4話 ちみもうりょう
考えてみると、超高身長のイアンが乗って足がつかないのだから、鵺は普通の虎より一回り大きい。サイズ的には大狼や象に近いかもしれない。
イアンが主の夫だというのに、虎もどきは全然忖度してくれなかった。躍動する筋肉はイアンが乗っていようがいまいが、通常どおり動作する。倒木や大岩を軽々飛び越え、木々の間をすり抜ける。道のない急な傾斜をダダダッと駆け下り、崖といってもいい角度の尾根を駆け上がった。目を開けるのが困難なほど、吹き付けてくる強風のおかげで速度感がわかる。イアンは化け物の首に手を回し、抱きつかねばならなかった。太郎の羽毛と反して、鵺の毛はごわごわしている。
美織のデートの時とは明らかに違っていた。
「こらっ! もっと、ゆっくり走ったらどうなんだ? 貴人を雑に扱うな!!」
通常、貴人は自分を貴人とは言わない。背中が一瞬盛り上がったということは、鵺は笑いを漏らしたのかもしれなかった。
「以前、黒旋風殺斬撃でバラバラにしたのを根に持っているのか? 最初に襲ってきたのはおまえらだし、元に戻してやったというのに……」
「別にかような理由ではない」
突然、下から返事があったので、イアンは仰け反って振り落とされそうになってしまった。初登場時のサムに似た何重にも反響した声だ。
「しゃべれんのかよ!?」
「相性が良ければ、相手の心に直接話すことができる。だが、今は何もしていないので、汝の能力であろう」
鵺はスピードを緩めた。
「目を凝らして、よく見てみよ」
言われた通り、イアンは目を細めて乱立する木々の合間を窺った。何やら蠢いている。深い黒だったり、透き通る白だったり、海を泳ぎ回る魚と同様、空中を自在に動き回っている。大きい端部が頭部か。反対側の端部は先細り、尻尾のようになっていた。形状はおたまじゃくしに似ている。
「なんだ、あれは?? うようよいる!」
「魑魅魍魎である。少数なら問題ないが、夜になると大量に湧き厄介ゆえ、高速で移動していたのだ」
「あんなのが山に住んでいたのか! 何も知らなかった」
「蓬莱山は神獣だけでなく、魔物の住む山でもあるからな? ここから先の谷が最も増加する。それ以降は減るので、気を付けなくて大丈夫だ」
「何を気を付けるんだ? あんなフワフワした頼りない悪霊、ほっといて平気だろう?」
人間の時なら恐れただろうが、何度も目撃しているし、なんなら吸い取って養分にしてやってもいいぐらいだ。
「多勢に無勢という言葉があってな……」
「恐れる必要などない。あんなの、魔界では普通だぞ? エゼキエルはあれに似た物を使役していた」
これだから田舎者は……とばかりに、イアンは馬鹿にした。
「魔界ではあれを吸って、魔力を補給しつつ戦うのだ。せいぜい、蓬莱洞の綿毛を邪悪にした変種だろ?」
「昼間の精霊が夜気を吸って、ああなると聞いている」
「俺にとっては養分、食いものだ。美織に早く会いたいし、早すぎず遅すぎない速度で走れ」
キィィィィ……背後の蛇が返事をし、イアンは鵺の首に巻き付けていた手を緩めた。不安定だから、手綱がほしい。
風が収まると、森の景色がよく見える。星の光はイアンにはランタンと同じだ。赤、黄、青、緑、それぞれ色を帯びた光が薄ぼんやりと木々を照らし出す。絡まり合う枝の間を縫う悪霊たちは光に透け、見え隠れした。
移動する時に微細な光の粒子を撒き散らすから、通り道には跡が残る。光の尾が長くたなびいて、木々にまとわりつき、何重にも層を作った。
谷では絶景が待ち受けていた。
光を遮っていた葉が途切れ、満天の星々が見下ろしていたのである。人間にとっても明るいであろう夜の光は、動き回るたくさんの悪霊に色をつけた。半透明のそれらが七色をまとい舞う姿は、永遠に見ていたくなる。加えて、木々の細やかな陰影の背景が曖昧な存在を引き立てていた。
「止まってくれ!!……なんて、美しいんだ……」
イアンは純粋な気持ちを述べた。
まばゆい光に満ちた世界が正義で美なのだと、知らず知らずのうちに刷り込まれていた。闇は恐ろしい。危ない、悪だ。見も知りもしないのに、負の感情を植え付けられていた。人間とは愚かな生き物である。
「無知だったんだ。隔絶された人間社会で育てられたために、本当のことを何も教えられずに生きてきたんだ……」
イアンは鵺から降りた。
足元がひんやりしていて気持ちいい。瘴気は消化能力のない人間には毒でも、魔人にはご褒美だ。
鼻腔を開いて目一杯吸い込み、イアンは肺を満たした。強い吸引力は悪霊たちにも適用された。傾斜に生える木々にまとわりついていた彼らが、続々と下りてくる。
「人懐っこい奴らだな! 俺が気に入られてるのか? なにせ、俺は妖精族の王の子で、魔王の血で魔人になったハイブリッドだからな!」
ゴォォォ……と音を立て、悪霊たちはイアンの首、足、腕に巻き付いてくる。大きい端部が頭部で合っているのだろう。ときおり、目鼻口が見えた。どれも口を目一杯開け、何かを取り入れているようだ。怒っているのか悲しんでいるのか、歪んだ顔や無表情もいる。数は徐々に増えていった。鼻や口に入ろうとしてくるのは困る。
「かわいい奴らめ。どこに行っても、俺は人気者だ。強いし、イケメンだし……あっ!こらこら! そんなところへ入ろうとするんじゃない!……うぎゅ……むぎゅ……息が……!」
実体が不確かなくせに力が強い。多勢に無勢か……その通りだ。小さな蟻でも集団で襲いかかれば、数百倍大きい獲物を倒すことができる。
締め付けられ身動きできず、そのうえ鼻や口にまで入り込まれて呼吸を制限された。人込みで押し潰されて死者が出るのは、こういう状況なのかとイアンは納得した。
──んなこと、納得してる場合じゃないっ!!
苦しいやら、頭も働かないやらで、本当に殺されるかと思った。抜刀すらできない。
助けてくれたのは野生の本能だった。イアンは咆哮をあげ、魔力を放出した。要は剣を使わない黒旋風殺斬撃を繰り出したのだ。もちろん、威力はそれに及ばず。飛散する瘴気の塊は不均一で明確な殺意もない。だが、瞬く間に蟻は蹴散らされ、塵となった。山の斜面は一部えぐられ、繊細な影絵はただの残骸に変わる。
「なんてことだ。霊山の山肌を削ってしまうとは、罰当たりな……」
かなり離れた木陰から登場した鵺が嘆いた。他人事な言いように、イアンは腹が立ってきた。
「いや、なんで逃げてんだよ、おまえは? 主の夫だろ、俺は? どうして、ちゃんと守ろうとしないのだ!」
「我は警告したし、汝は平気だと宣った」
鵺の言い分は、もっともである。
せっかくの場所を台無しにしてしまった。あれほどいた魑魅魍魎は、イアンを恐れて消えてしまい、星ばかりが瞬いている。
少年時代、校舎の出窓を粉々に破壊したことが思い出された。たしか、足を使う球技か何か……勝ち負けにこだわるイアンは場外にもかかわらず、奪い返したボールを思いっきり蹴り上げたのだ。
あの時のように後ろめたくなり、イアンは反論するのをやめた。肩を落とし、珍獣にまたがる。
悪霊がいなくなると、静かな夜である。星屑だけがイアンの味方だ。上衣の内側にしまった骨を触って、気持ちを落ち着かせる。骨は太郎とつながっている。ほんのり温かいのは、生きている証明だった。




