45話 機械兵士①(サチ視点)
ことが起こったのは、軍使の役割を終えたサチが陣営に戻った直後だった。
アラーク島から軍船で攻め入り、シーラズに上陸したローズ軍は本陣を海岸に敷いていた。内海を背にすると、正面に湖、右にシーラズ城、左手に山岳地帯が見える。
ただちにシラーズ城へ攻め入るべきだと、進言するつもりでイアンの天幕へ向かっている途中──
「ブオーーーーン、ブオーーーン、ブオーーーン……」
敵の進撃を知らせる角笛が陣営中に響き渡った。サチが慌てて遠眼鏡をのぞきこむと、
「……嘘だろ!?」
言葉を失った。
北の山の斜面がくすんだ灰色で覆われている。本来、緑と菜の花で彩られているはずの山肌の一部が、抉りとられたかのごとく変色していた。
それは、蠢きながら少しずつ山の中腹へ広がっていた。虫の集まりにも見える。
グリンデルのオートマトン、命を持たない機械兵士だ。
彼らはグリンデル水晶を動力源とし、感情と痛覚を持たない。あらかじめ設定された命令を遂行するまで、動き続ける。
手からいやーな汗がジワジワと滲み出てきた。サチは危うく遠眼鏡を滑り落としそうになった。
──これを待っていたのだ。シーマは……
すぐに兵を退かせないと……全滅も免れないかもしれない。完全に破壊し終えるまで、機械兵士は攻撃を止めない。それが、山の斜面を埋め尽くすほどのあの数……
実際に機械兵士を見たのは初めてだった。しかし、本で知った知識だけでも恐ろしさはわかる。
五年前、カワウ王国との戦で補給線を断たれた主国軍は、モズのソラン山脈まで追い詰められた。
その時に虫食い穴を通って、援軍としてやって来たのが機械兵士たちだ。彼らは戦況をたちまち一変させた。
カワウ兵が一人残らず、いなくなるまで攻撃を止めなかったのである。
口から火炎を吐き、手から火薬を発射する。辺り一面、轟音と煙に包まれ、火の海となった。終わったあとに残ったのは、何もない焼け野原だったという──
イアンの天幕を目指して、サチは走った。
慌ただしく出陣の準備をする兵士たちに何度もぶつかった。
小柄なサチは甲冑を着込んだ兵士に跳ね飛ばされる。ガチャガチャと金属が擦れ合う音、確認をする声、騎兵隊の呼び声、怒号………耳が痛くなるほど、騒然としていた。
ぶつかり、転び、息を切らす。肉体的苦痛より、急く気持ちのほうが上回っていた。
──早く、早く……イアンのもとへ……
やっとのことでイアンの天幕にたどり着いた時には、汗と土埃にまみれていた。肩で呼吸しながら、帆布をまくり上げる。
「イアン! イアンは?」
中に入るなり怒鳴った。だが……
天幕にいたのはウィレム・ゲインだけだった。
青い瞳と茶色い巻き毛のウィレムは長剣を得意とし、強くて見てくれも良かったので、学生時代からイアンに気に入られていた。側近といったところだ。
「イアン様はいない」
ウィレムは憎しみのこもった目を向けた。
「角笛を鳴らすまえに気づいて、イアン様はすでに兵の半分を連れて行ってしまわれた。馬のほうが早いから追い越して進軍し、海側を攻めると。ここに残した隊はジニアの指揮で正面から攻めさせ、挟み撃ちにする……と言っていた」
「……本当にそれで勝てると思うか?」
サチの問いかけをウィレムは嘲笑した。
「まず、無理だろうな?」
以前より、ウィレムはサチのことを見下すだけでなく嫌悪していた。
「こうなったのは全部おまえのせいだ。ジニア、おまえが現れてから、おかしくなった。イアン様も、どこの馬の骨ともわからないおまえの言うことなど聞くから……」
「イアンが出てから、まだ時間は経ってないな? 俺はイアンを追いかける!……ここにいる兵は王城へ向かわせてくれ!」
サチはウィレムの恨み言を遮った。時間がない。即座に離れようとした。
「おい、ジニア! おまえがおれに命令するのか? その命令を聞くとでも?」
ウィレムの声が追いかける。彼は苦々しげに続けた。
「おれはもう降りる。おまえらの巻き添えを食らうのは、ごめんなんだよ!」
天幕を出ようとしていたサチは、戻ってウィレムを小突いた。
「俺がいなくなれば、ここの責任者は君だ。二万の兵をみすみす無駄死にさせる気か?」
「おれには関係ない」
ウィレムは平然と言い放った。サチは頭に血が上って喚き散らしそうになったが、なんとか堪えた。
「では、行くがいい。俺が兵を退却させる」
──やるしかないじゃないか。数万人の命がかかっているんだ。舵取りできる立場にいるのなら、尻込みなんかしない。
むろん、恐怖がないと言ったら嘘になる。だが、それを越える使命感がサチを動かしていた。
そんなサチのことがウィレムは嫌いなのだろう。彼は明るいお調子者で皆に好かれていたし、サチ以外に対しては親切だった。けっして悪い人間ではない。だが、理解し難いものに対して、嫌悪するのは人の常である。
出て行く際、ウィレムは振り返って捨て台詞を吐いた。
「学生の時、いじめられて死ねば良かったのに。イアン様はおまえを助けるべきじゃなかった」
サチは不快だとも思わなかった。物事は次から次へ移り変わっていく。
ドカドカと荒々しい足音が聞こえ、髭面強面の大男が姿を現した。ウィレムと入れ替わりに入って来たのは、先鋒を務める第一騎兵隊長だった。
「ジニア殿、ここにおられたか? 探したぞ! イアン様から貴公の指示を仰ぐようにと、仰せつかっている」
「撤退だ」
「は?」
「全軍を撤退させる! 王城へ!」
戸惑う騎兵隊長にサチは訴えた。
「中隊以上の士官を全員集めてください! 速やかに退陣する!」
サチはイアンの天幕に士官たちを集めた。
集まったのは三十人程度である。中隊以上の士官は百近い人数になるが、戦闘配備や距離的な問題で集まれたのはそれだけだった。
「全軍撤退! 王城へ!」
しかし、なかなか納得してもらえなかった。なかには、怒って天幕を出て行く者もいる。緊急時に若殿の代理は荷が重かった。
「王城の守りは固い。射石砲や火薬も豊富です。機械兵士といえども、容易に手出しできないでしょう。火炎放射は高い城壁と深い濠に遮られる。機械兵士の弱点は水です。王城には魔術師もいるので、水属性の魔法を纏わせた石を射石砲で飛ばせば、敵を撹乱することだってできます。彼らの動力源であるグリンデル水晶は持って一週間。一週間、籠城すれば形勢は逆転します」
説得するのに三十分かかった。
なぜなら、機械兵士に関する知識が浸透していなかったからだ。騎士団であれば、五年前の戦を経験しているが、彼らは前線へ出なかったローズ軍であった。くわえて、機械兵士との戦闘を体験した生き残りはほとんどいないから、口伝てにも広がらなかった。
主国では機械兵士と時間の壁に関する情報を隠したがり、そういった書物は一部の場所で学匠だけが共有していたのだ。
サチは暇さえあれば学匠が出入りする知恵の館の図書室へ入り込み、知識を蓄えていたため、彼らのことに精通していたのである。
勝算はまだある。
機械兵士は人間より早く移動できても、馬よりは遅い。
なんとか士官たちを説得したあと、サチは文を書いた。イアン、王城にいるカオル、それとシーラズ城の背後にいるリンドバーグへ。リンドバーグへは内海で待機するようにと書いた。
軍は撤退し始め、サチはイアンの所へと向かった。




