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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)三章 策略
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46話 機械兵士②(サチ視点)

 急くあまり、サチは馬に何度も鞭をあてた。慣れない山道がやる気を削いだのか、思うように進んでくれない。

 叱るのは逆効果だ。無理をさせた代償として待っていたのは、真っ当な抗議だった。速度を上げるどころか、いななき、馬は動かなくなった。叱りつけようが、なだめようが、うんともすんとも言わなくなってしまったのである。説得しようと、サチは馬から降りた。


「ごめん、頼むから……そんなに遠くないんだ。頑張って走ってくれ!」


 サチは背伸びして、ご機嫌斜めの相棒の目をのぞき込んだ。馬は歯を剥き、鼻息を荒くする。 

 サチがいるのは海岸沿いにそびえる北の山麓である。進軍するオートマトンより、わずかにズレた獣道だから、いつ遭遇してもおかしくなかった。

 焦れば焦るほど、物事はうまく運ばないものだ。反抗的な馬は頑として動こうとしなかった。


 ──こんな時、あいつだったら、言うことを聞かせられるんだろうな


 サチの脳裏に浮かんだのは、ユゼフ・ヴァルタンだ。

 不思議な奴だった。肉を食べず、動物と会話する。町を歩けば犬や猫が、森を歩けば小鳥や狐、野うさぎが彼の周りに集まってくる。

 森の中、たくさんの動物に囲まれたユゼフを見て驚いたことがある。サチが近づいたとたん、動物たちは一目散に逃げてしまったが。

 

 動かなくなった馬を前に、サチは大きな溜め息をついた。

 眼下には湖が広がっている。どこまでも続く青空を映し出し、キラキラ波打っていた。深く澄んだ青は息を呑むほど美麗だ。


 ──こんな事態でなければ、気持ち良く景色を楽しんだろうに


 大きな湖を低い山々が囲むシャルドン領シーラズ。

 春は華やかな花々が咲き乱れ、秋は色鮮やかに紅葉する。豊かな自然に恵まれたこの地で今、殺戮が行われようとしていた。

 

 イアンは奇襲をかけるつもりだ。正面衝突は避けて、山を登っているはずだった。下山するオートマトンの進路と、登山するイアンの進路の間でサチは立ち往生している。

 連中はすでに麓近くまで下りて来ているだろう。

 先ほどから「ブゥーン」と、虫の羽ばたきに似た音が聞こえ、それがだんだんと近づいてきていた。

 違う道を探したほうがいいかもしれない。ここで、もたついていたら襲われる可能性もある。

 

 考えていると、地響きと共に大きな爆発音が聞こえた。

 風に乗って漂ってくるのは、硝煙と肉の焼ける臭いだ。立て続けに剣撃の音と兵士の叫び声、燃え上がる炎の轟音が押し寄せてくる。

 オートマトンが軍と衝突し、戦闘に入ったのは明らかだった。


 血の気が引いていく感じというのは、まさにこれだ。ついに、サチは崖っぷちまで追い詰められた。

 先に王手をかけたのはこちらだったのに……


 ──あと一歩……あともう一歩だったのに……

 

 ダモンという名の伝書鳥を使って、「撤退の指示を出したので、そこを動くな」と、イアンには文を送っていた。

 ダモンは人の言葉を理解しているし、幼いころからイアンの傍にいる。だいたいの位置さえわかれば、第六感でイアンを探し出すことができるのだ。文が届いていると信じ、待っていてくれることを期待したのだが……


 ──まさか、イアンの奴、待てなくてこちらへ向かったのか

 

 士官たちを説得するのに時間がかかりすぎていた。せっかちなイアンが山を下りていても、不思議ではない。サチは舌打ちし、音のする方へと走った。


 

 戦闘の音と炎の轟音が大きくなるにつれ、焼ける匂いは強くなる。灰色の煙が視界を遮り、何も見えなくなった。

 サチは咳き込み、煙の中を進んだ。

 前が見えないから、木々の間を通る時にぶつかったり、細い枝に顔や腕を引っ掻かれたりする。鎖帷子を下に着ただけの軽装では頼りなかった。装備を整える時間はなかったのである。

 灰色の煙の中に二つ、赤い光が見えた。いや四つ、六つ……どんどん増えていく。十までいって、サチは数えるのを止めた。

 オートマトンだ。音に反応して集まってきたのだろう。

 

 ──カチリ


 金属の外れる音が聞こえた。風がサアッと吹いて煙を蹴散らす。いくつもの口蓋がパックリ開いて、こちらを向いていた。

 彼らはサチに狙いを定めている。暗い口腔からほとばしるのは鮮やかなオレンジ色だ。

 口を開けた彼らは一斉に炎を吐いた。

 間一髪、サチは地面に伏せた。たまたま地面に段差があり、窪みに入れたのである。それしか方法がなかった。

 

 後ろに立っていた樫の若木がごうごうと勢いよく燃え上がった。機械兵士はサチの上を容赦なく踏みつけ、他に誰かいないか確認する。

 幸運にも、樫の木がサチと同じくらいの背丈だったので勘違いしてくれたようだ。

 

 オートマトンの動きはカクカクしている。

 彼らは皆、小さな丸い目と唇のない口に凹凸のない鼻と、シンプルな顔立ちをしていた。武器は腰に差した青銅のグラディウス。なぜ古臭い幅広の剣を差しているかは謎だった。兜から足の爪先までは磨かれていない合金である。くすんだ灰色だ。

 

 彼らの軍団にはレガトゥスという司令官が一人だけいる。レガトゥスが高度な会話や状況の把握をし、攻撃目標を定める。それ以外の兵士はレガトゥスの司令通り、動くものを襲い続けるだけだ。

 レガトゥス以外のオートマトンの知能は低い。おとなしく踏みつけられ、ジッとしていれば気づかれないだろう。

 

 ──早く……早く行ってくれ……

 

 サチは目を閉じた。

 叫声や落ち葉を乱暴に踏み荒らす音、戦士らしからぬ女々しい慟哭、何が聞こえようと息をひそめた。

 兵士が数人、煙から逃げて来る。オートマトンは剣を抜き、彼らに襲いかかった。

 今が逃げるチャンスだ。


 ──もしかして、火炎攻撃は連続して行えないのでは……?

 

 火炎放射は出会い頭だけだった。彼らが有効な攻撃をやめたことに疑問を抱きつつ、サチは煙の中へ飛び込んだ。

 追ってくる気配はない。剣を強く打ち合う音がしばらく続いた。

 熱気が喉を焼き、肺を痛めつける。視界の十割が灰色で何も見えない。目を開くと、しみて涙が出た。

 手の甲で涙を拭い、生きている者の気配を探す。


 ──イアン、イアンは……どこにいる!?

 

 剣撃の音はそう長く続かなかった。残ったのは呻き声と火がはぜる音だけだ。

 もう、イアンは生きていないかもしれない。そんな考えが一瞬よぎってから、左腕の傷痕を触った。


 ──俺がまだ生きている、ということは……


 その時、近くで馬がけたたましく、いなないた。悪態をつく甲高い声も聞こえる。


「イアン!」


 叫びが風を呼ぶ。

 煙が退いたあとに、白馬に乗ったイアンの姿が現れた。甲冑姿だが、(ヘルム)のバイザーを上げ、顔を見せている。彼を守る兵士はいなかった。焼け死んだか、逃げたか……


「イアン、すぐに馬から降りるんだ!」

 

 サチが叫ぶや否や、イアンの背後から炎の劍が放たれる。瞬く間に白馬は炎に包まれ、イアンは落馬した……

 

 イアンは転がり、サチのそばまでやってきた。

 すぐさま起き上がろうとするイアンの腕をサチはつかんだ。


「伏せろ!」


 炎上した白馬が狂ったように暴れ、オートマトンへと向かって行く。


「奴らの知能は低い。動いていなければ気づかれない」


 サチとイアンは腐葉土に顔を押し付け、地面にぺったり張り付いた。

 肉を貫く生々しい音が聞こえ、イアンの愛馬は最後の悲鳴を上げる。

 

 ドサリ……


 馬が地面に倒れる音を聞いて、イアンは歯噛みした。成人の祝いに贈られた大切な馬だと、サチは聞いていた。

 このプレゼントには「あなたをいつも見守っている」というメッセージだけ添えられており、送り主は不明だった。ミステリアスな演出にイアンは大喜びしたものだ。

 歯軋りするイアンには体の痛みより、屈辱と怒り、悲しみが勝っているのだろう。

 慰撫するのは土の匂いに混ざった発酵臭、カビの臭い……柔らかく湿った感触。地面を這う小虫の気配……


 やがて、オートマトンたちはサチとイアンをさんざん踏みつけた後、山を下りていった。

 サチの片腕はイアンの籠手(こて)に触れていたので、微かな振動を感じていた。

 このようなみじめな経験は生まれて初めてに違いない。甘やかされ、高慢に生きてきたイアンには耐えがたい状況だろう。殺されかかったあげく、地面にナメクジのごとく這いつくばっているところを踏まれたのだ。

 だが、憤ったり、嘆き悲しむことはできなかった。サチとイアンは早々に避難しなければならなかった。風が煙を吹き飛ばしたのは一時(いっとき)。火は勢いを増している。

 サチはイアンを連れ、自分の馬を置いた場所まで戻った。


 馬は無事だったが、付近にまで煙は漂っていた。高木の途切れたところから湖と町の様子が見下ろせる。

 嫌な予感が最高限にまで達していた。

 色彩豊かな景色にサチは目を泳がせる。不安のせいで瞳が定まらないのだ。

 まず、爽やかな青。湖は天上を映し出す鏡だ。波打つたび光を零す。面して、色とりどりの三角屋根の連なる町が見えた。


「……あ!」


 サチはへなへなと座り込んだ。

 町のあちこちが灰色に染まっている。天を突き刺す何本もの煙が立ち昇っていた。

 町には大切な妹がいる。


「……俺は負けたのか?」


 つぶやいたのはイアンだ。再会してから、口を開いたのは初めてである。煤だらけで顔色はわからない。生気を失った目だけがギョロついていた。


「……まだだ。まだ終わっていない」

 サチはイアンに顔を向けた。そうだ、絶望なんかしてられない。望みがある限り、やることをやらねば。


「王城に軍を集めた。オートマトンの寿命は短い。一週間籠城に耐えれば、まだ勝機はある」


 しばし、視線を交わす。イアンの褐色の瞳は徐々に光を取り戻していった。


「思い出した」

「何を?」

「おまえを最初に見た時のことを」


 出会いか。お互い悪印象だったのではないかと、サチは苦笑した。

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