62─2話 シーマとイアン
問題のある生徒が指導を受けるのは、校内の外れにある礼拝堂である。
礼拝堂へは、細い一本道を通らなければ行けなかった。フカフカの芝生と色とりどりの花々が彩る見晴らしの良い場所だ。
ユゼフはシーマの付き添いで、他の家来三人とその道を歩いていた。
神父が時間差で面談の予定を組んだのには、わけがある。
シーマとイアンが王のように振る舞っていると告げ口があり、圧力がかかったのだ。
まず、先に面談を終えたイアンの姿が見えた。礼拝堂の方から仲間を引き連れて歩いて来る。運悪くシーマのグループと、一本道で顔を合わせることになってしまった。
向かい合ってしまったからには、睨み合うしかない。シーマとイアンは、女性と王族以外に道を譲ったことがなかった。
シーマの右側を歩くユゼフはイアンの視線を恐れ、ずっと下を向いていた。
イアンの右にはカオル・ヴァレリアンがいる。学院に入ってからのカオルは眼鏡をかけ、口元をいつもスカーフで隠していた。妙なファッションだ。
引き連れている人数はそれぞれ四人。ずいぶん長く睨み合った後、案の定イアンが痺れを切らした。
「どけ!」
シーマは少し顎を上げて、イアンより目線を上にした。シーマのほうが二ディジット(三センチ)ほど背が高いので、若干見下ろした感じになる。
「どくのはそっちだ!」
シーマの左側にいたジェフリー・バンディが代わりに怒鳴った。
ジェフリーは軽量な片手剣を得意とする優秀な剣士だ。この一見真面目そうな黒髪ストレートは、何かと突っかかってくるし、見下してくるので、ユゼフは苦手だった。
「なんだと!」
イアンの傍らにいたウィリアム・ゲインとカオル・ヴァレリアンが剣の柄に手をかける。イアンは「待て」と二人を制止した。
「シーマ・シャルドン、勝負しよう! 貴公が剣を握ったところを誰も見たことがない。その腰にぶら下げている物が、ただの飾りでないことを証明するがいい!」
言うなり、イアンは愛剣アルコを抜いた。
シーマは剣術の授業に一度も顔を出さなかったため、剣を扱えないのではないかと噂されていたのだ。
光輝く刀身に驚いたのは一瞬、ユゼフの主はいつもの顔に戻った。
「こちらは代理人を立てる」
「代理人だと? 臆病者め! まさか、隣にいるユゼフに務めさせるわけではあるまいな?」
イアンの言葉に周りの家来たちが声を立てて嘲笑した。主に恥をかかせてしまったと、ユゼフは顔を上げられない。
シーマはユゼフの耳元に口を近づけ、
「気にしなくていい」
と囁いた。
入学してから一年以上が経過していたのに、シーマとイアンが言葉を交わすのはこれが初めてだった。お互いの存在を知ってはいたものの、無意識下で衝突を避けようとしていたのかもしれない。
人間社会の緊張は第六感を鈍らせる。遅れて気配を察知し、ユゼフは後ろを見た。数十歩先に、一本道へ入ろうとするディアナ王女の一行が見える。
「シーちゃん……王女様が……」
ユゼフはシーマの服の袖を引っ張った。イアンも王女の存在に気づいて、剣を鞘に収める。
不可抗力により、一同は道の外に出なければならなかった。芝生にずらり並んで跪く。
可憐な花の香りを振りまき、ディアナは貴族の娘たちと近づいてきた。
道端で頭を垂れる少年たちのことなど、見てもいない。まったく無視して堂々と道の真ん中を歩いた。
だが、シーマの前まで来ると、ひと呼吸だけ止まった。彼女からは甘い精気が発せられている。うつむいていてもユゼフは察した。シーマを見て、頬を赤らめたのだ。
別に珍しくもなかった。王女だろうが、少女だ。シーマに憧れの眼差しを向けるのは、不思議でもなんでもない。
にぎやかな小鳥の囀りが聞こえてきたのは、通り過ぎて少し経ってからだった。興奮冷めやらぬ女子たちが、おしゃべりを始めたのである。
ユゼフは普通より耳がいいので、何を言っているか全部聞き取れた。
「シーマ・シャルドンを見た?」
「睫毛が噂通り銀色だったわ! ステキだった!」
「シーマを見て卒倒する子もいるのよ?」
「そんなに騒ぐほどのことかしらね? 私は乱暴者のイアン・ローズが、剣を抜いていたのに驚いたわ」
ディアナのうわずった声が聞こえる。赤面したことが恥ずかしくて、話を逸らそうとしているのだろう。
視線の先にあるのが青々した芝生だとしても、ユゼフには彼女たちの動きが手に取るようにわかる。ひざまずいたまま、耳をそばだてた。
ディアナの隣にいるのは、宰相クレマンティの一人娘のイザベラだ。何度も後ろを振り返り、誰かを探しているようだった。
イザベラは真っ黒な巻き毛と長い睫毛に縁取られた大きな目が魅力的で、美しい娘たちのなかでも一際目立っていた。
娘たちはさえずり続ける。
「ウィレム・ゲインもいたわ」
「ユゼフ・ヴァルタンも」
自分の名前が出たことにユゼフは歓喜した。しかも、女子に人気のウィレム・ゲインと同列に出されたのだ。
しかし次の瞬間、どん底に突き落とされた。
ディアナが笑いながら、言ったのである。
「ユゼフですって? あいつはどんくさい私生児よ?」
私生児ということをバラされている……羞恥の真っ只中にいるユゼフをよそに会話は弾んだ。
「イザベラ、あなたは誰がいいと思う?」
イザベラは答えず、溜め息を吐いた。ディアナは意地悪な笑みを浮かべているのかもしれない。嗜虐的な声が響いた。
「まさか、噂の彼……ジニアを探していたんじゃないでしょうね?」
「ジニアですって?」
他の娘たちは弾けるように笑い出した。早朝、集まった騒がしい小鳥の群れに似ている。
ユゼフの隣にいたジェフリーが顔を上げてしまうぐらいの声量だった。
「ちがうわ! ちがいます!」
必死に否定するイザベラの声が聞こえた。
世知辛いのは男も女も同じだ。女子の世界の厳しさを垣間見た気がした。
彼女たちの姿が礼拝堂の中へ消えてから、ようやく少年たちは立ち上がった。
「ジニア」という言葉がシーマの耳にも届いたようで、立ち上がるなり、
「ジニアの家に行ったことのある者はいるか?」
と、周りに尋ねた。取り巻き連中はイアンサイドも含めて首を傾げる。
「スイマーの下町に住んでいるとか……」
細剣を差したジェフリーが自信なさそうに答えた。それを皮切りに貴族の少年たちは、サチ・ジーンニアについて好き勝手なことを言い出した。
「なんでも、厩舎より狭い長屋に住んでいるって噂だ」
「長屋ってなんだ?」
「奴隷が住むような細長い住宅で、壁一枚で仕切られた部屋に家族で住むらしい」
「嘘だろ? 使用人ですらそんな所に住まない」
「下町では犬猫のエサより酷い食事らしいぞ?」
「そこら中、ネズミだらけだと聞いた」
「この間、ジニアが破れた制服を自分で縫っているのを見た」
「俺は食堂のパンを持って帰ろうとしているところを見た」
「ところで、なんであいつ一週間も休んでるんだ?」
「もう来ないかも」
「誰か家に課題を届けたりは?」
「ユゼフは仲がいいから、行ったことがあるんじゃないか?」
誰かが発した一言で、皆は一斉にユゼフを見た。
「い、いや、行ったことないかも……」
ユゼフは慌てて否定した。
実際は何度も課題を届けに行っていたし、そこまで酷い環境ではないのも知っている。サチが休んでいるのは、妹が流行り病にかかったので看病のためだ。
「ユゼフがジニアの課題を預かっているのを見た」
ジェフリーが悪意のある笑みを浮かべて言った。シーマが嬉しそうにユゼフを見る。
「そうなのか? ペペは行ったことあるのか?」
「……い、一回くらいなら……」
「充分だ」
シーマはうなずくと、イアンたちのほうを見て言った。
「これからジニアの家へ見舞いに行くことにした……どうかな? 貴公らも一緒に」
ユゼフは驚いて、口から心臓が飛び出しそうになった。
「それは面白そうだな! 俺もサチがどんな暮らしをしているのか見てみたい」
イアンは興味津々の様子だ。一転して、楽しげな表情に変わった。乗り気だ。
「でもシーちゃん、神父様との面談は?」
「やめた、やめた! どうせ行ってもつまらん説教されるし、あとで何か言われたら、病気の友達の見舞いに行っていたとごまかせばいい」
ユゼフは指先の震えをごまかそうと、拳を握りしめた。下町には知り合いが山ほどいるし、貴族の成りでこの若様連中を連れて行きたくない。
ユゼフの実家はサチの家と同じ区域にある。実家に仕送りをするため、隠れて働いている家畜商もその近くだ。
実家へ行かないよう、義母にきつく言われていたから、隠れて支援するしかなかった。ユゼフは博労※のもとで馬の手入れや世話をして給金を得ていたのである。
当然、下町へ行くまえには行き止まりの路地など、人がいないところで平民の格好に着替える。貴族の成りでは目立つし、しかもこんな大人数で……
「下町へ行ったことのある者は?」
シーマの問いかけに、彼らは顔を見合わせた。
「では、ユゼフに道案内させる。ペペ、頼んだぞ?」
シーマはユゼフの肩をポンと叩いた。
「い、い、一回しか行ったことがないから、み、道に自信ない」
「一回行けば充分だろうがよ? ちゃんと案内しろよ!」
イアンはどもるユゼフの腹に拳を軽く当てた。
もし、博労の手伝いをしていることや貧しい実家のことがバレれば、もう学校に通うことはできない。
ユゼフはサチのように強くはなかった。
※博労……馬、牛の仲買人。




