵衛は口を開いた。
「イアン様、一づだげ約束してぐだせぇ」
真顔ということは、真剣な話なのだろう。鬼らしい顔に戻っている。イアンは耳を傾けた。
「“結”は、誠を貫くためさ使ってくんちぇ」
誠とは……
「刀は狂気。殺す道具だ。げんとも、イアン様だら、殺すを生がすに変えられるで思うのだ」
それこそ買いかぶり過ぎだ──言いそうになったのを呑み込んだ。結は勘兵衛がイアンのために真心を尽くして打ってくれた刀だ。気持ちには応えなくてはならない。イアンは、
「約束しよう」
と、深くうなずいた。




