53話 稽古
気持ちよく眠っていたところ、やかましい怒号と共に布団を引き剥がされ、ユゼフは文字通り叩き起こされた。
「何をゆっくり寝ている!? もう四時だぞ? 起きて修練を始めるのだ!」
ベッドから起き上がると、アスターの暑苦しい顔が近くにある。
──歴史書を読んでいるうちに寝てしまったんだな? いろんな夢を見た気もするけど……
アスターは枕元に置いてあった歴史書を見つけるなり、叱りつけてきた。
「なんだ、これは? 全部古代語ではないか? 見るからに頭でっかちのヒヨッコめ! 本なんか読んでいる暇はないぞ? あと、一ヶ月を切ったのだからな!」
そう、薔薇の月の八日正午にディアナを約束の場所へ連れて行かなくてはいけない。二週間前までには、魔の国へ向かう予定だ。
盗賊の協力が得られるかどうかは今のところ保留中だが、なぜかアスター──この長髭おじさんは行く気まんまんなのである。
「アスターさん、その本触んないで」
「なぬ!?」
「それと、部屋にも勝手に入らないでください」
「おお、少しは自己主張できるようになったな? 誉めてやろう。さあ早く着替えろ!」
着替え終わったユゼフは、練習場へ連れて行かれた。アジトの中心部の広場では、思い思いの稽古をすることができる。
眠いので目を擦り擦り、移動した。まだ寝ぼけているし、やる気が出ない。
修練と称したシゴキが始まったのは、アジトにたどり着いた翌日からだ。
「アナンと戦っているところを二度ほど拝見したが、貴公は剣の扱いがイマイチだ。私であれば、少しはご指導できるがいかがかな?」
アスターのほうから急に言ってきたのである。その後は押しに押され、今に至る。
──言うことは的を得ているし、おそらく間違ってはいない
そう感じたので、ユゼフはおとなしく従ったのだが……
埃まみれのガラクタが積み上げられた物置小屋に連れ込まれたのが一日目。盗賊たちが売れなかったり、始末に困る盗品を保管している小屋だ。
切りつけるより刺すほうがユゼフには向いていると、それに適した剣をアスターは探した。
見つけたのは、剣身が長すぎて誰も使おうとしないバスタードソードである。
全長は二.六キュビット(百三十センチ)もあり、差すのが腰だと引き摺ってしまうため背負うしかない。見るからに使いにくそうな代物だった。アスターいわく、この剣は斬る刺す両方に適しており、両手剣、片手剣どちらとしても使用できると。とりあえず、サイズが大きめなので、両手で持つよう指導された。
それから数日、ずっと構えの練習ばかりさせられるはめになった。
今日も、ユゼフは同じことを何度も何度も繰り返した。何時間も……
立った姿勢で構える。次に寝転がった状態から、起き上がって構える。後ろ向きから正面に切り替えて構える。剣を数キュビット離れた所に置いて倒れた状態から……
「ちがう!! 何度言ったら、わかるのだ!」
怒鳴り声が響く。
「姿勢がまず美しくない。握り方もまた、おかしくなっている! ヴァルタン家の剣術指南役は、よっぽど無能だったのだな!」
ユゼフの動きがイラつくらしく、アスターは長い髭をプルプルと震わせた。
「……姿勢は直した。形も整えた。なのに、なんなのだ!? その自信のなさは!? 同じ男だとは思えない……宦官になったほうが良かったのではないか?」
口から飛沫を飛ばし、暴言を浴びせてくる。ユゼフは腹立ちを通り越して、逃げ出したい気持ちで一杯だった。
同じように男臭いタイプでも、父や兄たちのほうが構ってこないだけマシだった。
アスターはどういうわけか、過干渉してくる。剣の修練は必要とはいえ、あまりに酷すぎた。
日が高く昇るころには盗賊たちも打ち合い稽古をしようと、広場にやってくる。
アスターとユゼフの様子を見て、たいていは呆れ顔、または失笑する。自尊心と羞恥心の戦いでもあった。
いつの間にかやって来ていた頭領のアナン……アキラが見かねて口を挟んできた(年齢が近いこともあり、ユゼフとファーストネームで呼び合うくらい打ち解けていた)。
「アスター、失礼だぞ?」
アスターは腕組みしたままユゼフを凝視しており、アキラの声は耳に入っていない。
「アスターはいつもこんな感じだ。何か言われても、気にしないほうがいい。バルバソフはもう慣れた」
アキラがそう言えば、横にいたバルバソフが苦笑いする。その横にはエリザもいた。
「あーあ、見てらんないよ! アタシだったら、オジさんに教えてもらうなんて、絶対に耐えられない!」
「言うな、小娘! こっちが終わったら、おまえの稽古もつけてやる」
エリザの声が聞こえたらしく、アスターは言い返した。
「絶対にイヤだね。お断り!……バル、相手になってくれ!」
エリザはバルバソフに声をかけ、連れ立って移動した。
五首城での一件のあと、エリザはひとまず捕虜として盗賊のアジトへ連れて行かれた。
しかし、アキラは依頼から手を引くつもりだったため、早々にエリザを解放したのである。
解放されたエリザの選択肢は……「残る」だった。彼女は不思議とここを気に入り、出て行こうとはしなかったのだ。
戦利品として連れられ、盗賊の妻として居着いた女もいるから、男女比に開きはない。エリザは手始めに彼女たちと仲良くなった。
元来、気取らないおおらかな性格だ。相手が大男だろうが、獣の耳が生えていようが、まるで気にしない。誰とでも分け隔てなく気軽に話した。
数日のうちに、盗賊たちも仲間としてエリザを扱うようになったのである。
構えの型が決まったら、素早く抜刀する練習だ。
長い剣は背中から抜いて構えなければならない。これはかなり難しく、短い剣を腰に差したほうがいいのではないかと、ユゼフは意見したかった。アスターが強面の髭面ではなく、もっと優しい顔をしていれば、伝えていただろう。
抜刀の速度が多少上がってくると、さまざまな姿勢からの抜刀、構えをさせられる。
地面に寝ていても、後ろ向きでも、落ちている剣を拾わなくてはいけなくても、即座にアスターの言う構えをしなくてはならない。
こんな調子で一日が終わる。
「ちがうと言っておろうが! グズめ!」
アスターは喚き散らし、大腿部の裏を木剣で殴打してきた。
「痛っつ……」
ユゼフが目で強く訴えても、何事もなかったかのように足の位置を直してくる。
「まったく、なんでそんなにどんくさいのだ? 貴公の兄を二人とも知っているが、全然似てないな?」
アスターの言動は日を追うごとにエスカレートしている。いっそ、寝首をかいてやろうかとも思ったが、ユゼフは堪えた。
──どういうつもりで、このオヤジはここにいるのだ?
そもそも、盗賊でもない髭親父が盗賊のアジトにいること自体、おかしな話である。しかも、周りが反発しないのをいいことに、エラそうな態度を増長させている。
不意に、何か思いついたアスターがユゼフを止めた。ちなみに思いつく内容は、八割方ろくでもないことだ。
「わかったぞ! その自信のなさが何もかもをダメにしている! 貴公は今までずっと、強い者の後ろに付き従ってきたのだろう? おおかた、王になる予定のシーマ・シャルドンとかいう者の金魚のフンだったのではないか?」
痛いところを突かれて、ユゼフは力なく笑うしかなかった。態度だけではなく、こういうところ。人の触れられたくない弱点をいちいち見つけて、劣等感を刺激してくる。
「どうやら図星のようだな? それから、まだ女を知らぬだろう?」
「それは剣の稽古とは関係ない話ですよね?」
さすがにムッとしてユゼフは口答えした。剣のことならともかく、私的な領域までは入り込んでほしくない。
「いや、関係ある。女を知れば少しは自信もつくだろう……よし、アナンから金をもらって遊びに行くぞ!」
アスターは思いつきで決めてしまった。ユゼフを連れ、屋敷に戻ったアキラのもとへと向かう。もう夕方だ。
屋敷の居間はいやに静かで、ユゼフは踵を返したくなった。居候のうえ、女遊びの金をせびるなど、ずうずうしすぎる。アスターは一応ノックはした。
壁には剥製や武器が飾られ、赤々と燃える暖炉は暖かい。中心に置かれた円卓の向こうにアキラとバルバソフが腰掛け、小声で何やら話していた。二人とも怖い顔だ。
頭領と副頭領、アジトのツートップが真剣に相談をしている。そんな所へ無遠慮に突入する髭親父……
唐突に、
「ユゼフはこの年にして、まだ女を抱いたことがない。可哀想なので教えてやりたいと思う。娼館へ遊びに行く金を用立てていただけないか?」
と、申し出た。盗賊相手に信じられない厚かましさである。
アキラたちは、一瞬唖然としてから笑い始めた。アスターの傍若無人ぶりに対してというより、ユゼフの経験値を馬鹿にしているようだ。
ユゼフはほてる顔を下に向けた。生まれて初めて、人に殺意めいたものを抱いたかもしれない……このクソジジイは絶対、いい死に方をしないだろう。ユゼフは心の中でありったけの呪詛を吐いた。
「そんなこと言って、テメェが行きたいだけだろうが!」
バルバソフの言葉にアスターは至極真面目な顔で答えた。
「彼は宦官にされるための教育しか受けてこなかったから、男としての素養が圧倒的に不足している。これは必要なことなのだ」
どう考えても無茶苦茶な理屈である。アキラもこんな親父に寄生されて、迷惑極まりないだろう。ところが、
「まあ、いいだろう。持ってけ」
アキラはすんなり金を寄越した。
「魔国へ王女を助けに行く件、受けることにした」
さらには嬉しい返事までもらうことができた。
ユゼフの心に垂れ込めていた暗雲はパッと晴れた。今日一日、いやここ数日、アスターによって負わされた労苦がすべて報いられた。
柄にもなく、飛び上がって喜びたい気分だ。
「本当か!?」
「ああ、ただし、そんなに大勢は連れて行けない。あと、準備するのに金がいるしな? 細かいことは、おいおい話し合って決めよう」
兄のカオルを心配しての決断だろう。イアンの家来だから、魔国にいるかもしれないし、いなくても情報が得られるかもしれない。
ディアナ王女を助け、シーマが教えた通りの手順に従えば、道は拓ける!
「貴公らも一緒にどうかな?」
アスターの誘いにアキラは頭を振った。
「いや、俺は考えたいことがある。バルバソフは行けばいい」
「いいんすか?」
「これから危険な所へ行くことになる。好きにやりたいことをすればいい」
バルバソフは嬉しそうに一礼し、ユゼフたちと居間を出た。
人物相関図↓




