41─2話 約束②
彼らが十二歳のころ──
暇を持て余したイアンが、リンドバーグの馬車を襲う計画を立てた。横領で富を築き、ホモで中年のリンドバーグなら襲ってもいいという、めちゃくちゃな理由だ。国王サイドが流した中傷を完全に信じ切っていた。
醜悪なゲームに参加したのはユゼフとカオル。一応、この二人は反対したが、イアンは聞く耳持たなかった。
──いや、たいして反対もしてないだろう。イアンは俺以外に口答えされると、たいていキレるからな?
明らかに間違っていることをしようとしているのに、どうして反対できないのか。流されるままに従ったユゼフとカオルにサチは怒りを覚えた。
しかし、あったことを冷静に精査しなくてはいけない。リンドバーグとカオルの話に差違がないか、サチは確認することにした。もし、事実をねじ曲げていたり、リンドバーグ側にも非があった場合、交渉に役立つ。
「最初におれが馬車の前に飛び出して、娼館へ道案内すると言った。いつも、通っている店が火事になってしまい、別の場所で営業しているからと嘘をついて……リンドバーグはすんなり信じてくれた」
サチはカオルの綺麗な顔を見やる。今はみっともなくポヨポヨしたヒゲを生やし途中だが、少年時代のツルツルした肌で誘われたら、ホモでなくてもクラっとくるのではないか? 今だって、ヒゲを剃れば女装させても違和感ない。
「リンドバーグ卿に性的なことをされたりは?」
サチは念のため聞いてみた。卑劣だろうが、リンドバーグ側のアラを見つけたい。カオルは頭を振った。
サチは落胆しつつ、安堵もした。リンドバーグという人を信じたいという気持ちもある。今の行動は矛盾していた。カオルは瞳をグルリ真上に向けて、記憶をたどる。
「馬車の中でおれはリンドバーグの相手をし、ユゼフが御者の隣に座って道案内をした。そうして、イアンが待つひとけのない場所へと誘導した……」
待ち合わせ場所に着くと、ユゼフは馬車を停めさせた。不審がる御者をイアンの指示どおり気絶させようとするも、うまくいかず取り逃がしたという。
王都内は治安がいい。娼館ということはお忍びだろうし、何かあっても速やかに衛兵が駆けつけてくるため、リンドバーグは従者しか連れていなかったかと思われる。
「イアンが乗り込む直前に、おれがリンドバーグの剣を奪った。丸腰になったリンドバーグをイアンは剣で脅したんだ」
「リンドバーグ卿は侮辱されて、辱められたとおっしゃっていた。これはどういうことだ?」
「イアンはリンドバーグに服を脱げと命じたんだよ、アクセサリーも全部取れと。歩く宝箱と言われるほどだ。すごい量だったな……首にも腕にも指にも、ジャラジャラ付けてた。取り上げた宝飾品をおれは袋に詰めたんだ」
普通に強盗ではないか……。裕福な暮らしをしている貴族のお坊ちゃまの行動とは思えない。
「最低だな……まあいい。その間、イアンとユゼフは何してた?」
「ユゼフは従者を縛っていた。イアンは……インク壺を見つけて、リンドバーグの体に落書きし始めた。バカとか変態とか便器とか……」
「ふむふむ……他には?」
「リンドバーグの腹にペットの鳥のダモンの顔を描いて、大笑いしてた。呼吸のたびに動くもんだから、おもしろかったらしい。おれも、ちょっと笑ってしまったかも……」
馬鹿である。善悪の区別がつけられる年齢だろうに、いったいどんな育てられ方をしたら……とは、マダムローズが気の毒過ぎて、口には出せなかった。
「リンドバーグ卿は抵抗したりしなかったのか? 君らがケガしたりは?」
「おれたちはケガしてない」
「んんん……リンドバーグ卿は縛られる時に暴れたりしなかったのか? 体に落書きされても?」
「暴れては……なかったな。裸だったし、イアンとユゼフは子供といっても大人に近い身長だったから、剣を突きつけられてビビってたんじゃないの?……あ、暴言は吐いてたな」
そりゃ、暴言くらい吐くだろう。しかし、リンドバークの落ち度を探りたいサチは耳をそばだてた。
「どんな?」
「んー……よく覚えてないけど、捕まえたら拷問してやるとか言ってたかも。顔を真っ赤にして怒る様子がおもしろくて笑ってたら、イアンのことを“ジンジャー”ってバカにしてきたんだよ。イアンは赤毛をけなされると、ブチ切れるだろ?」
「ああ、それでリンドバーグ卿に暴力を……君らは止めなかったのか?」
「アレは止められないだろ? 殺すとか言い出すから、ユゼフがイアンの腕をつかんだけど、はね飛ばされてたし……その時、大勢の足音が聞こえてきて、イアンは思いっきりリンドバーグの腹を蹴ったんだ」
「脇腹か? リンドバーグ卿はあばら骨が折れたと……」
「うん、たぶんな……そのあと、おれらは馬を奪って逃走した」
最悪だ。この出来事を知っていたら、サチはユゼフと友達にならなかっただろう。聞けば聞くほど、嫌悪感が増す。だが、最後まで聞かねばなるまい。サチは怒りを抑え込み、尋ねた。
「奪った宝石はどうした?」
「宝石店に持って行ったら怪しまれて、全部川に捨ててしまった」
「わかった。よーく、わかった! リンドバーグ卿に非はないな!」
「おれだって、イアンのことを非難したよ? もう、こんな遊びはしたくないって、全部ローズのおば様にお話しするって言ったよ? そしたら、またいつもみたいに謝ってきたから、この件は忘れることにしたんだ」
「それは言い訳にならない。俺がその場にいたなら、最初から絶対に従わない。絶対に、だ!」
ぐぅの音も出ないのか、カオルは唇を噛み、拳を握り締めた。一方的に決め付けられたように思ったのだろう。サチはまっすぐにカオルを見据えた。
「君はイアンと同罪なのに、イアンにだけ罪をなすり付けようとしている卑怯者だ」
カオルはスッと目を逸らした。気弱な人は強気に出られるとこうなる。
「謝罪させる。イアンにも、君にも。なんとしてでも」
「イアンは絶対に謝らない」
サチはカオルの言葉には答えず、背を向けた。背後でカオルの舌打ちが聞こえても、気にしない。タイムオーバーだ。
寒くなってきたので、リンドバーグは船室に引っ込んでいた。
ふたたび乗船したサチは応接室へ案内された。カオルは連れていない。一人だ。
待っていたリンドバーグは、少し酔っているようだった。機嫌は回復してないのだろうが、酌婦の肩に手を回している。
「話は終わりました。イアンに謝罪させます」
開口一番にサチは言い放った。
「ほぅ。君にできるのか? もし、できなければどうする?」
「エデンの騎士のように、その場で腹を斬ります」
「命を懸けると言うのか……!? あのジンジャーのために?」
「いえ。イアンのためではありません。私自身の自尊心のためです。いいですか? 今からイアンに使いを送ります。必ずイアン本人を連れて戻りますので、このまま花畑島へ移動してお待ちください」
段取りは頭の中でまとめてある。あとは了承を得るだけだ。リンドバーグはイアンを憎悪していても、サチに対しては好意的だ。
「それは君らに負担がかかるのでは?」
「仕方ないです。我々を信用できないでしょうから。城までお越しいただくのは無理でしょうし。幸い、海側の警備は手薄ですので、なんとかなります」
「本当にできるのか。そんなことが……?」
「待たれている間、ボート以外のものが近くまで来たら、遠慮なく交戦してくださって結構です」
「私がそんな馬鹿げた話を信じると思うか? 私が花畑島へ移動している隙に、海岸からシャルドンの領内へ攻め入るつもりではないか?」
「いえ。兵はすべて花畑島の虫食い穴からアラーク島へ移動します。軍船はアラーク島に配備されているので、シーラズ城に一番近い岸から上陸する予定です」
こちらの手の内を明かしてしまった。仕様がない。信頼させるためだ。サチはリンドバーグと向かい合い、微動だにしなかった。
リンドバーグは視線を逸らさぬまま、黙り込んでしまった。
かなり長い間、白いヒゲをいじっていただろうか。その間、サチはずっと緊張していた。背筋をピッと伸ばし、こちらも視線は外さない。
やがて、リンドバーグは静かに口を開いた。
「……おそらく君は嘘をついていないのだろうな? とても澄んだ目をしている。私は王室で人事に関わる仕事をしていたから、人を見る力はあるのだ。君のような純粋な人を失うのは惜しい。それに、あのジンジャーが信じられないことだが、跪いて謝罪をしたなら私の誇りは回復する。君の言うことは荒唐無稽ではあるが、信じてみたい気持ちはある」
「まだ子供だったとはいえ、イアンたちはやってはいけないことをしました。必ず償わせます! 謝罪だけではなく、盗んだ金品に相当する金額をお返しし、貴殿の体と心を傷つけた慰謝料もお支払いいたします……カオルにも、ちゃんとイアンのあとに謝罪させます!」
「……あともう一人、少年がいた」
「そいつなら今、国外にいるので一年後になるかも知れませんが、きっちり筋を通させます!」
サチは断言した。




