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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)三章 策略
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47話 マリィ(サチ視点)

 光を取り戻していくイアンの瞳を見ながらサチは思う。こいつ、なかなかしぶといじゃないか、と。

 サチたちが立たされているのはまさに断崖絶壁だ。あと一歩でも後ろに下がれば、落下してしまう。ギリギリの所まで追い詰められている。

 こんな苦境でもあきらめない。前を向けるのは強さの証だろう。お坊ちゃま育ちだからといって侮れない。

 サチはイアンのことを見直した。


「あの時、おまえは大勢に囲まれて殴られていた。声をかけようと思ったんだ。でも……」

「イアン、時間がない! この馬に乗って、ローズ城へ帰ってくれ!」

 

 サチはイアンの言葉を遮った。

 思い出話をしている場合じゃない。あきらめない──生きようと思うのなら、行動しなくては。

 今、王城へ戻るのは危険である。王城はカオルに任せておけばいい。城から出なければいいだけだから、馬鹿でもできるだろう。

 撤退した兵を受け入れて、一週間籠城する。それだけだ。外に出て戦えという話ではない。文は送った……任せても大丈夫だ。

 火が山を覆い尽くすまえに、イアンはローズ城へ帰ったほうがいい。シーラズには、ローズへ繋がる虫食い穴がある。


「サチ、おまえはどうする?」

「この山を下りた先に妹がいる。妹の無事を確認したら、俺もすぐローズへ向かう」


 イアンは不安な表情になった。


「信じていいんだな?」

 

 サチは袖をまくって左腕の傷を見せた。

 ふたたび、イアンの瞳に赤々と燃える炎が宿る。イアンはうなずいて馬に飛び乗った。

 上空に逃れていたのだろう。タイミングよくダモンが飛んできて、幼い主人の肩にとまった。ダモンはオウムにしては大きい鳥だ。サチにもよく懐いている。


「精霊の祝福を!」

 

 別れの挨拶をし、サチは振り返らずに山を駆け降りた。



 

 湖のほとりの町は漁業と絨毯産業で栄えている。湖では蝶鮫の養殖が盛んで、主国内では珍しい工場が建ち並んでいた。


 妹のマリィは富裕な商家でメイドとして働いている。

 サチがマリィをこの地に就職させたのは、父の暴力から守るためであった。貯金ができたら、迎えに行くつもりだったのだ。妹はサチにとって父を除いて唯一の肉親であり、心の支えだった。

 王城へ向かう灰色の兵士たちがこの付近を通るのは、わかりきっていた。妹のことがずっと、気がかりだったのである。


 立ち上る煙の原因は、間違いなくオートマトンだろう。司令官(レガトゥス)の指令が行き届かない場合、彼らは動くものならなんでも攻撃する。一体だけでも、武器を持たぬ民にとっては大きな脅威だ。


 


 町に着くと、どの建物も固く戸を閉ざしていた。いつも大勢の人で賑わう大通りの店はどこもやっていない。人通りもなかった。

 煙が立ち上っている方角から数人、必死の形相で逃げてくる。


「何があった?」


 尋ねたが、母娘と思われる二人は、いっそうおびえた顔をして走り去ってしまった。

 顔が(すす)だらけだったことをサチは忘れていた。地面に張り付いていたため、衣服も土で汚れている。ハンケチを水筒の水で濡らし、顔を拭った。

 

 マリィがいる屋敷は煙が上っている場所と合致する。

 また何人かが逃げて来たので問いかけると、今度は回答を得ることができた。制御を失ったオートマトンがバザールの中で暴れているのだという。

 

 バザールは、レンガ造りのドームがいくつも連なってできている。入り組んだ通路の両端には種々雑多な店が立ち並び、複合商業施設を形成していた。

 こういった施設はモズやカワウで多く見られるが、かつてカワウと盛んに交易していたこの町にもあった。

 シーマの父ジェラルド・シャルドン──シーラズ卿は、良いものは敵国のものであろうが関係なく取り入れた。結果、シラーズは産業と漁業、商業の三本柱で栄え、戦時中も物資に困らないほど裕福になったのである。


 煙が上っているのは、このバザールからだった。バザールはマリィが働く屋敷の目と鼻の先にある。

 先にサチは屋敷を訪ねた。

 この町で一番大きな屋敷は、他の家と同じくひっそりとしていた。

 呼鈴を鳴らし、ドアを叩く。何度も何度も……

 逃げ行く人々の足音や泣き叫ぶ声が追い風となって、サチは乱暴に拳を叩きつけた。

 だが、なかなか開けてはくれない。


 拳が痛くなって、ようやくのぞき窓が開いた。

 見覚えのある目だ。白が混じった睫毛と、細かい皺が刻まれた目元は気難しい印象を与える。


「何用です?」

 

 初老の女性はこの屋敷の家政婦長だった。家政婦長は用心深く、サチのことをジロジロと観察した。彼女とはマリィを預ける時に一度会っている。


「サチ・ジーンニアです。マリィの兄の」

「ああ」

 

 うなずいたものの、こわばった顔は緩まなかった。


「マリィはバザールへお使いに行ったまま、帰って来ないのです……」

 

 彼女が言い終わるまえに、サチは一礼だけして走り始めた。

 バザールから立ち上る煙は勢いを増している。 


 屈強な男たちが大型のハンマーやロープ、ノコギリなどの道具を持ってドームの前に立っていた。町の自警団だろうか。火がこれ以上燃え広がらないよう、建物の破壊をしようとしている。


「待ってくれ! なかに妹がいるんだ!!」

 

 駆け寄り、サチは懇願した。男たちは中へ入ろうとするサチを取り押さえた。


「なかは危険だ! 生存者の救出はもう終わっている!」

「放せ!  俺は行く! 妹はまだ生きてる!」 


 サチは暴れて、男たちを困らせた。

 

 突如……

 耳をつんざく破壊音が地を揺るがした。

 オートマトンが自爆したのか、危険物に引火したのか。皆が息を呑んで音の方を見た。


 ──今だ!!


 サチは男たちの手を振りほどき、アーチ型の入口の向こうへ身を滑らせた。

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