55─2話 イアンという人
それと、イアンの特徴といえば、アレ。
「あ、あと女にはメチャクチャ優しい。だからディアナ様は大事に守られてると思う」
「……で、どんな虫を食わされたんだ?」
食事を終えたバルバソフが会話に入ってきた。なんで話を戻すのだと、ユゼフは眉間に皺を集めた。虫の話はイアンとの思い出で一、二を争うほど最悪だ。
「蛾の幼虫だよ。食事中にする話じゃない。すぐ口から出したけど……そのあと、家に帰ってから全身にじんましんが出て……」
「その時、兄は……カオルは近くにいたのか?」
アキラが聞いた。
「近くにいたも何も、俺はカオルに羽交い締めにされていたんだから」
アキラは信じられないといった様子だった。
「オレの知る限り、兄は弱い者いじめをするような人ではない」
「カオルのことはよく知らないんだ。一緒に行動することは多かったけど、おとなしくてほとんど会話したことがない」
「格下に見られていたのではないか?」
アスターが鋭い一言を放った。言われて、ユゼフはなるほどと合点がいった。不愉快とは思わない。もともと、自分は平民に毛が生えたようなものだし、ヴァルタンを名乗っても兄たちと違うのはわかっている。
「確かにそうかも」
「じんましん出て、どうなった?」
バルバソフがつまらなそうな顔で聞いてくる。虫を食べるとどうなるのかが気になるらしい。
「熱が出て二日ほど寝込んだ。イアンは母親と謝りに来たけど……」
ユゼフは言葉を切った。あの時のことは今でも解せないでいる。うつむき加減のイアンが母親に促され、唇を歪ませて「ごめん」と、寝ているユゼフの目を見て謝った。イアンに謝られるのはこれが初めてではなかったし、毎回酷いことをしておいて、急にしおらしくされても不愉快なだけだった。ユゼフは目をそらして「大丈夫」とだけ答えたのだ──
「急に頭突きしてきたんだ、イアンは! 俺のアゴに! 今でも、なんでそんなことをされたのか、わからない」
「ずいぶんなイカれ野郎だな、そのイアン・ローズという奴は? 話し合いができる相手とは思えねぇ」
間を置いて、バルバソフが意見を述べた。そこで、アスターが立ち上がる。どうやらお代わりに行くらしい。
「私はわかるぞ? その赤人参は構ってほしかったのだ」
「構ってほしい?」
「悪い行いは、周りの気を引くためだ。だがユゼフ、自分では気づいてないだろうが、おまえは他者に対して壁を作っている。あまり本心を出そうとしない。その時もきっと、赤人参はおまえに怒ってほしかったのだ。相手にしてもらえなかったので、キレたのだろう」
言い終わると、アスターはお代わりを取りに行った。
──なるほどな。アスターさんの言うことは一理ある
イアンは愛情に飢えているフシがあった。過激な行動は周りの関心を引くためだったのかもしれない。
イアンに真っ向から感情をぶつけられる人間はいなかった……いや、いた。たった一人だけ……
──サチ・ジーンニア
死んでいないといいのだが。ダモンの言葉がまだユゼフの心に引っかかっていた。
王立学院を卒業後、サチのほうが忙しくて、そんなには会っていない。最後に会ってから半年以上、顔を見ていなかった。
サチは卒業後、イアンの推薦でローズ家に仕えた。今回の謀反に巻き込まれている可能性はある。とはいっても、サチがイアンに従い続けているとは思えない。潔癖な性格のサチは、いつもイアンの行動に腹を立てていた。犯した犯罪を告発するならともかく、荷担はしないだろう。
万が一、巻き込まれたとしても、賢いサチのことだ。うまく立ち回っているはず──そんなことをユゼフがグチャグチャ考えていると、アスターが戻ってきた。
「まだ食うんかい?」
バルバソフが渋面で尋ねる。アスターはそれには答えず、隣のユゼフに顔を向けた。
「で、貴公を家来だと思っている相手をどうやって説得する?」
ユゼフは決まり悪くなり、笑ってごまかした。それがわかれば苦労はしない。
「どうすればいいと思う?」
「やはり、交渉はあきらめて奇襲を仕掛けたほうがいいんじゃないか?」
とアキラ。
「いや……突然、攻撃を仕掛ければ、イアンは全力で抗戦するだろう。相手の内情が見えない状態でそれは危険だ」
アスターは食べながら何か考えているようだった。耳がピクリピクリと動いている。しかしながら、誰よりも理性的に見えて、一番突拍子のないことを口にしてくる。
「私が赤人参との交渉に赴いても構わない」
やはり、ろくでもないことを考えていた。ユゼフは首をブンブン横に振った。
「イアンはすごく短気なんだ。アスターさん、イアン本人に平気で赤人参とか言うだろう?」
「女は? 女好きなんだろ?」
バルバソフが何気なく放った一言に、皆の関心が集まった。アスターが人指し指をピンと立てる。
「それだ! 熊男もたまには役立つことを言うではないか」
皆の視線は、少し離れた所に座っているエリザへと注がれた。
ユゼフは慌てた。彼らの考えていることはだいたい見当がつく。エリザに危険な役目を負わせようとしているのだ。
「あ、あの子はこの件に無関係だ。危険だし、巻き込むわけにはいかない」
「もう充分関わっている。我々とこうやって食事をしている時点で」
「で、でもっ、あの子は器量がイマイチだし……」
「美人ではないが、まあまあイケるだろ」
焦って、吃音が出た。
話が聞こえたのか、やって来るエリザが見える。うしろには一週間前、落ち合ったレーベがいた。
街道沿いにあるチャルークという村で、ユゼフを待っていたのをエリザが連れて来てくれたのである。ここにたどり着いてからも、何かと世話を焼いている。
エリザはユゼフの脇腹に拳を打ち込んだ。
「誰がイマイチだって?」
「痛っ」
腹を押さえるユゼフを放っておいて、エリザはアキラに尋ねた。
「どういうことか説明してくれ。アタシでも、できることなら協力する」
アキラは、かいつまんで説明した。エリザは何回かうなずいて話を聞き、終わると即座に、
「わかった。引き受けよう」と、あっさり交渉役を引き受けてしまった。止めようとするユゼフに対しては、サッと背を向け拒絶する。
──どうして安請け合いするのだ? 危険だと、わかっているのだろうか?
ユゼフは動揺した。目の端でアスターがレーベを呼び止め、何やら話していても聞き流してしまった。




