74話 なぜキャンフィは裏切ったのか
(イアン)
アスターにこってり絞られた後、休む間もなくイアン達は出発することになった。
泉の水はサチが持っていたのである。
イアンとカオルがヒュドラと格闘していた間、サチとイザベラが泉の水を水筒に詰めていたのだった。
──クソジジイめ! してやられた!
イアンは散々怒られた後、騎士団に入ることを約束させられた。皆に迷惑をかけてしまった、重大な過失を犯してしまったと、負い目を感じているから断れない。半ば強引に決められてしまったのである。
言質を取った後で泉の水はあったから、帰ろうと──
「くそっ! くそっ! くそっ! クソジジイめっ!!」
帰りの船にて。イアンは甲板の上、手摺りにもたれながら、毒づいているのであった。
陽は無情にもイアンの白い肌を刺す。気持ちが曇っている時は眩し過ぎる青空が憎々しい。せっかくの凱旋。潮が細かい飛沫となって頬を撫でているというのに。
隣に両想いの彼女が立っていたなら、どんなに素晴らしかったろう。不快なだけの青空も傲慢な太陽も、きっと祝福してくれたに違いない。
だが今、隣にいるのは頬被りのカオル。そんなイアンの様子を涼しげな目で眺めている。
農家の娘にこういうのがいそうだと、イアンは思った。芋娘の中で、一際目立つ美人。村の男の憧れ、みたいな。畦道を歩けば皆が振り返る。他の娘達に妬まれ、苛められるから大変だ。だがある時、村長の息子に見初められ、後の村長夫人となる。そして彼女は領主の暴政に立ち向かおうとするのであった──
イアンが下らない妄想を膨らませるのはいつものこと。
なぜ、手拭いを被るのか? 日に焼けたくないのだろうか。カオルはいつも変なファッションだ。学生の頃は口にスカーフを巻いてマスクの代わりとしていた。ピアスとか坊主も全然似合ってなかったし。イアンの家来だった頃からそう。はっきり言ってダサい。
あまり、露骨にそれを言わないのはイアンの優しさだ。イアンだって、人に気を使うのである。
このカオルも主国騎士団に戻ることとなった。アスターはこれまでのことがなかったかのように、手のひら返し。カオルに甘くなった。カオルも憧れの英雄に認められたのが嬉しいのだろう。すっかり、取り込まれてしまった。
イアンからしたら、旧知がいるのは心強い。騎士団へ入ることには魅力を感じていたし、気持ちが大きく揺れ動いていたのも事実。
だが、アスターの思い通りになったということが許せないのだ。ただ、それだけが。加えて失恋の痛み……
「色仕掛けで誑し込んで、命懸けで手に入れた物を奪うなんて……アバズレじゃないか。この俺を騙すなんていい度胸してる。可愛い顔を武器にして、男を騙しまくってきたんだろうな。俺はなんてお人好しなんだ。いや、俺は誠実なだけだ。当たった女が悪かっただけで……」
「キャンフィはそんなんじゃない」
「うう……ここから飛び降りて死んでしまいたい。俺みたいな強くて、格好良くて、背も高くて、イケメンで、頼りになりそうな男を利用して捨てるなんて酷すぎる。そんなことがあっていいものか? いいや、良くない、良くないぞ……」
「じゃ、飛び降りて死ねば?」
「なぬっ!」
睨みつけても、カオルはもう怯まなかった。イアンの視線を受け止め、睨み返してくる。イアンの方が目を反らしてしまった。殴り合いの喧嘩なら勝つ自信はあるが、口喧嘩では自信ない。後ろめたさを感じている時は特に。
「にゃうー、にゃふ、にゃふ」
「ははっ、そうだな」
弟の魂が入っているという黒猫とカオルは楽しそうに話している。
──俺の悪口を言っているんじゃ、あるまいな?
イアンは不安になる。嫌われたり、馬鹿にされることには敏感なのだ。
「イアン、アキラが飛び降りる気もないのに、そんなこと言うなってさ」
「くっ……」
「でも、度胸があるのは知ってる。でなきゃ、蓬莱の泉に飛び込んだりできないさ。泳げもしないのにな」
この言葉でイアンの怒りは収まった。イアンが好むのは、飾り気のない賛辞。認められると素直になれる。
カオルはこの数日でイアンの言葉を上手くかわすようになった。家来だった頃のように同調もしないし、蓬莱洞での拒絶とも違う。
カオルはキャンフィに同情的だった。
「キャンフィはさ、過去のトラウマから男が嫌いなのさ。性的なことを求められると嫌悪する。だから、逃げたのは仕方がない。泉の水を奪ったのは元々それが目的で来てたからな」
「……でも、俺はキャンフィに何もしてない。キスすらしてないんだよ!」
「え? なんで? 同じ布団で一緒に寝てたんだろう?」
「連日連夜、アスターのせいで夜更かししてただろ? 疲れて寝ちゃったんだよ」
カオルはしばし黙った。
イアンは何となく気付いている。カオルはキャンフィを好きだった。だから、付き合っていると嘘をついたのだ。
サチの話だと、騎士団を首になる前、カオルとキャンフィはとても仲が良かったそうだ。ディアナの命で過去へ戻った時も、一緒に行動している。やっぱり、キャンフィもカオルが好きだったのではないかと、イアンは嫉妬心を抱いた。
「それは嫉妬だよ」
「へっ?」
イアンは内心ドロドロしていたので、変な声を出してしまった。
「イアンは女の子にモテるだろう? 軽い気持ちですぐ関係を持つのに、自分にはがっついてこなかったからキャンフィは怒ったのさ」
「そっ、それは……疲れていたというより、キャンフィのことを大切に思ってこそだ。彼女のことは本気だった。だから、欲望に任せるなんてことはしたくなかったんだ。それなのに……」
イアンの心中にあったのは、誠実なサチ。禁欲的な教会で過ごした五年間も良い訓練になった。感情も欲望も、以前よりはだいぶコントロールできるようになったのである。
サチの恋愛観に感銘を受け、初恋の時の清らかな気持ちを大切にしようと思った。たった一人だけを愛し続けようと。それが真実の愛なのだと。
「キャンフィには分からないさ。だって、今までのイアンの行動を全部見ているんだから。誰と付き合っていたかも知ってる。言っておくけど、傷ついたのはキャンフィの方だからな? 被害者面するなよ?」
カオルの言葉にイアンは一言も言い返せなくなってしまった。全くその通り。
疲れていたから、彼女にちゃんと想いを伝えられなかった。今までのことを詫びてもいない。
アスターのせい? いいや、自分のせいだ。全部イアンの撒いた種なのだから。調子に乗って大酒を食らった。女癖の悪さもそう。
海豚の群れが水しぶきを上げても、心踊らない。ひょうきん顔の海豚が時折振り返りながら口を開ける様は、はしゃいでいるように見える。船を先導して付いて来いと言わんばかりだ。
「もう、キャンフィには近づくな。君が近くにいない方が彼女は幸せになれる。笑うようになったのだってイアン、君がいなくなってからだ。少しずつ人間らしく変わっていった。今回は悪気がなかったとはいえ、また彼女を傷つけるようなことがあったら、俺は許さないからな?」
啖呵を切るカオルにイアンは唇を噛むことしかできない。視線はブーツの先に落ちた。
今頃、キャンフィはディアナ女王の待つローズ城へ帰ったろうか。
船を出した形跡はないと、エンゾは言っていた。跡形もなく消えてしまったイザベラとキャンフィについて、恐らくは虫食い穴を使ったのだろうと。
あらかじめ札に封じておけば、虫食い穴を自由に出現させることができる。
ディアナ女王が支配するローズで優しいキャンフィは苛められてないだろうか。綺麗な子だから、男達に変なことをされてないだろうか。
イアンは案じた。自分を捨てた娘、この世界で一番好きなキャンフィのことを。
キャンフィ視点↓↓↓
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