56話 レーベとアスター①(アスター視点)
視点がアスターに変わります。
(アスター)
集会所を出た後、しっかりした足取りでアスターは煉瓦造りの建物へと向かった。
部外者は頭領が住む屋敷に宿泊している。一応、客人という扱いなのだろう。
同じ屋敷の一室に少年レーベも寝泊まりしていた。先に部屋へ戻ったはずだから、すぐ訪ねてくれるといいのだが──アスターは切望した。こう見えてかなり弱気だったりする。じつは藁にも縋る気持ちだった。
レーベはエリザという家出少女と同じ部屋を使っていた。部屋はたくさんあるのに、あえて同室を選んだのは盗賊たちを完全には信用してないからだろう。彼らは屋敷内を自由に行き来する。
親切で友好的だったとしても、ならず者の集まりには変わりない。幼い少年を一人だけにするのは心配だからと、エリザが申し出たのだ。
──あんなクソ生意気なガキ、放っておいても大丈夫だと思うのだが。家出した不良とはいえ、心優しい娘だ
弱気になると、主国に置いてきた娘たちのことを思い出してしまう。アスターには、エリザやレーベと同じ年頃の娘が二人いた。
──モーヴ、ユマ……元気にしてるだろうか。モーヴは母親似でよくできた子だから、妻を支えてくれているだろうな。私がこんなことにならなければ、今頃良いところに嫁がせてやれたものを……ユマは私似だ。ひねくれ者の利かん気は、私のことを殺したいぐらい憎んでるだろう。妻やモーヴを困らせてないだろうか? 非行に走ってないといいのだが……
女、子供にも容赦しない残忍な利己主義者。一人になれば、そんな仮面はもろく崩れる。本当は自罰的でありながら、過去に向き合えない弱虫だ。
ちなみにアスターが弱き者に乱暴を働く時は裏の裏を読んでいる。見かけがか弱い女や子供でも、邪悪かそうでないかはわかるのである。アスターは人の本質を瞬時に見抜くことができる。
家族に会いたい。妻や娘たちを抱擁したい。渇望しても、自分にその資格がないことはわかっていた。だから、刹那の快楽に身を委ね、逃げたのだ。
──死ぬまえに声ぐらい聞きたい。そんなこと、許されないんだろうが
悲痛な想いは、ギギギギ……と軋む扉によってかき消された。
ガランとした屋敷の回廊は真っ暗だ。明るい所から屋内へ入ったから、当然といえば当然である。だが、アスターには地獄が口を開けて待っているように見えた。
誰もいない。ここにいるのは自分だけだとわかった時、ピンと張っていた糸がプツンと切れる。アスターは膝をつき、崩れ落ちた。
額からポタポタ、汗が滴り落ちる。指先は震え、呼吸すらままならない。
アスターは這って回廊を進んだ。与えられた部屋に着くまでが長い。離れていきそうになる意識を必死に繋ぎ止め、ナメクジの速度で移動した。
一緒に食事をしていた者がこれを見たら、驚くだろう。
それほど、死にかけていた。
人前で平静を装うのは見栄である。弱みを見せたくない。外ではいつでも強い自分でいなくてはいけない。プライドの高いアスターはこういうくだらない体裁を気にした。
必死の思いで部屋に着いてから、一度嘔吐。待つことしばらく──
ドアをノックする音が、天使の鳴らす大鈴の音に聞こえた。
アスターは「入れ」と、一言伝えた。
瞬きを忘れ、おかっぱの少年はベッドの前で立ちすくんだ。
無理もない。さっきまで偉そうに話していた男が、瀕死の状態でベッドに横たわっているのだから。
アスターはレーベの腕の中に医療品と思われる布包があることを確認し、微笑んだ。
──やはり、見込んだ通り
「おまえが盗賊たちのケガや病を癒しているところを見た……この状態を見てもわかる通り、私は病人だ。医療の施しを求めている。おまえの力を借りたいのだ」
アスターはすぐさま本題に入った。
この子供はグランドマイスター、シーバートの弟子。医療に通じている。
だが、苦しむアスターを憐れむどころか、彼は冷たい目を向けていた。
それでいい──とアスターは思う。子供が盗賊のケガを癒していたのは善心からではない。それぐらいのことは、わかっている。好奇心? 向上心? いや、力試しか? とにかく人のためではなく、自分のためだ。
──わかりやすいのは良いことだ。クールにギブアンドテイクといこうじゃないか?
「お師匠様から実技はまだ早いと言われています。人の生死に関わるにはまだ幼いと。安易に知識や力を使えば、人や自分を傷つけることになると……」
「そうか、そのご立派なお師匠様は、もうこの世にいないがな」
レーベの顔がいっそう険しくなる。こんな状況でも、煽ってしまうのはアスターの悪い癖だ。
──でも、憎たらしい相手だろうが何だろうが、サンプルとして興味はあるんじゃないのか? 幼きマッドサイエンティストよ。
アスターの思惑通り、レーベの瞳には好奇心が宿っていた。
「見せてください」
険しい表情を崩さず、レーベは腕まくりした。やる気まんまんじゃないかと、アスターは嬉しくなる。素直に服を脱いだ。ガッチリした骨格を厚い筋肉が覆っている。強靭な肉体をさらけ出した。傷だらけの体はこれまでの戦いの歴史だ。勲章が並んでいるようなものである。
問題の箇所は肩の近く、右上腕部にあった。
突き出た異物にレーベは眉をひそめる。儚い光をも反射する金属。上腕には細い釘が刺さっていた。これはアスターが自分で刺したのだ。問題はその下──釘の先には皮膚を隔てて、おぞましい虫がモゾモゾ動いていた。
「持ち歩いていた釘を刺して何とか奥へ行くのを食い止めたのだが、もう限界かもしれん。釘は毎日少しずつ奥へ奥へと引っ張られている。それに、何か毒素のようなものを出しているのか、日増しに体調が悪化してる」
「症状は?」
「異常な食欲のあとに嘔吐、下痢。発熱。全身に痛みもある」
皮膚から透けて見える虫をレーベは注意深く観察した。
そう、五首城で盗賊たちをアンデッドに変えた黒い甲虫である。アスターもこの虫に侵されていた。
「自分で短剣を使って抉ることも考えた。だが、左手しか使えないし、肩の裏だからよく見えない。抉るのは無理だとあきらめた」
少年は答えず、虫を覆う皮膚の上に手を伸ばした。プレゼントを開いた時みたいに、目がキラキラしている。
無邪気な瞳に映るのは見た目から動きから、何から何までがおぞましい甲虫だ。人間の体内に入り込み、肉体をアンデッド化して操る。魔国にしか生息しない虫は最高の研究対象だろう。
アスターは瞼を閉じて、小さな手が敏感になった皮膚の上をなぞっていくのを感じた。弾む呼気や冷たい指先から、高揚感が伝わってくる。
その喜び方は幼児的であった。動くおもちゃや小さな木剣、からくり人形を与えた時、キャッキャッと喜ぶあどけなさと同じだ。毒気は微塵もない。
スッと指が離れ、アスターは少年が我に返ったのを悟った。
少年の心境はおそらくこうだろう。醜い虫はほしい。しかし、虫を得る代償としてこの男を助けるのは癪にさわる。
五首城でレーベを捕らえた時、アスターは容赦なく殴った。
──城内に誰が何人潜んでいたか、情報を聞き出すためだ。仕方ないだろう。こちらは何人も殺されたのだし。ちゃんと革製のグローブを付けたまま殴ったのだぞ? 骨は折れないように気をつけた。傍目からは、手加減しているように見えなかったかもしれんが。
心の中の言いわけは少年に届かなかった。
甲虫の黒光りとは違う美々しい瞳は冷酷だ。乳児の名残が消えたばかりの唇から、冷ややかな言葉が吐き出される。
「ねぇ、あんたさぁ、僕を殴ったこと忘れてません?」
「……おお、忘れてた! 悪かったな? しかし、あの時は敵情を知るために焦っていた。致し方なかったのだよ」
アスターは悪びれず答える。
自分の子を殴ったことはないし、子供は守られるべき存在だと認識している。それでも、やったことに対して罪悪感はなかった。この子の内面はほとんど大人と変わらないし、人命のためにやったことだ。何も卑屈になる必要はない。
「僕は両親にだって、一度もぶたれたことはなかったんだ」
「だから、そんなに生意気なのだな? 大人にちゃんと叱られたほうがいいぞ?」
アスターは平然と憎まれ口を叩く。子供が好奇心に勝てないことはわかっているからだ。
かわいい子は、最高のおもちゃを前に遊びたくて仕様がない。喉から手が出るほどに欲している。貴重なサンプル──おぞましき甲虫を。
レーベ視点↓↓
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