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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)四章 盗賊達
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63話 貧民窟

 なるべく実家から遠ざかるようユゼフは道案内した。彼らを自分たちの居住区へは行かせたくない。あきらめてくれるのを期待して、あえて道に迷い、二時間近く下町を彷徨(さまよ)っていた。


「さっきからずっと、同じ所をぐるぐるしているような……」


 不信がるカオルが柳眉を寄せた。イアンはだいぶまえからイライラしている。道端に落ちていた空の小樽を見つけるなり、勢いよく蹴り飛ばした。

 限界が近づいていた。


「ペペ、ちょっと……」

 

 シーマはユゼフの腕をつかんで、皆から離れた。


「おまえ、わざと道に迷ったふりをしているだろう?」

 

 シーマは小声だが強い口調で尋ねてきた。鋭い視線から逃れようと、ユゼフは目を泳がせる。


「おい!」

 

 シーマはユゼフの胸を拳で強めに突いた。

 見上げると、普段は絶やさない笑みが消え、真顔になっている。思い通りにならず、腹を立てているのである。

 いつもとは違うシーマの態度を見ても、ユゼフは恐れなかった。今はそれどころではなく、個人的空間へ入られることに脅威を感じている。

 勝手なことを言って従わないからと怒るのはおかしいし、平穏を脅かそうとするその行為に憤ってすらいた。


「サチを笑い者にするのは良くないと思う」

 

 本音が口をついて出た。


「なんだと!?」

「サチの家には行かない」

 

 ユゼフははっきりと断った。

 逆らったのは初めてだ。冷静さを失ったシーマはユゼフから離れ、ムスッとした顔で皆のもとへ戻った。


「ぺぺは道がわからなくなったらしい」

 

 シーマの言葉にイアンは激怒した。


「おい! おまえ、二時間も歩かせてそれか?」

「最初から道には自信ないと言った」

 

 口答えは火に油を注ぐ行為だが、思わず言ってしまった。全員が刺すような視線をユゼフに向けている。


 ──袋叩きにされるかもしれない


 そんな予感が訪れた。イアンが胸ぐらをつかんでくる。振り上げられた拳を見て、ユゼフは目をつむった。刹那、


「もしかしたら、こっちの道かもしれない」

 

 時を止めたのはシーマだった。

 イアンは拳を下ろした。シーマが指し示したのは路地だ。


「さっき歩いていた老人が長屋に帰ると言って、ここを通って行った」

「ほんとか?」

 

 イアンはユゼフを解放し、のぞきこんだ。のぞき込まなくとも、ユゼフの位置からも見える。細い道にはタライや鍋、戸棚などの壊れた生活用品が()てられていて、一列に歩くのがやっとの幅だ。

 奥の方には黒ずんだ建物と汚れた地面が見えた。ヒュウヒュウ、ぬるい風が吹いてくる。

 

 十二歳まで下町で生活していたユゼフでさえ、その道は通ったことがなかった。避けた方がいいものは本能的にわかるものだ。おそらく貧しい人や亜人が住むゲットーにつながっている。「やめたほうがいい」と、喉まで出かかっていたものの、言う勇気が出なかった。

 サチは長屋に住んでいないし、全然見当違いの方角だというのに……イアンとシーマは俄然興味を持ってしまった。


「違ってたら、ただじゃおかないからな?」


 三白眼で威嚇するイアンをシーマは鼻で笑う。


「違ってない保証はないんだが……でも、おもしろい物は見れるかもしれない」

 

 一行はイアンとシーマを先頭に路地を進んだ。

 散乱するゴミにつまずき、少年たちは未知の世界に心躍らせる。暗い道を抜けると、空気が一変した。


 呼び込みをする売り子の声や鍛冶屋の鉄を叩く音、幼子の楽しそうな笑い声はもう聞こえない。

 代わりに啜り泣く女の声が鼓膜を震わせる。路地を抜ける風の音だ。

 虚ろな目をした男が悲しい歌を歌っていた。男の両肩から下はボロが揺れているだけで何もない。

 地面には糞尿が落ちていて、鉄を張った靴底に触れるとニチャニチャ嫌な音を立てた。

 不意に声が聞こえて、ユゼフたちは振り返った。

 尖った耳や角を生やした亜人の子供たちが走り去って行く。

 先頭の子供は巾着袋を高く掲げ、魔族語で「やった」とか「これは俺のものだ」とか言っていたので、財布を盗んだのだろうとユゼフは思った。


「今のは亜人(デミ・ヒューマン)か?」

「初めて見た!」


 大陸に住む貴族の少年たちは亜人を見たことがなかった。貧しい者の居住区に足を踏み入れることなど、なかったからである。


「本当に角が生えていた!」

「尻尾がついているのもいたぞ?」

「耳が神話に出てくる王のように尖っていた!」


 彼らは少々興奮気味に話した。


「亜人など案外かわいいものじゃないか? もっと化物みたいのだと思ってたぞ?」


 イアンが言う。シーマは黙っていた。


「シーちゃん、ここは早く出たほうがいい」

 

 ユゼフが小声で訴えても、シーマは答えない。

 落書きだらけの古びた家々の扉は、どこも固く閉ざされ、道の反対側では酔っ払いが嘔吐している。路地へ入るまえまで晴れていた空が、どんより曇り始めていた。まもなく夕暮れの時間だ。

 イアンが倒れている老人につまずきそうになった。汚物まみれのボロを(まと)い、平べったかったので、地面に同化して見えたのだ。蹴飛ばされても、老人はピクリとも動かなかった。


「おい、爺さん!」


 呼び掛けにも反応しない。イアンは靴の先でツンツンつついた。


「死んでるのでは?」

 

 誰かがそう言うと、場の空気が凍りついた。仲間たちの誰も、死体を見たことがない。

 (にわ)かに怒鳴り声が響いた。入ってきたのとは別の路地の前で男が二人、殴り合っている。男たちはつかみ合いながら、路地の奥へと入っていった。


「ケンカだ!」

 

 少年たちは見物しようと、小走りした。

 路地の手前には、醜い老女が座っている。粗末な木箱にランタンを置き、水晶玉をなでる右手は火傷の跡だろうか、まばらにケロイドが広がっていた。


「使命を背負いし者たち……光と影……四人の王が国を混乱に陥れる……」


 ケンカを見物したい家来の少年たちは、路地へ吸い込まれる。シーマとイアンだけが老女に興味を持ち、足を止めた。

 イアンは老女を(あざけ)った。


「王は一人に決まってるだろうが?」

「わしは時の旅人。よろしければ占って差し上げよう」

「では、占ってみるがよい」

 

 シーマの背後にいたユゼフは不気味な老女から離れたくて、一歩下がった。

 老女はしばらくイアンの顔を見ていた。

 垂れ下がった皮膚の奥に見える瞳は、無気味なほど澄んだブルーだ。顔の中心で強い存在感を放つ鷲鼻。顔の皮膚と同化している唇を開けば、まばらに残った歯が見える。童話に出てくる魔女そのものの風貌だった。

 やがて、老女は……


「本来のあなたではない」


 と一言、言い放った。

 イアンは唖然とする。間を置いてから怒りをあらわにした。


「本来の俺ではないとは、どういうことだ!?……俺はいつでも俺らしく好きなように振る舞っている。自分を偽ったことなどない!」

「すべてが偽りなのだ。ゆえに占うことができない」

 

 老女は言い切った。


「無礼者め! おまえが哀れな老人でなければ、斬り殺しているところだ!」


 剣を抜こうとするイアンの手をシーマが押さえた。


「まあまあ、年寄りの()れ言じゃないか……金を払おう。一応、見てくれたのだから」


 シーマは老女のぼこぼこした手に金を握らせた。

 そこで、ケンカを見物していた家来たちが戻ってきたので、ユゼフは再度ここから出るようシーマを促した。ところが……


「おやおや、めずらしい連中がいるぞ!」


 頬に傷のある大柄な男がこちらを指差している。腰に大剣、胴体にだけ傷だらけのプレートアーマーを身につけていた。

 男が指笛を吹くと、路地裏の男たちがケンカをやめ、向かって来た。

 それだけではない。他の路地からも、いかにもならず者といった風体の男たちが続々と姿を現したのである。

 眼帯、剣を義手の代わりとしている者、ほとんど獣のような亜人……上半身裸か、素肌にベストやジャケットを羽織る彼らの体には傷があり、全員が武器を所持していた。

 彼らは傭兵か、戦争で兵士として戦った者の成れの果てなのかもしれなかった。

 

 ぼんやりしているうちに、ユゼフたちは囲まれてしまった。

 人数は二十人以上。こちらは十人。剣技に自信があったとしても、実戦の経験は誰も持ち合わせていない。


「なんだって、こんな掃き溜めに貴族の坊やたちがいるのだろうね?」


 頬傷の男がニヤニヤして口火を切り、ならず者たちは次々に(はや)し立てた。


「お上品だねえ。腰に差している剣も飾り物みてぇだ!」

「おい、あれを見ろよ! めずらしい、白っ子と赤毛がいる!」

「白っ子の血は難病にきく」

「捕まえて身代金をいただこう!」

 

 リーダー格と思われる頬傷の提案に、ならず者たちはカチャカチャと(つば)音を立てて答えた。


「白っ子は殺して(さば)いて売ろう。赤毛はめずらしいから毛を切れば売れる」

「赤毛の毛を切れ!」

「赤毛の毛を切れ!」

「赤毛の毛を切れ!」


 ならず者たちが口々に騒ぎ立てたので、イアンは怯えた目をして後ずさった。

 少年たちは抜刀し、背中合わせに剣を構える。だが、虚勢を張ったところで体の震えを隠せない者もいた。貴族の少年が、倍人数の実戦経験豊富なならず(・・・)者に勝てる確率は低い。

 「白っ子」というのはシーマのことだ。迷信深い彼らは、色素を持たない人の肝を食らえば、病が癒せると思っているようだった。

 男たちはシーマを殺すつもりだろう。ユゼフは守らなければと思った。誰かを守りたいと思う気持ちは人を強くする。襲われる恐怖より、使命感が勝った。


「シーちゃんは下がってて!」


 そう言って、ユゼフはシーマの前に出て剣を構えたのである。シーマはきょとんとしたあと、おとなしく納剣して下がった。

 隣にいたイアンはユゼフの勇気ある行動に、目を丸くした。

 震えてこそいなかったが、イアンはおびえていたのだ。意外過ぎるユゼフの行動に、負けず嫌いが発動したのだろう。褐色の瞳からは恐怖が消え、燃え盛る炎が宿った。


「リーダーの男は俺が倒す。ペペ、おまえは俺を援護するんだ」


 イアンの指示にユゼフは目で応じた。

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