38話 作戦(サチ視点)
国王とヴィナス王女は、シャルドンのシーラズ城に保護された。サチがその事実を知ったのは、あとに引けなくなってからだ。
筋書きを書いたのはシーマ・シャルドン。
王城にいたシーマの父ジェラルドは捕虜として、ローズ城へ送られた。馬鹿みたいに取り乱していたし、謀略とは無関係と思われる。
ガラク・サーシズは王城を占拠した後、どさくさに紛れて逃げた。
ガラクがシーマと繋がっている可能性について、サチはイアンに伝えるのを留保した。感情的なイアンが何をしでかすか、わからなかったからである。
謀反のきっかけとなった瀝青城で行われた謀議も気になる。どういう経緯でガラクが……その背後にいるシーマがこの情報を知り得たのか。
サチの脳裏に親友の顔がチラついた。ヴァルタン家の私生児、ユゼフ・ヴァルタン。
──ユゼフが関係しているかはわからないけど……今、考えるべきはこれからのことだ
サチは余計な考えを振り払った。
王城を占拠したのはいいが、あっという間に取り囲まれてしまったのである。
取り囲んでいるのはシャルドン家含む王党派の軍勢だ。今、イアンの首を討ち取れば、彼らは間違いなく権力を手にできる。
イアンはまったく身動きできない状態になってしまった。これを打破するには? まずは話し合いだ。相手の状況や意図を探るためには、一度話しておく必要がある。
サチは、シーラズ城へ軍使として行く役目に立候補した。
†† †† ††
シーマとの話し合いは決裂。
これは予想通りだが、サチは別のことで心を乱した。
まず、親友のユゼフがこの件に荷担していたこと。シーマは魔族方式の臣従礼をユゼフとしたと、傷を見せてきた。謀議の情報はユゼフから得たのだと思われる。
それと、シーラズにいる妹のことだ。シーマは妹をダシにして、自分側につけと脅してきた。
理性で考えれば、シーマについたほうがいいのは、わかっていた。だが、感情が許さない。悪辣な手段で謀反を扇動し、幼い王子たちを亡き者としたシーマにつくことは誇りが許さなかったのである。
──あいつのことだから、妹に何をしてくるかわからない。くそっ……早く片を付けなければ
そんな精神状態でサチは帰城した。
ところが王城へ戻ると、馬鹿殿はもう勝った気になっている。城にいた女たちとお楽しみ中であった。
半裸の女とじゃれあいながら報告を聞こうとするイアンに、とうとう堪忍袋の緒が切れた。
サチは一人の女の腕をつかんで、部屋の外へと引きずり出した。
「出ていけ! あばずれども!」
怒号を上げ、手に持っていた旗を床に投げ付ける。
女は一人残らず広間から出て行った。
ここ数日、ろくに寝られなかったことも重なって、サチは相当苛立っていた。
「そんなに怒ることはないだろ? おまえにもお古をやろう」
イアンは何とはなしにサチの全身を眺めた。
戦中の今は汚れた皮鎧を着ているが、普段のサチはもっと小綺麗にしている。器用なサチは、イアンのいらなくなった服を自分で仕立て直して着ていた。
「バカなのか、バカなのか?? 君は?? イアン?」
サチは遠慮なく喚き散らした。
無礼な物言いにカチンと来たのだろう。イアンは玉座から立ち上がった。イアンの身長は四キュビット(百九十八センチ)はあったので、サチは見下ろされる格好になる。
燃えるような赤い髪は激しい気性を現していた。真っ白な肌は、イアンの唯一貴族らしいところとも言えよう。子供のころは、そばかすだらけだったそうだが、今は雪のように白い。
「口の利き方に気をつけろ! いつから、おまえは俺の母親になった?」
イアンはサチを見下ろしたまま、低い声を出した。イアンにあのような物言いができるのは、サチ以外にいない。サチは声のトーンを落とした。
「さっきの女たちはもともと、この城の住人だ。話を聞かれたら、マズいことぐらいわからないのか?」
「どうせ城からは出られまい。囲まれてるのだから」
「出る方法なら、いくらだってある。夜霧に紛れて文を飛ばすことだって可能だ」
イアンは溜め息を吐き、言い争うのをやめた。口喧嘩で勝てないことは、わかっているのだ。
「……で、シーマはなんと?」
「予想通りだ」
答えるや否や、サチは音を立てずその場を離れた。
抜き足、差し足──
なぜ、会話中に人差し指を立てて離れたかというと、気配を感じたのだ。
扉の前まで行き、一気に開ける。
そこにいたのは、さっきまでイアンといちゃついていた女だった。
聞き耳を立てていたのだ。国王?……いや、シーマの間者だろうか。
逃げようとする女の腕をつかみ、サチは中へ引きずり込んだ。まとめてあった艶やかな栗毛が、女の剥き出しの肩に解け落ちる。
先ほどまでの楽しそうな態度とは打って変わって、女は刺すような視線をイアンへ向けた。
「サーシャ……」
イアンは女の名をつぶやいた。
女のことを気に入っていたのか、少なからずショックを受けている。
サチは女の腕をつかんだのとは反対の手で短剣を抜いた。
「やめろ! 殺す必要はない。地下牢に繋いでおけ!」
必ずイアンは止めると、サチにはわかっていた。幼い暴君は女にめっぽう弱い。わかっているから、安心して短剣を抜いたのだ。サチは即座に納剣し、兵を呼んだ。
「これからどうする? このまま籠城か、それとも行動を起こすか……」
女が連れられ二人きりになると、イアンの表情に陰りが見られた。
ここからは大事なことを本音で話す。サチは他に怪しい気配がないか確認してから、口を開いた。
「話すまえに約束してほしいことがある」
「なんだ?」
「俺に内緒で勝手な行動を取らないでほしい。今回のことだって……」
「わかってる。でも、言ったら絶対に反対しただろうが」
「当然だ。君を唆した奴らは全員信用できない。なにかあれば、簡単に寝返るだろう」
「うまくいっただろ?」
「途中まではな?」
イアンは黙る。
行動力はあっても、中身が伴わない。本当は不安でどうしようもないのだ。女と遊ぶのも不安を紛らわすためだろう。
サチは知らず知らずのうちに、暴君を操作しようとしていた。
「いいか? よく聞け。王城の包囲を破ろうとするより、王のいるシーラズ城を叩く」
「……どうやって?? 今、包囲されてるんだぞ??」
「別に包囲を破らなくても方法はある。ローズの領内に兵が一万人いるよな?」
「ローズはカオルに守らせてるが……兵を一万も移動したら、ローズはがら空きになる。捕虜だっているのに……」
思い切ったことをしたわりにイアンは消極的だ。暴力ではなく、理屈で攻めれば簡単に篭絡できる。サチは勢いづいた。
「がら空きになっても構わない。奴らは遠く離れたローズにまで足を伸ばさないだろう。そんな余裕はないはずだ」
「そもそも、どうやってカオルと連絡を取るんだよ? 一歩も外へ出られない状況なのに……」
「連絡を取る方法なら、いくらでもあるとさっき話しただろ? そうだな……俺がカオルの所へ出向こうか? 逃走兵というのはどうだ? 深夜に正面から敵陣に攻撃を仕掛けるんだ。その間に背後の海へ小さいボートで脱出する。十人くらい引き連れて白旗を揚げ、武器を海へ捨てればいい。ダッサい歩兵の格好でな? 正面から攻撃を仕掛けられて相手側は忙しいだろ? 逃走兵に構ってはいられない」
穴の空いたアニュラス大陸の南に王城は位置し、ローズ城は北に位置する。
王城の後ろは海が広がっており、点在する島の一つにローズへ繋がる虫食い穴がある。
玉座に座っていたイアンを呼び寄せ、サチはテーブルにアニュラスの地図を広げた。いよいよ本題に入る。
まず、ローズの領内にいる一万の兵をシーラズ城へ向かわせるため、百人ごとに小隊を組ませる。
陸地に沿って海を渡るのは、王党派の兵がいるため難しい。
また、沿海付近は小さな島々が散在しているので、大きな軍船ではスピードを出せないし、小回りがきかない。最悪事故を起こす危険性もある。何より目立っては敵側に進軍を気づかれてしまう。かといって内海の中央を渡ろうとしても、複雑な海流が渦巻いているために航海は困難だ。
そこで小隊ごとに漁船や商船に乗り込ませることにした──
「ちょっと待て! 兵がいなくなったローズ城はどうやって守るんだ? ローズの領地はシャルドンの領地と隣接してるんだぞ? 攻め入られたら終わりだ」
「だから、敵軍には絶対、進軍を気取られてはならない。それに今は、ローズの領地を守ることより王城の包囲を破るほうが重要だ」
サチは話を続けた。
百の漁船と商船に乗り込んだ一万の兵は三十分置きに、ヤズド島、ドルード島、ファサー島、花畑島の順に上陸する。この島々は南へ仲良く連なっている。
着く順番が奇数の船は島に沿って南岸へ移動し、あらかじめ用意された新しい船に乗り替える。偶数の船は北の海岸から上陸し、島内を南へ移動。奇数の船が置いて行った船に乗り込む。
この四つの島々を支配するクルベット伯爵はクロノス国王に不満を抱いているため、調略は難しくないはず。それぞれの島に移動用の馬と五十ずつ船を用意してもらおう。
島から島へ船を代え、バラバラに移動する。
最終地点の花畑島には「虫食い穴」がある。この虫食い穴は、王城から十五スタディオン(三キロ)離れたアラーク島へ繋がっている。
虫食い穴を使えば、移動に数ヶ月かかるところを三日で到達することができるのだ。ちなみに王都内にもローズへ繋がる虫食い穴はあるが、王軍に占拠されている。
この謀反を知ってから、サチが真っ先にさせたことがある。このアラーク島に軍船を配備するよう、イアンに手配させていた。
内海の岸から上陸し、海に面したシーラズ城に奇襲を仕掛ける。
王城からシーラズ城はそう遠くない東に位置している。シーラズ城が襲撃されれば、王城を包囲している軍を向かわせるだろう。その隙に包囲を破る。
シーラズ城を守っている兵は一万、王城を包囲しているのは二万五千程度。これは塔から確認した。合計三万五千人。
一方、こちらの兵員数は──ローズ城から連れてくる兵は一万、王城を占拠したイアンの革命軍は一万五千。合計二万五千人だ。
充分戦える兵力差である。内海の領主から、援軍を得ることができれば……戦況は変わる。
イアンはサチの話を険しい顔で聞いていたが、最後にコクリとうなずいた。
おまえを信じる、と。




