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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)五章 温かい食卓と疑心
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72話 復活(サチ視点)

 ここからの舞台は壁の向こう、主国へ移ります。視点はサチ・ジーンニア。



(あらすじ 主国)


 時間の壁が出現するのと時を同じくして、ユゼフの従兄弟イアン・ローズが謀反を企てる。

 イアンはまず、ヴァルタンの瀝青城に集まった王子たちを倒した。その後、王城を占拠。国王を匿ったシーマ対イアンの構図ができあがった。

 王城をシーマの軍に囲まれたイアンは身動きできず、ユゼフの親友のサチ・ジーンニアに助けを求める。サチは内海を防衛するリンドバーグを調略し、シーマのシーラズ城を包囲するまでに至った。

 しかし、グリンデルからの援軍により情勢はひっくり返る。

 シーラズ城の包囲を解き、イアンの軍は王城にてふたたび籠城することになる。イアンはローズ城へ向かい、カオルに王城を任せた。

 一方のサチはシーラズの城下町にいる妹の所へ行くが、暴漢に襲われてしまう。



人物相関図↓

挿絵(By みてみん)

 (サチ)


 叫び声と同時にサチは目を覚ました。水溜まりに仰向けで寝ている。

 赤い……。

 水溜まりではなく、血溜まりだ。人間一人からここまで出血するのかってぐらい、大きな血溜まりにどっぷりと浸かっていた。

 意識が戻ってくるにつれて、生臭い鉄の匂いが鼻をつく。不思議と不快ではなかった。

 起き上がると、恐怖の眼差しを向けるメラク神父と目が合った。彼の足元には白い顔をしたマリィが横たわっている。


「マリィ!」

 

 サチは立ち上がってマリィに駆け寄ろうとした。


「待て! 正気に戻ったのか!?」


 メラク神父が立ちはだかる。その時、サチは赤く濡れた自分の手に気づいた。穢れていない手の甲で顔を触ると、口の回りがべとべとしている。

 傍にあるのは、無残に損壊された死体が二体。獣に(はらわた)を食い荒らされたように見える。近くに牛角の兜。片方の遺体は顔の半分を食われていたが、残った瞼には傷がある。

 それで、彼らが自分を殺そうとした暴漢だとわかった。


 ──突然、熊か虎でも襲ってきたのだろうか……?


「……先生、何があったか教えてください。この者たちはどうして……」


 サチとメラク神父以外に気配はない。獣は近くにいないようだ。

 マリィの前から動かないメラク神父は、サチを疑い深く()め回した。


「正気には戻ったようだが……何も覚えてないのか?」

 サチは頭を振って、一歩歩み寄った。


「近づくな!」


 強い口調でメラク神父が怒鳴った。いやに高圧的だ。神父の態度にサチはひるんだ。優等生のサチが叱られたことは、一度だってない。


「……なんで、ですか?」

「そこに倒れている者たち……それはすべて君がやったのだ」

「!?」

「君は人間ではない。君は暴漢たちを素手で引き裂き、食ったのだ」

「何を言って……そんなはず……恐ろしさのあまり、幻でも見たのではないですか?」

「幻ではない! その証拠に君は胸を二度も刺されたのに、なんともないではないか?」

 

 サチは前と後ろから胸を刺されたのだった。たしか急所は、かろうじて外れていたが……

 胸の傷口は二つとも塞がっていた。


「君は亜人(デミヒューマン)……いや、亜人でもあのような力は持たない。魔人?……化物だ」

「落ち着いてください。先生は恐怖でちょっとおかしくなってる! そんなこと、あり得るはずが……」

「近づくな! マリィには指一本触れさせない!」

「いい加減にしてください! 気を失って、夢でも見てたんですよ」


 サチはメラク神父の異常な言動にイライラしてきた。緊急時というのに、余迷い事を言うにもほどがある。ズカズカと近寄り、神父の前に立った。


「そこをどいてください! マリィは無事なんですか?」


 どこうとしなかったので、サチは軽く彼の体を押してみた。ほんのちょっと力を入れただけだ。メラク神父は大柄だからビクともしない……はずだった。

 だが、神父は跳ね飛ばされ、数キュビット※離れた壁に叩きつけられた。

 サチは目を疑った。血まみれの自分の手を見ても、いつも通りだ。


 ──何が起こったんだ?

 

 自分にそんな力はあるわけがない。恩師が狂って自演したとしか思えなかった。


「先生、大丈夫ですか?」

 

 声をかけても、メラク神父は呻いただけだった。悪いとは思いつつ、サチはマリィの状態を確認した。

 顔面蒼白のマリィは呼吸をしていなかった。すぐに手当てをしなかったせいか。それとも、冷え切った教会の空気が悪かったのか。サチは震える手を妹の細い手首にあてた。


「どうしよう? 脈が止まってる……」


 とっさに体が動く。学匠になりたかったから、医療の知識は多少持っている。

 サチはマリィの唇に口をつけて息を吹き込んだ。それから、裂かれて、はだけたままになっていた胸を押し、同じ動作を交互に繰り返した。

 

 ──嘘だろ? マリィが……

 

 サチは医学書に書かれたあった心肺蘇生法を試した。マリィはグニャリと身体を弛緩させ、ただの肉塊になっている。

 まだ温かいのに……

 触れる唇も胸も温もりを失わず、柔らかかった。


 ──まだ、生きてる。マリィはまだ……


 救命措置を止めれば、彼女が冷たくなってしまう気がして何度も何度も、サチは呼気を吹き込み続けた。

 しかし、彼女の身体は完全に止まっていた。


「血を与えろ」

 

 不意に後ろから呼びかけられた。メラク神父だ。


「何を?」

「ならず者を喰らったあと、君は私たちを襲おうとしてやめた。そして、こう言ったのだ。“娘を救いたければ、余の血を与えよ”と……血を与えれば、マリィは息を吹き返すかもしれない」

 

 サチは数秒だけ思考を止めた。今は亜人やら魔人やらはどうでもいい。

 言われるままにダガーで手首を切った。マリィを助けるにはどうすればいいのか? 他に何も方法を思いつかなかったのである。

 ほとばしる血潮は真っ赤で、人である証明に思えた。


 ──先生は頭がおかしくなってる

 

 サチは滴る血をマリィの口元に垂らした。血はマリィの唇を濡らし、口から溢れる。溢れた血はうなじを伝い、ブラウスに薔薇の形の染みを作った。


 ──何をやってるんだ、俺は? こんなこと、意味ないのに……


 今までのことの全部が間違いだった。祖父母を亡くしたあと、父親のもとへ行くべきではなかった。学校も無理して通う必要はなかった。意地を張らず素直に働けばよかったのだ。

 イアンなんかに恩義を感じて手助けする必要もなかった。

 シーマを追い詰めなければよかった……そうすれば、マリィは死なずに済んだのに……

 流れ落ちる血と一緒に自分が失われていくような気がする。サチは目を閉じた。


 体の熱は奪われていくのに目の奥はカッと熱くなって、胸が苦しくなる。握った拳まで冷たくなっていく。どんなに心が強くても、耐えられないことだってあるのだ。もう限界だと思った時──

 下から咳き込む音が聞こえた。


「マリィが息を!」

 

 メラク神父が知らせた。サチは慌ててマリィを横向きにした。

 何回か肩を上下させ、マリィの呼気に濁音は混ざらなくなった。のぞきこむと、彼女は目をしっかり開け、サチに視線を返してくれる。


「マリィ、気づいたのか? 俺がわかるか?」

「……お兄ちゃん」


 頬に色味が戻っている。サチは赤く染まったマリィの口をヨレヨレのハンカチで拭った。


「お兄ちゃん、あたし、生きてる……ありがとう」


 背後でメラク神父が鼻をすする音が聞こえた。




※※※※※※※


 教会の屋根裏からサチはシーラズ城の惨憺さんたんたる光景を目撃した。

 城の周りには、反乱軍の兵士と思われる黒い焼死体が山と積まれていた。死体を外側から囲み、動力切れで動かなくなった機械兵士がゴミのように転がっている。城を彩っていた菜の花は黒い灰となっていた。


 散らばる機械兵士(オートマトン)を見るに、彼らの動力が通常より早く切れていることがわかる。時間の壁を通って来たことが関係しているのかもしれない。これで戦況は変化する。


 死にかかったマリィのそばを離れたくなかったが、サチは自らが魔人だという現実を受け入れるのが怖かった。

 腸を食い荒らされた死体。軽く力を入れただけなのに吹き飛ばされたメラク神父。塞がっている刺し傷。血を飲んで蘇ったマリィ……それらすべての出来事から目を逸らし逃げたかった。

 人間を食った獣が自分の中にいる。おぞましい怪物がマリィの近くにいるのは、許されない気もした。


「兆候はあったのか?」

 

 着替えのため、マリィが奥へ行っている間に神父は尋ねた。着替えや荷物は勤務先の商家へ取りに行ったのだ。サチ自身は教会にあった修道士のローブに着替えている。


「いえ……何も……」

「普通は何か兆候があるものだが……突然、覚醒というのは……」

 

 ピンチの際に火事場の馬鹿力を出したことはある。

 王城にイアンと攻め入り、宰相クレマンティ率いる騎士と戦った時だ。あの奇跡は、魔人の力によるものだったのだろうか。


「ああ、折れた歯が二本ほど生えてきました。過剰歯なのかと思ってましたが……それと、傷の治りは普通より早いです」

「その程度か……何か特殊な能力は?」

「さあ……身長も高くないし、運動能力は平均以下です。剣も苦手だし……」

「体の変異は?」

「今のところ、ありません」

「……そうか。これを持って行け」


 メラク神父は懐から聖水を出した。


「体に異変が現れた場合は飲むといい。多少は抑えられる」



 数時間後、サチはマリィとメラク神父と共に教会をあとにした。憔悴していても、マリィのケガは完全に治癒している。

 メラク神父は内海の親戚のもとへマリィを連れて行くと、約束してくれた。

 サチは二人と別れ、イアンのいるローズ城へ向かった。




※一キュビット……五十センチ

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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

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― 新着の感想 ―
[良い点] 小柄なサチが、まるでハルクになったようでしたね。 ユゼフ、シーマ、サチ、、、 イアンを除いた主要キャラクターの3名が、人ならざる者だと分かりました(シーマはまだ分かりませんが)。 サチ…
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