55─1話 イアンという人
アジトの中央には百人くらい入れる集会所がある。ここは話し合いに使われる場所というより、娯楽施設に近かった。夜は賭場、食事時は食堂になる。
元料理人だったという食事係が作っているので、料理の味は悪くない。木のトレイに食事を載せ、ユゼフはアスターの隣に腰掛けた。
「なぜ、肉を食わない?」
アスターの第一声はそれだった。ユゼフのトレイに肉が見当たらなかったからである。ユゼフは肉を食べようとすると吐いてしまう。魚は食べるが、動物の肉は食べられない。
「好き嫌いはいかん。肉を食わないから痩せているのだ。私の肉を少しやるから、ちゃんと食え」
これにはユゼフも我慢の限界だった。いくら忍耐強くても、許せる度合いがある。
「肉、勝手に入れんなよ……アスターさん、私的なことには口挟まないでくれます? 俺は子供のころから肉を食わないし、これからもずっと食わない。誰に何を言われようが、それは変わらないから」
「案外、頑固なところがあるな、おまえは」
ユゼフに使う二人称が“貴公”から“おまえ”に変わっている。馴れ馴れしくしないでほしかった。ここにいる連中とは、金が介在して初めて成り立つ関係性だ。必要以上に親しくなる気はなかった。
幸い、アスターはすんなり肉を自分のところへ戻した。そのタイミングで、向かいに座っていたアキラが口を開いた。
「ユゼフ、アンタにいろいろ聞いておきたいことがあるんだ」
アキラの隣には厳ついバルバソフがいて、聞き耳を立てている。
「まず、魔国でイアン・ローズの居場所を見つけたら、攻め入るのではなく交渉を申し入れると言ったな?」
ユゼフはうなずいた。
「相手は人質を取っている。安易に攻め入れば、王女様を危険に晒してしまう」
「私もそれには同意する。敵兵が何人いて、その内訳は人間なのか、魔族なのか、どのような戦い方をするのか皆目見当がつかない。何もわからない状況で攻め入るのは危険だと思う。それ以前に、人質を取って要求する内容を知る必要がある」
横槍を入れたのはアスターだ。アキラはユゼフとアスターを交互に見つつ、話した。
「一つ不安なことがある……それはイアン・ローズの人間性だ。イアン・ローズとはどんな人物なのか?」
痛いところを突かれ、ユゼフは飯を頬張ってごまかした。
イアンとのエピソードは思い出したくないことばかりだ。しかし、実際会えば、どんな人物かわかってしまうのだから隠していても仕方ない。
ゴクン。飯を飲み下す。ユゼフは腹をくくることにした。
「わがままで自己中心的な乱暴者、情緒不安定で機嫌を損ねると暴れる」
この回答に唖然としたアキラは、助けを求めてアスターを見た。アスターは兎肉の煮込みにかぶりついている。
「……そんな人物と交渉するのか? ちゃんと話し合えるのか?」
「正直言うと、話を最後まで聞いてくれたことは一度もない」
眉根を寄せて腕組みするアキラは、傷があっても強面というより美男だ。カオルによく似ている。ユゼフはイアンのことを包み隠さず話すことにした。
「子供のころはよく遊んだけど、会うのは一年ぶりだ。俺とカオルとイアンの弟のアダムは家来のように扱われていた、というかまったくの家来だな。口答えするとブチ切れるし、いつでもイアンのやりたいことに従っていた」
──あれ? イアンってこんなに嫌な奴だっけ?
不思議とユゼフはイアンを嫌ってなかった。それにしても、良いところが一つも思い浮かばない。これでは、ただの悪口になってしまう。
「イアンは危険なことが好きで、一緒にいる俺たちはよく危ない目に遭ったりケガをした。出会った初っぱなから、真剣で戦わされて大ケガをしたし……虫も無理やり食わされたな」
「虫って……いじめられてたのか?」
「いじめてるつもりか、どうかはわからないが、狩りの時、俺が獲物を逃がしてしまったことに怒って……まあ、いい。こんな話は」
「そんなことより剣の腕はどうなのだ?」
アスターが口を拭き拭き尋ねる。ヒゲにつくから、拭きにくそうだ。
「強い。兄に勝ったこともある」
ユゼフはその時のことをよく覚えていた。どういう理由で、イアンと長兄のダニエルが立ち合うことになったのかは思い出せないが……
戦地から兄が戻ってきていて、おそらく親戚が集うなんらかの行事の時だった。どちらが誘ったのか、それとも周りが煽ったのか、二人は手合わせすることになったのである。
当時、イアンはまだ十六歳。身長は三・六キュビット(百八十センチ)をすでに越えていた。ダニエルもかなりの大柄だから、身長差は十二ディジット(十九センチ)ほどだった。
イアンは亡くなった実父が残したという愛剣、弓を手にダニエルと向かい合った。
アルコはその名のとおり、刃の部分が弓のように反った細身の剣だ。銀色に美しく輝く刀身が特徴である。切れ味のいいエデンの剣だと言うことは、菱形模様に巻かれた柄糸からわかる。
ダニエルは大剣を使わず、刃引きした長剣を構え、イアンには形見の剣を使わせた。見くびっていたということだ。その時のダニエルのセリフが、
「ジンジャーよ、おまえはバカでクソガキでそのうえ、生意気ときている。余に楯突いたことを後悔させてやろう」
ダニエルがユゼフに対して嫌な態度を取ることはなかったが、イアンにはいつもこんな感じだった。ダニエルがイアンを名前で呼ぶことは一度もなかった。「ジンジャー」と蔑んでいたのは、相当嫌っていたからだと思われる。
アスターがいぶかしむ。
「本当に勝ったのか? ダニエルの体調が悪かったとか、卑怯な手を使ったのではないのか?」
「いいや、体調は悪くなかったと思う。卑怯な手も使ってない。でも、兄が油断していたのは事実だ」
「ローズ家の長男がプッツンだという話は聞いたことがある。おまえの話からも、かなりのバカだというのがうかがえるよな? そんな奴が運だけで、英雄のダニエルに勝てるとは到底思えぬのだが……」
「そりゃそうだけど、イアンは剣に関しては冷静でいられるようなんだ。兄が煽っても落ち着いていた」
「ふむ、剣に関しては……とな」
アスターは鼻を鳴らして、考え込んだ。アスターも耳にしていたということは、イアンの悪評は随分広まっていたのだろう。
「俺は素人だから、技の名前はよくわからなかったけど、勝負は一瞬でついたよ。先に兄が仕掛けて、イアンがそれを受け返した。で、鍔迫り合いになって……イアンがバランスを崩した……と思ったら、剣の向きをヒラリと変えて兄の腰を峰打ちしたんだ」
「なるほど……瞬時に持ち替えたか」
「兄の取り巻きは凍りついてたよ。その時のイアンは、やけにカッコ良く見えた。普段、バカなのに兄みたいな英雄に勝つなんてさ」
「おまえの話だけでは、ダニエルが手加減していた可能性もあるから、イアンの剣の腕前はわからんな? そこそこの技術はあると思うが」
「負けた直後、兄はお遊びだったと大笑いしてた」
「ほら、やっぱり」
だが、その先があるのだ。ユゼフはあの晩の兄の顔が忘れられない。いつも堂々として立派な人が、信じられないくらい陰険な顔つきをしていたのである。今は亡き従者のベイルが乗り移ったかのようだった。
「夜、寝ようとしていたら、兄に呼び出されたんだ。普段、個人的なことは言ってこない人なのに、おまえはあいつの家来なのかと聞かれたよ。答えられずにいると、ローズとヴァルタンは同列だから、私生児であっても卑屈になる必要はないと」
「負けたのが悔しかったのか?」
「あの問題児が悪さをした時は、報告しろとも言われた。兄たちは二人とも、イアンを蛇蝎のごとく嫌っていたな」
「うむ、わかった。イアン・ローズは、そこそこ強いバカだと記憶しておこう」
手合わせのあと、ユゼフはイアンに駆け寄り、健闘を称えた。感情的に行動するのは、めずらしいことだ。兄が負かされたことに歓喜したのではない。ユゼフは兄を畏怖すると同時に尊敬もしていた。
子供のイアンがダニエルという名高い騎士に勝利した。その事実に胸が熱くなったのである。
勝ち目のない相手に立ち向かう勇気、障壁を乗り越える力……イアンには人を強く惹きつける何かがあった。
設定集ありますので、良かったらご覧ください。
地図、人物紹介、相関図、時系列など。
「ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる~設定集」
https://book1.adouzi.eu.org/N8221GW/




