57話 レーベとアスター②(アスター視点)
ふたたび、レーベの手が伸びてきた。
ほーら、見たことかとアスターは思う。幼いマッドサイエンティストは珍しい虫がほしくてたまらない。
ところが、レーベは怒りをぶつけてくる代わりに、皮膚から少し出ている釘をグリグリ奥へ押しこんできた。
激痛がアスターの全身を貫いた。変な声を出しそうになり、呼気と共に悲鳴を呑み込む。
「何をする!?」
払いのけたつもりが、怪力のため、吹き飛ばしてしまった。レーベの軽い体は後ろにあった丸テーブルに叩きつけられる。テーブルは倒れ、水差しが床へ落ちて水浸しになった。
アスターは焦った。やってしまった……と思った時はもう遅い。
小さな医者は怒りと恐怖でこの部屋から逃げ出すかもしれない。望みの綱が断たれてしまう。
レーベは即座に起き上がり、震える手で水差しを拾った。爛々と怒りを宿しているものの、その瞳に怯懦はない。少年にとって、目の前の大男はもはや恐るるに足らない存在なのだ。
「助けてやってもいい。ただし、あんたが持ってる情報を全部教えてください」
「なぬ??」
「子供という理由で話し合いにも参加できないけど、ぼくには知る権利があると思うんです。あんた……あなたが知り得る限りの国内情勢と、魔国で王女を人質にとっている連中が何者なのか、ユゼフ・ヴァルタンとはどういう関係なのか教えてください」
「知ってどうするのだ? 子供には関係ない話だろうが」
「関係あるかないかはぼくが自分で決めます。あなたは知っていることを洗いざらい話せばいい」
「……わかった。だが、先にこの虫をなんとかしてくれ」
「話が先です」
「おぉい、私を怒らせると怖いのは知っているだろう?」
「今は怖くない。ぼくが助けないと確実にあなたは死ぬ」
アスターはしばし沈黙した。
──なるほど、この子供は小賢しくも私と取引しようとしているのだ。
体格差や年齢、過去に暴力を振るわれたことを考えれば、怯えて当然だ。それなのに、この子は果敢にも挑んで来ようとしている。
おもしろい。未熟にして無鉄砲。いい度胸しているじゃないか、とアスターは思った。ガキ臭い頭領やデカいだけが取り柄の家来より、この子のほうが数倍賢いし、行動力もある。なにより勇敢だ。こういうのは嫌いじゃない。
初対面で見抜いた通り、内面は大人と同じ、いやそれ以上だ。
「ふむ。ならば教えてやってもいいだろう。ちなみに私は死ぬのを恐れているわけではないぞ? おまえを見た目で判断しない。一人前の男と見込んで話すのだ」
次に口を開いた時、ふざけた要素は少しもなかった。アスターは余計な感情を挟まず、一言も漏らさぬよう、知っている事実だけを話した──
鳥の王国内で勃発した謀反の話。謀反人イアン・ローズに対し、王を守るシーマ・シャルドンの構図。尊大で暴力的なイアン・ローズの話。
ユゼフとイアンは従兄弟で、幼いころはよく遊んだということ。穏やかな性格のユゼフはイアンに従っていたが、途中からシーマの家来になった。
現国王の亡きあと、王位を継ぐべきはシーマだと、ユゼフは忠誠を誓っている。
アスターの話を一通り聞き終えてから、レーベは口を開いた。
「ぼくが聞きたいことはそんなことじゃないです。国内のだいたいの状況は、ヴィナス王女の文に書いてありましたから。シーバート様から聞いてます」
「……じゃあ、なんだと言うのだ? すべて話したぞ?」
レーベはベッドで喘いでいるアスターを冷淡に見下ろす。
「あなたは、本当にユゼフ・ヴァルタンを信用してるんですか?」
「七割方は。なぜなら、あいつは盗賊の雇い主の首を持ってきてから取引に臨んだ。口だけではなく、行動ができる」
レーベは嫌悪感を露にした。
「あの人は人間ではない。動物や魔獣を操る。何十年修業しても、人間の魔獣使いができないことを平然とやってのけるんです。それは体内に強い魔力を秘めた魔人だということです」
魔獣を自在に魔瓶から出し入れしたり、目隠しして気配を読む──確かに普通の人間が為せる技ではない。でも、だから? どうだというのだ?
アスターは一見、差別主義者のように見えてそうではなかった。おおらかな内海で育ったせいもあるだろう。人物を取り巻くガワの部分、つまり見た目、肩書きや立場、身分などで一様に判断できないと思っている。人の本性というものは社会性だけではないのだ。この子供が大人以上に大人びているように。
「魔人だからどうと言うのだ? 恐ろしい種族ではあるが……だからと言って、信頼性には関係ないだろう?」
レーベは溜め息を吐くと、アスターを鋭く睨みつけた。
「時間の壁に通り抜けられる場所などありません」
「なんだと??」
「ぼくはディアナ王女の手紙をグリンデル女王へ渡しに行きました。グリンデルからシーマへ援軍を送るんです。手紙の内容はね、女王が漏らしたんですよ。ユゼフさんから聞いた話では、グリンデルと鳥の王国の国境沿いに通れる所があると。でも、それは嘘です」
アスターは絶句した。壁を通り抜けられる前提で話を進めていたから、それが崩れれば計画自体成り立たなくなる。
「グリンデル人、何人かに尋ねても、そのような場所の存在を知る人はいませんでした。女王様にまで訊いてみましたけど、笑われただけですよ。援軍は特別な方法で壁を渡らせるとおっしゃってました」
アスターは軽く瞼を閉じて、思案した。
──壁に通れる所があるなど、変な話だと思っていたが……それなら、時間指定する必要もないしな? やはり、別の方法を使うわけだな
「シーマの指示では、決まった日時に王女をその場所へ連れて行かないと駄目らしい。もしかしたら、「時間移動者」と待ち合わせをしているのかもな?」
アスターの言葉に、レーベは乾いた笑い声を上げた。
笑われるのは仕方ない。時間移動者というのはおとぎ話に出てくる迷信じみた存在だ。本当にいるのかいないのか、誰も知らない。この世界では幽霊のほうがまだ現実味を帯びている。
「まさか!? 時間移動者なんてただの噂話です! ぼくは自分の目で実際に見たものしか信じない」
「現実にシーバートの犬は行き来していたではないか? なんらかの方法があるのは事実だ。まあ、王女を助けたあとのことに不安がないって言ったら嘘になるが……ハイリターンの仕事には、いつだって危険がつきまとう。だから、私は行動力を示したユゼフを信じようと思ったのだ」
「いやいやいやいや……信頼できませんって、あんな人。それにね、ユゼフさんは壁が現れた時も、盗賊に襲われた時も、いやに冷静だった。こうなることを知っていたんですよ。ユゼフさんとシーマは謀反が起きる前からつながっていた。これが何を意味するかわかりますよね?」
「……ユゼフの主君であるシーマ・シャルドンが謀反を企てた張本人ということか?……だが、私にとってはどうでもいいことだ。働いた対価を新しい王がちゃんと支払ってくれるのなら、そいつが悪人だろうが何だろうが構わない」
純朴なユゼフが最初から謀反の裏側まで知っていたとは、アスターは思わない。知らないうちに協力せざるを得なくなったのが実情だろう。シーマのことはよくわからないが、これだけの事件の黒幕だとしたら、大人物だと評価してやりたい。クロノス国王より有能だ。
「あなたもユゼフさんも、お馬鹿な盗賊たちも倫理的感情が欠落しているようですね? 魔の国にいるイアン・ローズとやらが、どんだけのクズかは知りませんけど。これは正義と悪の戦いではなく、クズ同士の戦いです」
「なんとでも言え! 私はこの件から降りる気はないからな?」
「あなたたちの身勝手な欲望のせいで、被害を被る人がいるんですよ?」
レーベの言っているのはシーバートのことか? いや、現在進行形ということは……エリザ??──ははぁん……このガキ、エリザに惚れているのだな?──子供とはいえ、年頃の男女が同室に寝泊まりしている。色恋沙汰に発展してもおかしくない環境だ。案外かわいいところもあるじゃないかと、アスターは心の中で微笑んだ。
「ぼくも魔の国へ一緒に行く。これからは話し合いに入れてもらう。それを約束してくれたら手当てしてあげます」
毅然と言い放ったレーベにアスターは、
「認める」
と答えた。こんな条件なら、たやすいことだ。むしろ歓迎する。
女の子に間違えられる美少年は誰よりも賢くて、大人で勇気がある。それに恋しているのだ。




