54話 死にそう
太郎から天狗の丸薬をもらい、事なきを得た。イアンの飢餓感は苦い丸薬により満たされる。
河童たちの話によると、イアンはあの時と同様、滝から流れ落ちてきたのだという。オロチを倒したか否か、定かではない。
──精気の輝きの増しているところが、意識の中枢だと思った。その首を討ち取ったのだから、俺の勝利だと思うのだがな。
イアンの負けなら問答無用で喰われていたと思うので、勝ったと断言してもいいような気がする。太郎にそのことを言うと、「勝ち負けより、神獣を粗末にするな」と怒られた。
太郎は美織に助けられ、洞の外へ逃げたとのこと。
「糸が美織殿の洞につながっておってな? 巻き戻すことにより、高速移動ができた。あとは、外に通ずる隠し通路から逃げて、ともかくも助かりき。なにせ、洞全体が水浸しだったゆえ」
「まだ、通路があったのか??」
「出入口が高い位置にあり、松の木にふさがれているため、入りがたき」
崖の穴から美織の糸で下ろされたのだそう。翼が濡れてしまい、太郎は飛べない状態だった。
「我も美織殿のおかげで命拾いした」
イアンも美織に助けられている。耳栓がなければ、四肢を食い千切られていたかもしれない。後日、改めて礼をしようと思った。
「んで、これをどうするかだ……」
イアンの目の前には、河童たちが拾ってくれたオロチの首が五つある。直径はイアンの三倍ほど、丈はイアンの身長の半分のもあれば、四倍ぐらいのもある。充分過ぎる皮が取れる。
「オロチは死んでしまったのかな??」
「回復に時間はかかるだろうが、生きておるだろう。あとで謝罪せいよ?」
謝罪も何も……イアンが顔を見せたら、問答無用で襲ってくるに違いない。また腸を食い荒らされるのは、勘弁してほしい。
「皮を剥ぐのは岳の婆さんに頼まむ。霊薬にならめば、半分は河童たちに差し上げむ。世話になったからな? ほら、イアン、ちゃんと礼を言え」
イアンは無理やり、頭を下げさせられた。太郎が保護者のようなものである。ムカつくが、迷惑をかけた身上としては反抗しづらい。
太郎の翼が乾かないことには里へ帰れず、岳の家に一泊することとなった。
†† †† ††
……そういうわけで、岳の家の囲炉裏を挟んで、イアンは太郎と向かい合っていた。どうにも居心地が悪い。前回、この家に泊まった時、婆さんに襲われるという恐怖体験をしている。
その婆さんはといえば、座敷から二段下がった土間で包丁を研いでいる。シュリシュリシュリシュリと威勢のいい音は、婆さんの機嫌の良さを表わしていた。鼻歌なんか口ずさんで、浮かれているのである。皮を剥いでもらう代わりに、皮以外の部位をやることになったので、それでだ。一頭分の解体は終わっていて、皮が梁にぶら下がっている。
イアンは一つ目小僧の岳にお手玉を教えてやっていた。手初めに三つ、慣れてきたら四つ、五つと増やしていく。歪んだ球状のため、ボールでやるよりやりにくかった。
両手の間を交差して移動する色とりどりのお手玉に、岳は目を輝かせた。お手玉の布は婆さんが昔着ていた着物だそうな。なぜか、着物姿のイザベラが思い浮かんだ。
やるのは簡単だが、教えるのは難しい。一つだけの目ではバランスが取りにくいだろうと、イアンは片目をつぶって披露してみたりした。
囲炉裏にかかる鍋はフツフツと煮立ち始めている。黒ずんだ梁のところまで、湯気が高く昇っていた。
「岳! 火ぃ、弱めろ」
婆さんに命じられ、岳は炭を火箸で拾った。
「赤毛天狗の兄ちゃん、今度は独楽回し教えて!!」
「飯を食ってからだ」
赤毛天狗という呼び方には少々引っかかる。イアンはいちいち咎めたりしなかった。本来、天狗は高位妖魔で岳たちのような低位の異形からすると、近寄りがたい存在らしい。親しみやすいとイアンには懐いているので、細かいことは気にしないようにした。
ちなみに鍋の中にはオロチの肉は入っていない。婆さんが入れようとしたのを、イアンは全力で阻止した。よって、夕飯は質素な雑穀粥である。
椀によそうと、米特有の甘い香りがする。粥の中にあるくすんだ色の野菜は、ずいきという。里芋の茎だそうだ。イアンは火傷する熱さのものを口元へ持っていった。ハフハフしながら、ゲル状の食べ物を箸でかき込むのにも慣れた。
昼間は汗ばむくらいだったのが、ひんやりしていた。涼しい風が戸口から吹き込んで来る。
「待ってろ、今、漬物切るから」
婆さんがオロチの解体に使った包丁を使おうとしたので、イアンはやめさせた。蛇はどうも苦手だ。
未使用の包丁とまな板を出させ、イアンが漬物を切った。瓜の糠漬けはシャリシャリしてうまい。梅干しを断り、漬物を粥にのせて食べた。
流れゆく時は穏やかだ。
就寝する時、そわそわしていたものの、疲れていたのだろう。ぐっすり、眠ってしまった。太郎は横にならず、翼で体を覆い、丸くなっていた。その微笑ましい姿に安心したというのもある。
翌朝、深刻な事態に陥るとは想像だにしていなかった。
イアンは耐え難い頭痛と吐き気によって、目覚めた。目まいがするし、呼吸も苦しい。太郎に触れてもらったところ、高熱を出していた。
「外傷から毒が入ったせいであろう。里に帰って薬をもらってくるから、しばし待っておれ」
「いやだ! 俺を置いて行くな! 一緒に連れてけ!」
イアンは無茶を言って、太郎を困らせた。こんな死にかけの状態で山姥の家に置いていくとは、鬼である。悪魔である。
「参ったな……おぬし、戦う時は勇ましいのに、普段は幼子のようなのだからな……無理はさせたくないが、仕方あるまい」
イアンは布団を巻かれ、太郎に抱えられた。その後の意識は朦朧とし、里にいつ着いたかもわからなかった。
気づいた時にはツリーハウスの客間に寝かせられていた。入れ替わり立ち替わり、違う天狗が付き添ってくれていたが、そばに美織がいる気もした。
氷水で冷やした手ぬぐいを、額に載せられるのが気持ちよかった。数秒も経たぬうちに熱くなるそれを、たらいに何度も浸してくれていたような……
三日三晩、苦しみぬき、四日目、ようやくイアンは自分の力で起き上がれるようになった。
「まだ熱は下がらぬ。峠は越えたが、油断せぬよう、しっかり養生せよ」
枕元で太郎に釘を差された。未回復のまま、出歩いて怒られた前科がある。
イアンが悟ったのは、自分が無敵でも不死でもないということだった。毎回、めちゃくちゃな戦い方をして、太郎に助けられている。イアンの生き方は、つねに崖の上の綱渡りだ。要は何も考えずに突っ走るのがいけない。助ける者がいなければ、成り立たないのだ。
蓬莱の水を飲んだからといって、死なない保証がつくわけではないこともわかった。エゼキエルの三百年前の肉体が滅ばないのは、元来備わっていた高度な再生能力のせいである。再生が間に合わなければ、普通に死ぬ。
何度目かも覚えていない反省をし、イアンは退屈な布団生活に耐えた。
五日目には自力で厠まで行けるようになった。そのころには、付き添う天狗たちに物語を朗読させたり、花札や将棋ができるまでに回復した。
そして六日目、太郎に文を書けと促された。
オロチに無体を働いた謝罪をしなければならないのだが、直接言いに行くとまた揉めるので、文にしたためよと。
イアンは逆らわず、素直に筆を走らせた。対面で謝れなくても、文なら礼を尽くせる。
七日目、美織が看病に来てくれたことを知った。生死の境をさまよっている間に感じた気配は、幻覚ではなかったのだ。
「美織は洞窟を離れて平気だったのかよ?」
「まあ、二日程度なら許されるであろう。たいそう心配されていた」
太郎に言われ、イアンは美織に会いたくなった。
八日目、ミカエルからエラ呼吸マスクができたと連絡があり、獅子島へ向かう。




