40話 リンドバーグの調略(サチ視点)
「リンドバーグだと!?」
カオルは目を剥いた。舞台上の俳優がよくやるアレだ。カッと見開いて、その状態で硬直する。ちょっと驚き過ぎじゃないかと思いつつ、サチは答えた。
「ああ、そうだ。なんだ、その顔? 知り合いなのか?」
「……いや。リンドバーグを調略するのは無理だ」
「どうして?」
「もともとローズとの関係は良くないし、王議会員だろうが?」
「表向きはな? だが、クロノス国王が即位する以前から議会にいて、辛辣な発言をすることで有名だ」
「横領で富を蓄えたという話を聞いてる」
サチはカオルの言葉を笑い飛ばした。
「その話は有名だな? だが、それは嘘っぱちだ。王党派が意図的に流した噂なのさ」
カオルは息を呑んだ。さっきから反応が大袈裟な気もするが……小心者なのか。サチは気にせず続けた。
「なんで嘘と言い切れるかって? 調べたからさ。イアンの父上が隣接するリンドバーグ領を以前から狙っていてな、俺に調査するよう依頼したんだよ。これは偶然知り得た情報なんだが……」
サチはイアンの従者というかたわら、イアンの継父からも仕事を任されていた。器用ゆえに、なんでも屋のごとく、こき使われていたのである。
「リンドバーグが大金持ちの理由は、内海に持っている島から貴重なグリンデル水晶が大量に採掘されたからだ。クロノス国王はリンドバーグからその島を買い取ろうとして拒否された」
大陸の領主は小さい島であれば、個人的に所有することを認められている。徴税の対象にならないのだ。不平等な法のおかげでリンドバーグは富を専有できた。
「それに加えて議会で大きな発言権を持っており、国王の息がかかった者ばかりの王城では疎まれる存在だった……どうした? 顔色が悪いぞ??」
カオルが真っ青な顔をしているのにサチは気づいた。
──船酔いか??
海のほうを顎でしゃくり、「吐いたほうがいい」と伝える。カオルが海に吐いている間も、サチは話し続けた。
「リンドバーグは王党派から嫌がらせを受けていたのさ。あらぬ噂を立てられ、領地をローズに奪われたことを国王に直訴しても無視された。これはシーマが知り得てない情報だ。知っていたら、沿岸の警備をリンドバーグに任せないだろうからな? ローズの殿様はリンドバーグの弱みがほしかったらしいが、結局なにも見つからなかった。派手な外見とは裏腹になかなかの好人物だよ。慈善団体を設立して多額の寄付もしているし……おい、大丈夫か? これから話をしに行くんだから、身だしなみを整えないと……」
「……おれも一緒に行くのか?」
「当然だろ? そのために同じ船に乗ったんだから。イアンの家臣のうち、一番と二番がいないとな! 大丈夫。リンドバーグ卿は穏やかな人だよ。準備も問題ない。好きだというエデンの酒も酌婦も一緒に乗船させている」
「酒を飲ますのか!?」
「ああ、じつはな、俺はリンドバーグ卿と知り合いなんだよ。俺が一方的にお世話になっただけだけど、縁あってお城に一週間ぐらい泊めていただいたこともある。俺の顔を見れば、懐かしさから接待を受けてくれるさ。話も聞いてくれるはず」
「そんなバカな……おまえみたいな庶民が、王議会員だぞ?」
「なんでかは詳しく教えてやんないけど、残念ながらそうなんだよ。三流貴族の養子の君からすると、嫉妬で狂いそうになる人脈だよね?」
カオルは物凄く嫌そうな顔でうつむいた。どことなく様子が変だが、たぶん船酔いのせいだろう。
リンドバーグの調略には自信がある。サチは鼻唄を歌い、着替えるために船室へ下りていった。
リンドバーグの軍船から使いの者が帰ってきたのは、七時を回ったころだった。乗船の許可が下り、サチはカオルを伴ってボートに乗った。
※※※※※※※
リンドバーグは雪だるまのようなまん丸い体躯の好々爺だ。白八割のヒゲに薄い頭髪は、見るからに柔和でホッとする。サチがこの計画を立てたのは旧知ゆえである。以前、お世話になりましたと挨拶すると、リンドバーグは相好を崩し、リラックスした雰囲気になった。
甲板にソファーやテーブル、ランタンを並べさせ、リンドバーグはサチを持てなしてくれた。星空の天井と広大な海はどんな調度品よりも価値がある。贅沢な宴会の始まりだ。
サチは臆することなく酒や郷土品を献上した。一緒に乗り込んだ酌婦たちにも給仕をさせる。自らも酌をし、カオルにもするよう促した。だが、カオルは首をブンブン横に振って拒否した。
──なんだ、こいつは?……なにもしないじゃないか? いるだけ?
サチはカオルを連れてきたことに、後悔の念を抱き始めていた。見映えがいいのとイアンの幼友達ということもあって同行させたのだが、一言もしゃべらないし全然役に立たない。
「サチ、君は成長したな! 出会ったのは、たしか君が十歳くらいの時か?」
「ええ。あれから八年も経ってますから。本当に恥ずかしいくらいの世間知らずで、リンドバーグ卿の助けがなければどうなっていたことやら……」
「年齢のわりにしっかりしているイメージだったがね? しかし、敵同士で再会することになろうとは……相手が君でなかったら、攻撃を仕掛けていたところだったよ」
「我々にはリンドバーグ卿の力が必要なんです。もちろん、貴殿がローズ家を快く思っていないのは存じております。それでも、お人柄を信じてお話ししようと思いました」
サチはサラッと本題に入った。サチの視線に当てられると、うしろ暗い人間は目をそらす。リンドバーグは目をそらさなかった。サチは安心して、話を続けた。
「長引いたカワウとの戦争で得た物はなにもありません。民と内海の諸侯は理不尽に苦しめられたように思います。そのうえ、謀議により利益を身内にだけ配分しようとする。奴隷輸送計画自体が、倫理的に問題のある計画ですし、王軍を私益のために使うとは横暴が過ぎます」
本当は後付けの正義だ。戦には大義名分が必要である。
「ですが、この暴政もまもなく終わります。我々が王城へ攻め入った時にクロノス国王は重症を負っていますし、もう長くないでしょう。直系の王子がいなくなった今、次に玉座を得るのはイアン・ローズか、国外にいるダニエル・ヴァルタン(ユゼフの兄)か、我々の捕虜であるジェラルド・シャルドンしかいません。ダニエル・ヴァルタンはこの中で一番相応しいかもしれませんが、時間の壁に隔てられた国外にいて、あと一年は戻られません。ジェラルド・シャルドンの命は我々の手中にあります……」
世間でのシーマ・シャルドンは病気がちで弱々しいイメージだ。肌の色素が抜け、染めている頭髪含め全身の毛が睫毛に至るまで真っ白なのは、病の影響だと言われていた。十六になるまで城から一歩も出たことがなかった箱入りの貴公子だ。
学院入学当初、虚弱イメージだったシーマがイアンを凌ぐ人気者になっていたのは、卒院生にしか知られていない。
「今、王連合軍の指揮を執っているのはシャルドンの息子のシーマですが、このままうまく立ち回れるかはわかりません。貴殿にとってどちらにつくのが得か、よくお考えいただきたい。ご協力をいただけないようであれば、我々は強硬な手段を取らざるを得ません」
サチはまくし立てた。
「沿岸警備の兵員は全部合わせても、せいぜい五千といったところでしょう? 今、内海を巡回している貴殿の兵は三百程度。我々はその数を優に上回ります。もしも、ローズにつくなら今までの地位の保持はもちろんのこと、ローズ家が以前奪った領地の返還と、報奨としてさらに領地の拡大を約束します」
そこまで聞くとリンドバーグは肩をすくめた。
「なるほど。君の言うことは正しい。若いのに堂々として、たいしたものだ。だからこそ責任ある任務を任されているのだろうが……しかし、抜けている点がある」
「なんでしょう?? なんでもおっしゃってください。納得するまでお話ししますよ!」
サチは頬を緩ませ、曇り硝子の盃に酒を注いだ。酒の好みも事前に調べている。
「君が抜けてるのはイアン・ローズの人格、または精神性についてだ」
リンドバーグは今までの穏やかな雰囲気とは変わり、語調を強めた。
サチは一瞬たじろいだが、すぐさま言葉を返した。
「……たしかにイアンには幼いところがあるかもしれませんが、王になれば成長します。利かんきで血気盛んなのはまぁ……若いので大目に見ていただければ……」
「私が言っているのはそういうことじゃない。君は一緒にいて自分の主君に疑念を抱いたことはないのか? だとすれば、一見理性的に見えても、君自身に問題がある」
サチは笑んだまま固まった。リンドバーグの声が怒気を含んでいたからである。
「あの、どういう……」
「だから、イアン・ローズは君からはどういうふうに見えてる? 率直な意見を聞きたい。あえてこれを聞くのは旧知なのもあるし、君が賢く理性的だからだよ?」
「……イアンは熟年の方からご覧になったら、未熟かもしれません。感情的で乱暴なところもあるかもしれませんが……」
「ちがう。そういうことじゃない」
リンドバーグはサチの言葉を遮った。
「わかった。君は立場上、主君の悪口は言えない。そうだろ?」
「なにか失礼な態度をとってしまったのであれば、謝ります。でも、なにぶん常識知らずで、なぜお怒りになったのか見当がつかないのです。不躾ながら、理由をお聞かせ願えないでしょうか?」
サチは言葉を選びながら慎重に尋ねた。本当になんで怒っているのか、わからないのだ。カオルが横でそわそわしているのが鬱陶しい。
リンドバーグは、サチを懐かしんでいた時の優しい顔とは正反対の怖い顔をしている。
「そうか、君はなにも知らないのだな? 新しく家臣に取り立てられたばかりで……」
リンドバーグは一呼吸置いてから話し始めた。まるで防波堤が崩れたかのように、荒々しい言葉の波が押し寄せて来る。
「八年前、私はイアン・ローズに侮辱され辱められ、持ち物をすべて取り上げられたあげく、大ケガまで負わされたのだ」
「……それは、どういうことですか?」
「隣の彼に聞けばいい。その顔、忘れもしないぞ? おまえらのしたことも!」
リンドバーグは、サチの横でずっと下を向いていたカオルを指差した。サチはカオルを一瞥してから尋ねる。
「なにか誤解されている可能性はないですか? 人違いとか……? 八年前ですとイアンも、このヴァレリアンもまだ十二歳の子供ですよ。あなたのような方に何かすることは、できないと思うんですが……」
「人違いなものか! 私は今でもハッキリとあのジンジャーの顔を覚えてるぞ? あいつは私の脇腹をアバラが折れるほど強く蹴ったのだ。このクソガキどもは私をだまし、辱め、嘲笑った」
リンドバーグは怒りのあまり、赤らんだ顔をいっそう赤くさせた。サチは言葉を返せず、横にいるカオルに助けを求めた。カオルは顔を上げようとしない。
「子供とはいえ、あまりにも酷い仕打ちに、私はせめてもの謝罪を求めて彼らを探した……そしたら盗んだ宝石を持って、スイマーの宝石店に来ていたではないか? あの目立つ赤毛だ。聞き出した内容から、すぐにローズの息子だとわかった」
リンドバーグは悔しそうに拳を握りしめる。サチは唖然とするばかりだ。
「相手が良家の子息であっても、盗まれた物はどうでもいいから、謝罪ぐらいはしてほしかった。私はハイリゲ・ローズ殿にこのことをお話ししたのだ。そしたら……」
リンドバーグの怒りは頂点に達したようだった。真っ赤な顔からは湯気が出ており、今にもお湯が吹きこぼれそうだ。
「証拠はあるのか?……そう言ったのだ、あの男は! 子が子なら親も親だ! 私は謝罪を求めていただけなのに。泣き寝入りするしかなかった」
話が全部終わると、リンドバーグはハンケチで額の汗を拭いた。
「もう話すことはない。早く自分たちの船に帰ってくれ。私は君らの船を行かせることはできない」
カオル視点↓↓
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