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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第五部 戦わない戦い(前編)一章 イアン
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2話 天狗のルーツ

 天地創造から始まる物語は、聖典のなかで描かれる神話と似ている。聖典を作成したのは初代エゼキエル王だ。アニュラスへ最初に来た人間たちの宗教が元になっているからだろうか。エデン人や天狗も外海からやって来たことを考えると、万国共通の神話なのかもしれない。

 早くも序盤で、正座するイアンの足は痺れてきた。気を紛らわそうと、荒々しく揮毫(きごう)された掛け軸を見る。達筆なイアンには、あれが一流の書家の作品だとわかる。


 “神が島々を作り、また神を産んだ。日の本を作り出したイザナギとイザナミの夫婦は仲睦まじく子宝に恵まれたが、イザナミが火の神を出産したことで、離れ離れになってしまう。イザナミは自ら産んだ赤子に焼き殺されてしまうのである。

 イザナギは悲しみ、死者の国まで来て最愛の妻を連れ戻そうとした。だが、イザナミは死者の国の食べ物を食べたので帰れないと、首を横に振る。係の神に相談するから待てと、けっしてのぞいてはいけないと言って、御殿の奥に隠れてしまった。

 待てど待てども、イザナミは現れない。待ちきれなくなったイザナギが約束を破ってのぞいたところ、そこには醜い屍体となり、雷神を体の八箇所から発現させているイザナミの姿があった。恐怖したイザナギは激昂して追いかけてくる妻を振り切り、逃げ帰ることになる。

 その後、イザナギは死者の穢れを落とさんと沐浴し、たくさんの神々を生み出した。そのうちの一柱がスサノオという”※──


 登場人物の名前が異なるだけで、細部まで乳母が読み聞かせてくれた物語にそっくりである。

 太郎があまりにも真剣なので、イアンは「その話は知ってる」と切り出すことができなかった。

 勇猛で武勇に優れたスサノオは英雄神的な存在かと思われる。そのスサノオから生まれた魔神が、天狗の祖先と言われている。


「天狗は人のごとくは繁殖せず。修行僧が代々、神の力を受け継ぐなり」


 太郎は淡々と説明する。僧正というのは聞いていたし、禁欲的な生活態度から、繁殖しないというのは合点がいく。長い昔話のあとにようやく本題へ入った。


「ただし、我が祖、鞍馬山僧正坊だけは、ことなり。本名は言えぬのだが、僧籍に入るまえに子孫を残せり。その子らが虫食い穴を通りて、アニュラスまで来けり。子孫の一人は市井に下り、もう一人は天狗となりき。三百年前、エゼキエルと戦いしはその子孫なり」


 つまり、こういうことだ。

 本来、天狗は子孫を残さず、優れた高僧がさらに研鑽し、神の力を受け継いでいく。血によって継承するシステムではない。だが、太郎だけは特例で、僧籍に入るまえの鞍馬天狗の血筋を継いでいるとのこと。

 天狗のなかにあって、太郎が群を抜いて強いのはそういう理由だったのかと、イアンは納得した。

 腑に落ちないのは、前置きとして語った神話だ。太郎に限って無駄話はしないはずだが……

 疑問に対する解答はすぐに降りてきた。


「鞍馬山僧正坊は神々の系譜に名を連ぬる者の子孫なり。我にもその血、流れたり」

「さっき言った魔神の血が流れているってことか!?」

「さよう」


 これには驚いた。育ちがいいというのは感づいていたが、貴族、王族レベルではない。民間信仰の守り神とも違う。本物の神だ。


「かような身の上ゆえ、他の神に対する悪行には、厳しき目を向けられる」

「そういや、竜やオロチも神だもんな?」

「されど、それだけではならぬ」


 太郎は大きく息を吸って吐いた。イアンと過ごすようになってから、所作が人間らしくなってきた。


「エゼキエルら、三百年前の王が転生の儀式を行ったのは知りておるな?」


 当然だ。イアンは王たちの大喧嘩に巻き込まれた張本人である。そのうちの一人は父親で、一人は従兄弟、一人はこれから仕える人物。三百年もの年月が流れ、生まれ変わっても、いがみ合い続ける彼らには反省してもらいたいものだ。

 イアンの浮き沈みする感情を読み取り、太郎は頬を緩めた……ような気がした。猛禽の表情を読み取るのは難しい。


「我が先祖も未来に望みを託しき。かくて、転生せるが我、太郎なり」

「ん?……てことは、太郎は三百年前にエゼキエルと戦った天狗の生まれ変わりってこと??」


 太郎は首肯した。


「すまぬ。我がお主に組みしは復讐を果たしたいがため。されど、純粋に楽しかったのは真なり」

「なんだよ? 俺を利用していたってことか?」


 問いには答えず、太郎は目を逸らした。友達だと思っていたのに──そんなセリフが浮かんで消えた。


「俺はバカだし、騙しやすかっただろう! うまく操作できて、楽しかったか? ああ?」


 イアンは立ち上がった。痺れた足のせいでバランスを崩し、倒れそうになる。その体を太郎が支えた。


「始めはただ利用するつもりなりき。されど、お主と触れ合うほどに心より協力したいという心地に移ろいけり」

「言い訳なんざ、いらねぇんだよ! どうせ俺はバカだから、騙されるし、裏切られるんだ!」


 イアンは太郎の手を払いのけ、畳に倒れ込んだ。ダサい、ダサすぎる。友にまでバカにされ、裏切られ、惨めだ。しかし、圧迫から脱したばかりの下肢は血液の働きによる恩恵を受けられず、動きを制限される。イアンが常に動き回っているのは、これを防ぐためである。……いや違う。


「ゆっくり、伸ばしていくなり」


 太郎はイアンを助け起こし、棒となった足に優しい刺激を与えた。猛禽の目は慈愛に満ちており、かつてイアンを騙して謀反を起こさせたガラク・サーシズの暗い目とは明らかに異なっていた。


「我はイアンと出会いて学びき。人の感情とは時に煩わしく厄介なれど、心を動かすには要るものと。戦わぬ選択肢もよからぬやと思へり」

「本当にそう思うのか? 仇を討たなくても?」


 太郎の猛禽の目は「さよう」と答えた。


「信じていいんだな?? 本当に?」

「エゼキエルはお主の友人のユゼフでもある。完全には殺すべからず」


 体を支えてくれるたくましい腕が固くなる。イアンは親友を信じることにした。イアンを信頼しているからこそ、本当のことを打ち明けてくれたのだ。それに応えなくては男がすたる。気持ちがしゃんとすると、足にも力が入った。


「もし、いかようにしてもイアンの思い描きし通りにいかざるときは、これ……」


 言いつつ、太郎はイアンから手を離し、自分の腰の辺りを触った。

 ボウッと光が見えたかと思ったとたん、次の瞬間には太郎は骨を握っていた。

 細長い骨が蛇腹のごとく、いくつも重なり合っている。人差し指の半分の長さだ。


「尾端骨なり」

「び、びたん、こつ?」

「尾の名残り」


 イアンはその尾骨だか、恥骨だかを理由(わけ)のわからぬままに受け取った。


「危機に瀕した際、これに念じるがよい。させば、助けに向かわん。心と骨は繋がれり」


 骨は太郎の一部。これを使うのは、生きるか死ぬかの窮地のみだ。イアンは言葉をそう解釈した。友のくれた骨は生暖かく、獣の匂いがする。




※参考文献『古事記物語』角川文庫、角川書店 著者:鈴木三重吉 1955(昭和30)年1月20日初版発行

青空文庫:https://www.aozora.gr.jp/cards/000107/files/1530_5502.html

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