61話 強盗と怯懦
視点ユゼフに戻ります。
(ユゼフ)
その日の夜、ユゼフたちはアキラの屋敷の大広間に集まっていた。
「ニ十だ」
「……じゃ、ニ十五は?」
「ユゼフ、アンタは馬を二十頭までしか動かせなかったんだ。それもぎりぎりの状態で……夜まで気絶していたんだからな?」
ユゼフとアキラは用意する魔瓶の数で言い争っていた。
馬を二十頭操るのは大変だった。
途中、馬の意識がユゼフの中に流れ込み、体を乗っ取られもした。走らせて止まらせるまでなんとか操ったが、その後、ユゼフは完全に意識を失ってしまったのである。今も体が重いし、立っているのもつらい。
努力は報われず、アキラは数をケチった。何かあった時、ユゼフに気絶されたら困るという、みみっちい理由だ。
──知能の低いワームであれば、三十は問題ない数なのに……
アキラは絶対に引き下がろうとしなかった。どうせ、ユゼフは居候の厄介者なのだろう。報酬も口約束、敵だったことも加味すると、無理な話だったのかもしれない。ユゼフは引き下がるしかなかった。
「わかった。じゃあ、二十で」
「だが、どのみち金がない」
お手上げだとアキラは両掌を見せた。
「ユゼフを働かせたらどうだ?」
アスターが口を挟む。待ってましたと言わんばかりにアキラの目がキラリと光り、ユゼフは不安になった。
「……働くって?……盗賊の仕事を手伝うってことか?」
「働かざる者食うべからず、と言ってな……」
「アンタがそれを言うな!」
アスターの言葉に、すかさずバルバソフ(熊男)が反応する。アスターは気にせず続けた。
「剣の腕試しに、ちょうどいいではないか。カワウのクソ貴族の馬車を襲わせよう」
「ちょっと待った! 俺に強盗をしろと?」
「金が要るんだろ? 大義のために必要なことなら致し方あるまい。どうせ相手はカワウの貴族だし」
「俺は盗賊じゃない。貴族の馬車は襲わない!」
ユゼフはイアンと昔やった遊びを思い出し、頭を振った。
「じゃあ、どうやって金を用立てるというのだ? 他力本願では困るぞ?」
「無理だ。できない」
ユゼフはアスターにあらかた従っていたが、これだけは譲れなかった。
アスターは大きな溜め息を吐くと、髭を触りながら少しの間思案し、
「こういうのはどうだろう?」
一呼吸置いてから話し始めた。嫌な予感しかしないと、ユゼフは身構える。
「襲うのではなく、決闘を申し込むのだ」
「決闘?」
「断れば、相手は臆病者のレッテルを貼られるので、九割方受けて立つだろう。それで勝ったら身ぐるみ剥がすか、捕らえて身代金を請求する」
「正面から戦うのか……」
向かい合って戦った経験は、ほとんどない。決闘なんか、もってのほかだ。
「これなら強盗にはならない。おまえは今まで正々堂々と戦わないで、卑怯者の戦い方をしてきたから不安だろうが。いい練習になるのではないか?」
「練習でも勝った試しがない」
「だから、これは必要なことだ。このままで、イアン・ローズに勝てると思うのか? おまえの兄を一回倒しているのだぞ?」
「イアンとは戦わない。話し合って説得する」
「では説得できる確率は何割だ? 説得できなかった場合はやり合うことになる。その時に本番を知らぬまま戦えるのか?」
ユゼフは黙った。アスターはすかさず追い討ちをかける。
「王位継承者がいなくなったせいで、カワウの国内は混乱に陥っている。貴族たちは我こそはと、王位を狙っているのだ。やがて内戦が起こるだろう。我々が何かしようとも些末な事件として片付けられる」
「そういう問題じゃない……」
アスターはユゼフを無視して具体的な話に入った。
「カワウの伯爵にアフラムというのがいる。戦時中、ソラン山脈の戦いで主国軍が追い詰められた時、カワウの後方部隊で指揮をとっていた。地位は高くとも、非常に評判の悪い人物だ。グリンデルからの援軍が虫食い穴を通ってやって来て、主国軍は盛り返したわけだが、アフラムは援軍のことを知ると真っ先に部隊を後退させたという……」
「まさか、その人を襲うとか、言わないよね?」
「そう、大当たり!」
ユゼフは心底嫌だったので、首を横に振り続けた。アスターは愉快そうに笑い、話をやめようとしない。
「まだ続きがある。ちゃんと最後まで聞け。アフラムは奴隷の売買で多くの富を得ているのだ。魔の国へガスマスクを付けた軍隊を送り込み、妖精族の村から大量の亜人を捕まえてきては売り捌いている。しかも、主国の国境を侵して虫食い穴を通ってな……」
楽しそうなアスターに半ば怒りを感じ、ユゼフは話を中断させた。
「アスターさん、無理だよ。俺はまともに正面から戦ったことなんかないし、金のために無関係な人を襲うのは嫌だ」
「アフラムの腕はそこそこだと聞いている」
「だから……」
「アフラムは相当嫌な奴だぞ? 悪い奴で、金を持っていて練習相手にちょうどいい。それにガスマスクが手に入るかもしれない」
ユゼフは匙を投げて、他の顔を見回した。
エリザは憐れみの視線を送っているし、その隣にいるレーベはおもしろがって笑いを堪えている。そして、バルバソフは早く終わってほしいのか、退屈そうに頭をポリポリ掻いている。
アキラは「やれ」と目で伝えてきた。
突然、アスターが顔を近づけ、小声で囁いた。
「おまえは上達している。私が勝ち目のない相手を選出すると思うか?」
ユゼフは驚いてアスターの顔を見た。
さっきまでとは打って変わって、怖いぐらい真面目な顔をしている。ふざけているようには見えなかった。アスターに褒められるのは初めてだ。
決まりが悪くなってユゼフは目を逸らし、
「わかった……」
と、首を縦に振った。
パッとアキラの顔から笑みがこぼれる。光でも発してるのか、まばゆい。美々しい。アスターは嬉しそうにユゼフの肩を叩いた。
最初から二人で示し合わせていたかのように、自然な流れだった。
しかし、それも束の間……
「……でも、無理そうだったら逃げるから」
ユゼフの言葉に一同、目を丸くした。和やかな空気が一変する。「やってしまった」と思っても、後の祭りだ。
「おまえ、それでも騎士か!?」
「騎士ではない」
軽蔑を含むアスターの問いに、ユゼフは悪びれずに答えた。
「ヴァルタン家の唯一の生き残りだというのに、とんでもないことを言う奴だ。恥ずかしくないのか? おまえの兄にそれを聞かれたら、刺し殺されるぞ?」
アスターは憤りを抑えきれないようだ。
「逃げるとか言うな! みっともない」
アキラも声を荒げる。バルバソフは、見たことのない虫でも見る目つきだ。
──やっぱり、そうだ……
貴族の社会に片足を突っ込んでから、場の空気を凍り付かせることは、たびたびあった。
要は価値観の違いだ。
物事の優劣が一般的な庶民と決定的に違うところがあった。彼らは盗賊だが、戦闘民である点は貴族と変わらない。
彼らが最も嫌うのは「怯懦」である。
ユゼフにしてみれば、決闘を申し込んでから逃げるより、強盗するほうが恥ずかしい行為なのだが……
彼らにとっては「逃げる」ほうが恥ずべきことで、それを堂々と言ったため、軽蔑されたのである。
レーベが堪えきれずに笑いだした。
「アスターさん、この人こういう人なんですよ。猫っかぶりで臆病な卑怯者。精神性にはまったく期待しないほうがいいです」
アスターはユゼフに釘を刺した。
「逃げるのは絶対に許さない!これが自分の息子だったら、ぶん殴っているところだ!」
アキラたちからも冷ややかな視線を向けられ、ユゼフは居心地悪くなって下を向いた。引き受けてしまったからには後に引けない。
──そうだ、こういう世界なのだ……
ふと、親友のことを思い出す。
サチ・ジーンニアなら金のために誰かを襲う行為を軽蔑するだろう。彼は絶対に、自分の誇りを傷付けるような行いをしない。
ユゼフはサチの澄んだ瞳を思い出して、後ろめたくなった。




