70話 ラセルタ①
ユゼフが魔の国へ行くまえにやっておきたいこと。それは、亡くなった三人の葬儀だった。
一人目はイアンの弟(血はつながっていない)のアダム・ローズ。
時間の壁を通り、ヴィナス王女の文を学匠シーバートへ届けた。壁の出現をいち早く知らせてくれたのが彼だ。老人になってしまったアダムのおかげで、ディアナを政治的に利用しようとする者から守ることができた。
ユゼフとは子供のころ、イアンを中心によく遊んだ仲でもある。彼は物静かで親切な少年だった。
二人目は腹違いの兄、ダニエル・ヴァルタン。
兄には憧憬と畏怖。他にも複雑な想いが渦巻いている。ユゼフに対して無関心だったとしても、血のつながった兄には違いなく、遺体を捨て置くのは罪悪感があった。
彼はカワウ八年戦争の英雄であり、ベイルのような卑怯者に呆気なく殺されるべきではなかった。
三人目は学匠シーバート。
五首城で魔物に襲われた時、ディアナを連れて逃げようとしたが殺された。シーバートは王女護衛隊のなかで唯一、ユゼフを気にかけてくれる人物だった。最後に残した言葉と、義母から預かったという古い歴史書は謎を残したままだ……
アダムの遺体はカワウの王城を出る際、馬車に積まれていた。宿営地が襲われてからは放置されている。金目の物以外は盗賊たちの眼中になかったので、遺体は無事であろう。
ダニエルの首はコルモランに渡ったものの、胴体はアダムの遺体と同じく宿営地跡にある。
そして、シーバートの遺体は魔甲虫に侵されたために燃やしてしまった。骨は五首城に置いてある。
ユゼフは葬儀を行いたい旨を食事中に話した。
レーベはユゼフと同じ気持ちだったようだ。魔甲虫の実験のあとなので良い反応は得られなかったが、葬儀には賛成してもらえた。
「あなたに協力するつもりはさらさらないけど、シーバート様の葬儀はしてほしいです。だから遺骨はぼくが取りに行く」
問題はアダムとダニエルの遺体だった。
遺体がある土漠はカワウ国とモズ国との境界にあり、今はカワウ兵が厳戒態勢で配備されている。フェルナンド王子の暗殺を受け、不審者の出国を防ぐためだ。
犯人であるユゼフがその場所に飄然と現れるとは相手側も思わないだろうが、勇気はいる。
ラセルタの一件で険悪になっているアスターからの援助は期待できないし、アキラとバルバソフが手伝ってくれる義理もない。
危険を冒してまで遺体を回収すべきかさんざん迷い、結局ユゼフは行くことにした。
一連の行いに対して、ケジメをつけたいというのが最大の理由だ。
今までやって来たことが正しかったか、間違っていたかはわからない。しかし、死人が出ているのは事実だし、これから増える可能性だってある。
自らの行いで誰かを死へ向かわせたとして、それが不可抗力でも総括は必要だ。何もせずに前へは進めない。犠牲に慣れたら自分を見失ってしまう。
早朝、寝ているエリザを起こさないよう、ユゼフはササッと着替えた。
麻のベストをチュニックの上から羽織り、ターバンを被る。モズの行商人の装いをした。
エリザは衣擦れの音に反応し、寝返って口を動かした。長い睫毛が下まぶたにピッタリ張り付いていて、起きる気配はない。
ぷっくりした半開きの唇から白い歯がのぞいていた。寝顔はさらに幼い。
チリチリと胸が痛むのはなぜか、ユゼフは考えたくなかった。
──年齢を聞いていなかった。ディアナ様と同じくらいだろうか……いや、家出してから一年くらいと言っていたから、少し年上だろう
エリザは素直で優しい子だ。家出などせず、親の言う通りに結婚していれば、内海の領主夫人になっていただろう。
ここにこうしていることが、この子にとっての幸せかどうかはわからない。後悔をしてほしくないと、ユゼフは思った。
そぉっとドアを閉め、厩舎へと向かう。
日の昇るまえの青い空気が清々しかった。昼間の騒々しさが懐かしくなる。ひとけのない食堂兼集会所を横目に、先日ひと騒動起こした広場を突っ切った。
厩舎があるのはアジトの入り口付近だ。人間が住む掘っ立て小屋より、手入れが行き届いているのは好感が持てる。
馬たちはユゼフを確認すると、鼻息荒く足踏みした。気勢を上げ始める呼吸が、やかましい。
ついに嘶こうとしたので、ユゼフは人差し指を唇に当てた。
すると、ピタリと止まった馬たちの他に気配を感じた。
「誰だ?」
トカゲの尻尾が揺れた。目を引くのは尖った耳と小さな二つの角だ。厩舎の入口から姿を現したのは、ラセルタだった。
「お供をさせてください」
「……ここで待っていたのか?」
ラセルタは首肯した。
「足手まといだ」
「足を引っ張るようでしたら、見捨てていただいて構いません」
ラセルタは強い意志を持って茶色い瞳を向けてくる。ユゼフは視線を馬に戻した。
「どうして俺に関わろうとする? 俺について来ても、何もいいことはないぞ?」
「オレは巨木を囲う草※になりたいのです」
「……は?」
「あの、聖典に書かれている……」
いまいちピンとこなかった。聖典にはこう書かれていたはずだ。
巨木の近くに捨てられた種が芽を出し、生い茂るようになった。その結果、有害な草や虫を追い払い、巨木を守ることになった……と。
「オレの両親は普通の人間でしたが、亜人の血が混じっていたせいで、オレだけ体に変化が起こりました。他の兄弟はなんともないのに……十歳くらいの時です。両親は魔獣が住み着くこの森にオレを捨てました」
ユゼフはラセルタの顔を見られないでいた。亜人の子供が捨てられるのは、めずらしいことではない。彼よりもっと過酷な人生を送っている者だって大勢いる。皆、見て見ぬふりをして生きているのだ。
「巨木は王のことでしょう? オレは王を守る草になりたいんです」
ああ、そういうことかとユゼフは納得した。
ニ十頭の馬を操るという大道芸を見せてからというもの、エゼキエル王の生まれ変わりではないかと噂されるようになった。
「解釈が間違ってる。それに言っておくが、俺は昔話に出てくる王様の生まれ変わりじゃないからな?」
否定したあと、気性が荒く足の早い栗毛を馬房から出し、人参と水を与えた。
少年はその間、じっと見守っていた。
ひたむきな瞳は汚い物も見てきたのだろうが、心が汚されるまでには至っていない。保護心が自然と湧いてくる。
ユゼフが馬に鞍を着けて、厩舎を出ようとすると、
「オレの馬は木につないであります」
そう言って、ラセルタは先に出て行ってしまった。
ユゼフが考えているのは、どうやって撒こうかということだった。哀れな少年は大きな勘違いをして、自分を慕っている。罪悪感を打ち消すには彼を突き放すしかない。
盗賊のアジトをあとにして、森をしばらく進んだ。ラセルタは少しだけ間を空け、ユゼフの後ろからついて来る。
「シューシューシューシューシュー……」
爬虫類の吐息が微かに聞こえる。蛇系の魔獣が近くにいるのかもしれない。
ここ数週間、ユゼフは何度も森の魔獣と戦った。魔瓶三十本に大型ミルワームやグリフォンを封じ込めるためである。大型ミルワーム……通称ワームは一番扱い易く、ある特性を持っていたので選んだ。
戦い慣れてるが、今は一刻も早く土漠へ向かいたかった。それなのに……
人的な高音が聞こえてユゼフは振り返った。
ラセルタが指笛を吹いている。
「何をしてる? 魔獣が来てしまう」
ラセルタは口から指を外した。
「そうです。呼んでるんです」
少年はなんてことはないといったふうに答えた。
「魔獣は俺が倒します。それを見て、役に立つか立たないか判断してください」
ユゼフは言葉を失った。尖った上唇から、勇ましい言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
「シューシューシューシュー……」
音は容赦なく近づいてくる。
……と、目の前の藪がガサガサッと動いた。顔を出したのは、ニュルッとした長い生き物だ。
大蛇の胴体はユゼフの腰回りと同じくらいの太さだった。頭部の大きさも人間と変わらない。違うのは人間五人分くらいの体長だ。
顔を出すなり、凄まじい勢いでこちらへ向かって来た。長い体をブルンブルン波打たせている。
とっさにユゼフは馬から降り、体を低くした。大蛇の胴体はあっという間に通り過ぎ、ラセルタへ突進した。
「よけろ!」
ユゼフは叫んだが、馬に乗ったままラセルタは動こうとしない。
──何をしてるんだ!?
助けに行っても、もう間に合わない。
蛇の顔が目前に迫った状態になってから、ラセルタは素早く抜刀した。
かなりギリギリだった。
大蛇がラセルタの上半身に食らいついた直後、その後頭部からサーベルは突き出た。
見事、蛇の脳天を口内から貫いたのである。大蛇の頭蓋がパックリ割れ、そこから幼い顔が出てきた。
「ユゼフ様、ご判断を!」
くずおれる大蛇を前に馬がいなないても、ラセルタは落ち着いている。
わざと大蛇を寸前まで接近させ、効率よく倒した。十五歳とは思えぬ判断力だ。魔甲虫を呑み込んだ時と同じく、勇気がある。
それとも、恐怖という感情が欠落しているのか……
「怖くないのか?」
「全然」
ラセルタは笑顔で答える。足手まといどころか、充分助けになるだろうが……
ユゼフは葛藤した。
「慕ってくれるのは嬉しいが、俺は君のように勇気があるわけではないし、臆病者だ。そばにいれば、必ず落胆することになるだろう」
それを聞くと、ラセルタは満面の笑顔になった。
「つまり、ついて行ってもいいということですね?」
「だから、俺は君の思ってるような……」
「変えるつもりなんでしょ?」
「え?」
「この世界を」
ラセルタは無邪気な目をユゼフに向ける。ユゼフは答えず、馬に乗った。
※巨木を囲う草※
エゼキエル王が作った聖典の中に出てくる寓話。巨木の近くに捨てられた種が芽を出し、生い茂るようになった。結果、有害な草や虫を追い払い、巨木を守ることになった──という話。
この捨てられた種というのは薬草の類ではないかと言われている。なぜなら薬草は防虫や雑草の生育を抑制する効果があるからだ。
いらないと思われた物(人)でも巨木(王)の役に立つという例え。または、邪魔な物(人)が知らないうちに巨木(王)の助けになる。悪を行おうとしても、結果良い人間の糧となるという教訓。諸説ある。




