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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)三章 策略
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41─1話 約束①(サチ視点)

 サチはその場からすぐに動けないでいた。イアンがカオルと共に、何かしでかしたのはわかった。だが、動揺しようがなんだろうが、切り抜けなくてはならない。


「どうした? 早く行きなさい」

「……少しお時間をいただけないでしょうか?」

「言っただろう? もう、話すことはないと」

「でも、俺は何も知らなかった。フェアじゃないと思います」

「知らなかったのは君の落ち度で、私の責任ではない」


 こんなことで引き下がるわけにはいかない。何人もの命がかかっているのだ。サチは粘った。


「さきほど申したように、手持ちの兵数には大きな差があります。我々が今乗ってるのは漁船ですが、すぐ近くの花畑島に上陸すればいいだけの話です。軍船はアラーク島に配備済で、すでに兵の大半は移動を終えているのですよ? どのみち手遅れです」


 まだ移動できていないが、サチは嘘をついた。リンドバーグの船を確認してから三時間は経っているから、六隻は上陸できているだろうか。人数にして六百人程度だ。最悪なケースを迎えようとも、せめて時間稼ぎをする必要があった。


「兵の数は一万。今から南東の海岸にいる部隊に知らせても、貴殿に勝ち目はないです」


 サチは言い切った。今はハッタリでも、あとから事実にできる。リンドバーグは少し落ち着いてきたようだ。酒を口に含んでから答えた。


「仮に勝ち目がないとしても……退くことはできない」

「なぜです?」

「プライドだ」


 リンドバーグはよく通る声で答えた。 


「私は曲がりなりにも一国の領主なのだよ? 領主は自分の領内では王だ。外敵から国を守り、民を守り、農地を守り、ときには剣を持ち、命懸けで戦う。王が誇りを捨てたらどうなる? その時点で王ではなくなる」

「あいにく、私は貴族ではないので、わかりかねます」

 

 話の腰を折られ、リンドバーグは顔をしかめた。ここまできたら、どんなに機嫌を損なおうが同じことだ。サチは自分の話を持ち込むことにした。


「厳密に言うと、私はイアンの家臣でもありません。ご存知のとおり、実家は内海の小さな島です。父母代わりの祖父母が亡くなった時、リンドバーグ卿には大変お世話になりました。あの時のことは感謝してもしきれません。その後、紆余曲折あってローズ家に仕えることとなりましたが、私は一番最初にイアンに伝えました。家臣として(ひざまず)くつもりもなければ、忠誠を誓う気もない。その代わり、誰よりも役に立つことができると」

 

 リンドバーグは目を丸くして固まった。貴族でもない者が家臣に取り立てられ、重要な役割を担っている。しかも、跪かず忠誠も誓わない。こんなことは前代未聞だから、驚いて当然だ。

 やがて、驚きから興味、思案へとリンドバーグの心は移り変わっていったようだ。何度かうなずき、ゆっくり口を開いた。


「なるほど。君は貴族ではない。イアン・ローズの忠実な家臣でもない。ならば、ここにいる理由はなんだ? 立身出世を望んでいるのか? だとしたら、ローズを見限ったほうが身のためだぞ?」

「誇り……と、さきほどおっしゃいましたね? 私も固い信念のようなものは持っています。それは周りに何を言われようが、脅されようが、命が危険に晒されても守らなくてはいけないものです。だから、イアンを見限ることは自分の信条に反するのでできません」


 「ふむ……」と鼻を鳴らし、リンドバーグはソファにもたれかかった。


「……少し時間をください。状況を確認させていただきたいのです。横にいるデクの棒のバカから、何があったのか確認させてください。そのうえでイアンたちに謝罪をさせます」

 

 サチは懇願した。

 リンドバーグは少しの間、思案していた。


「貴族でもない君が、あのイカれジンジャーに頭を下げさせることができると?」

「ええ。貴族でもないのに、ここにいて貴殿と交渉しているのだから、それくらいのことは、できるはずです」

「……わかった。君の心意気に免じて、三十分待ってやる」

「ありがとうございます」



 

※※※※※※※※


 自分たちの船に戻るなり、サチはカオルにつかみかかった。


「どうして黙っていた?」


 ふてくされた顔で、カオルはサチの手を払い除ける。


「交戦すればいい」

「どうやって? 漁船でか?」

「ジーンニア、おまえが漁船で移動する計画を立てたんだ」

 

 サチは大きく息を吸って吐いた。これは気持ちを落ちつかせるためだ。


「とにかく八年前、何があったのか聞かせてもらう」

 

 サチとカオルは手すりにもたれ、海を眺めた。赤かった地平線に濃い闇が被さっている。瞬き始めた星が初々しかった。


 時間はあっという間に過ぎ去る。カオルはあったことを淡々と話した。サチは腕組みをし、指でリズムを刻みながら一部始終を聞いた。

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